信じる力で病気が治る
心の力で病気がよくなった
医学的に説明すれば、本人の心の変化が自律神経に作用し、自律神経が免疫に作用して、病気が治ったものと考えられる。
「心が自律神経に作用する」という部分は、考えれば考えるほど神秘的です。心の力という非物質的なエネルギーが、自律神経という物質的基盤を持った部分に作用する。それが引き金となって、自律神経がミクロの免疫細胞を強めたり弱めたりし、その免疫細胞が体の組織に働きかけて、ついには、がんができたり消えたりするといった目に見えるサイズの変化をもたらす。
「人間は精神が物質化する存在なのです。心のあり方がすぐ肉体に影響し、体調が変わります。心が病むと肉体も病んでくるのです」(幸福の科学大川隆法総裁『心と体のほんとうの関係。』)
体が病んだり治ったりする出発点は、自分の「心」である。この事実を強く信じることで、私たちは己れの心や精神をコントロールして病気を治せるようになるに違いない。さらには、その精神的エネルギーを、人智を超えた大いなる存在への祈りとして発信することで、自分以外の人の病気を癒すことも可能となる。
人体は、川の流れのごとく、常に変化・変転しています。これは、生まれてから死ぬまでの間、どういう肉体で生きていくかを、本人の努力と精進によって変えていける可能性が高いということです
人間を『偉大な可能性を持った、精神的な部分のある存在だ』と考えることができたら、無限の可能性が開かれてくることになります
強い信仰心を持つと、免疫機能がグーッと上がってきます。信仰の力は、私たち自身の未来を変えていく力があるのです。信仰心に基づいて、明るい心、積極的な心、親切な心、努力・精進を惜しまない心を持ち続けることができたなら、体の不調、病気等は必ず善転していきます。
潜在意識も含めた、自分自身の精神と体を自分のものとしてつかまえてしまうことが大事です。自分自身の力で、数多くの試練に打ち勝っていただきたいと思います。
「病気の自分」に意識を集中させることの問題について、大川隆法総裁は『ザ・ヒーリングパワー』で次のように指摘しました。
「病気のほうにフォーカス(集中)していくと、『悪くなって死んでいく』という図しか見えなくなってきます。そして、悲劇のヒーローやヒロインになって、周りの人を泣かせるような”映画”を、自分で一生懸命につくってしまうのです」
「『現在ただいま、病気をしている自分でありながら、それでも世の中のため、あるいは、利他のために、何か少しでもお役に立つようなことはできないか』ということに、できるだけ心のなかの思いを集中していってほしいのです」
人間は、物理的な肉体と魂の二つが、重なりあう形で存在している。魂は肉体の死後も存在し続ける永遠の生命であり、魂の中心にあるのが心である。心に怒りや憎しみなどの暗い想念を持ち続けると、まず、魂に影ができ、その後肉体にも病変ができてしまう。逆に、心を変えることによって、肉体をよい方向にも作り変えることができるのです。
こうした法則を踏まえると、病気を治すためには、治療とともに病気の原因となった心のあり方にこそ目を向ける必要がある。自分の心配ごとから自由になり、ほかの人を幸福にできる未来の自分を思い描くことが、意外な癒しの力につながるのかもしれない。
この100年ほどの間、医学が目覚ましい進歩を遂げているのは事実です。抗生物質の発明によって、感染症で亡くなる人は激減。また、医療技術の向上によって、妊娠・出産時に亡くなる女性は100分の1以下に減るなど、人類は多くの恩恵を受けている。
だが、唯物論に基づく現代医学は、「人間の本質は肉体に宿る魂」という真実を見落としている。これが現代医学の治療に限界をつくっていることは否めない。あくまでも、肉体を「物」として捉えているため、それを治療するのに、手術や薬など物質的な手法に頼らざるを得ない。過剰な治療の背景には、こうした考え方の行き詰まりもある。
一方、宗教は心の持ち方という、内側からのアプローチで病気を治すことを試みる。ならば、外側からの物質的なアプローチを中心とする医学が宗教と協調し、補完し合えば、治療効果が高まる。医学自体が霊的真実に目を開くことが求められる。
特に信仰心を持つことは、人間の自然治癒力を飛躍的に高める。神仏やあの世の存在を信じることは、死への恐怖を和らげ、あの世への旅立ちに向けて、残りの人生を積極的に生き切る勇気を与えてくれる。そして、反省や感謝、他の人への愛の大切さを教える信仰は、病気という「体の設計図」を書き換える積極的な思いの源泉となる。
大川隆法総裁は、法話「『奇跡のガン克服法』講義」のなかで、自然治癒力を高める方法について、次のように説かれました。
「『自分の霊体は本来、神仏からいただいた尊い命であり、完全無欠な金色の球のようなものなのだ』というイメージを持ってください」
「本当の自分の姿を描く練習をすれば、いろいろな病気に対する回復力や抵抗力、あるいは改善力になってきます」
こうした思いの力を前提とした治療が新たな常識として広まれば、過剰な投薬治療などがなくなると同時に、不治の病から回復する人も増えていくに違いない。
自分の体は、自分の想念によって形成されている。
病気をつくることができるから、病気を自分で治すことも、本来は可能なはずです。
そのように考えることが、病気を治す第一歩です。
大川隆法総裁は、『超・絶対健康法』で以下のように説かれました。
「「信じる力によって病気が治る」ということは、それほど不思議なことではありません。人々は、「病気を治す力」はなかなか持てませんが、「病気をつくる力」なら、ほとんどの人が持っています。ガンを治す力は持てなくても、ガンをつくる力は、ほぼ全員が持っているのです。無理をしたり、不養生をしたり、ものすごく感情を乱して破壊的な生き方をしたりすれば、おそらくガンができるはずです。「体のなかにガン細胞をつくり出す」ということは、本当は難しいことです。そういう悪い方向のことならできるのですが、「ガンをなくす」という、良い方向については、なかなかできないわけです。これは、人々が、「自分の体が自分の想念によって形成される」という、念の力、心の形成力というものを知らず、想念の使い方を十分にマスターしていないことを意味します。破壊的な想念のほうは、いくらでも出せるのですが、良いほうの想念、調和的で建設的な想念の使い方を、ほとんどの人は教わっていないために、病気を治せないでいるのが現状です。病気をつくることができるのですから、病気を自分で治すことも、本来は可能なはずなのです。まず、そのように考えることが病気を治す第一歩になります。病気をつくることはできるのに、治せないというのは、おかしなことです。病気を治せないのは、本当は、「病気を治す気がない」ということなのです。病気になると、自分の欲求不満や失望感、できないことの言い訳ができるわけです。要するに、「病気になれば許される」ということです。例えば、自分に能力が足りないことも、病気になると許されます。収入が増えないことも、病気になると許されます。子供の教育がうまくいかないことも、病気になると許されます。この場合、病気になるのは、自分でも、子供でも、ほかの家族でも、誰でもよいのです。また、恋愛でふられた場合も、病気になると、何となく、その問題から逃れられるわけです。したがって、病気といっても、単に偶然でなっているのではなく、一種の「人生の逃げ場」を求めて自分から病気になっている場合もあるのです。そのことを知ってください。体の調子が悪くなり、病気になったときには、「自分の逃げ場をつくっていないか。病気に逃げ込む必要が自分にはあったのではないか」ということを、一度チェックしてみることが大事です」
信仰で病気が治る
がん などの病気になる人は、過去、何十年にもわたって、人に害を与える攻撃的な間違った考え方や悪い言葉が心のなかにたまっているので、反省したり、悟りの進んでいる人に導いてもらったりして、きれいにしなければならない。
人間には、本来、病気を治す力がある。病気になっている人に、正しい「心の法則」を教え、その人を正しい軌道に乗せ、明るい方向、天上界の方向に向けることで、すべてがよくなっていく。
免疫力は、信仰の力、信じる力を持つと上がってくる。日々、「仏のため、神のために、菩薩として頑張ろう」と思っていると、強い積極的な善念が体全体に満ちてきて、全細胞にじわじわと行き渡るため、免疫力が高まる。
大川隆法総裁は、『心と体のほんとうの関係。』で次のように説かれました。
「ガンなどの病気になる人は、過去、何十年にもわたって、間違った考え方や生き方を引きずってきています。憎しみ、怒り、嫉み、妬み、怨恨、暴言など、人に対して害を与えるような、攻撃的な考え方や悪い言葉が心のなかにたまっているのです。こういうものを、きれいにしなければいけません。反省をしたり、悟りの進んでいる人に導いてもらったりして、心のなかにたまっているものを取り除いていく必要があるのです。以前、『千と千尋の神隠し』という映画がありました。この映画の監督は、霊界の裏側世界である妖怪の世界と親近性があるようですが、映画のなかに、「体全体に、どろどろしたヘドロのようなものをたくさん付けた、臭い“川の神”が出てきて、主人公の女の子が、それをお湯で洗い流してやる」というシーンがありました。心のなかの想念が真っ黒な人は、その川の神のように、体全体にヘドロのようなものをたくさんつけた状態で生きているのです。そういう人は数多くいます。そんな状態で生きていたら、病気にならないほうがおかしいでしょう。あるいは、事故などの不幸が自分や家族に起きないほうがおかしいでしょう。そのヘドロのような悪想念を落とさなければいけないのです。病気は、幸福の科学の精舎や支部で祈願をすると治ることもありますが、本来は本人自身に病気を治す力があります。病気になっている人に、正しい「心の法則」を教えてあげること、その人を正しい軌道に乗せ、明るい方向、天上界の方向に向けてあげることで、すべてがよくなっていくのです。最近の医学でも、「いろいろな病気の多くは、結局、免疫機能の問題である」ということが分かってきています。ほんとうは自分で病気を治せるのですが、免疫機能が低下してくると、悪いものが増えてきて、病気になり、最後は死ぬこともあるわけです。この免疫力は、実は、信仰の力、信じる力を持つと、かなり上がってきます。それは本人の意志としての想念の力でもありますが、日々、「仏のため、神のために、菩薩として頑張ろう」と思っていると、強い積極的な善念が体全体に満ちてきて、全細胞にじわじわと行き渡るため、免疫力が高まるのです。そうすると、初期のガンぐらいであれば、すぐに治ってしまいます。免疫力が高まれば、自分でガンと闘って、治してしまうことができるのです。この信仰の力を他の人に移していくことも可能です。ある人を強い情熱でもって導き、正しい道に入らせ、その人の心がパッと明るくなってくると、その人の免疫力は、ぐうっと上がってきます。そして、体の各細胞の生きていく力が増大してくるのです。「まだまだ、頑張らなければいけない。よい仕事をしなければいけない」という気持ちが各細胞に伝わっていくと、体全体からぐうっと力が出てきます。「自分には使命がある」と思えば、十歳も二十歳も年齢が若返ったように力が湧いてくるのです。」
また、大川隆法総裁は、著書『伝道の法』で、心について以下のように説いています。
「たとえて言えば、『ハンドルとアクセルとブレーキがあって、自分という車を運転できているのだ。そして、運転している人間が「魂」といわれる部分であり、車体の部分、乗っているマイカー自体は「肉体」である。この肉体の部分に魂が宿っているのであって、これが、車を運転している人間に当たるのだ』ということになります。さらに、人間の魂のなかで、特に、考えたり、判断したりしているのが、いわゆる『心』という部分です」
脳は肉体に付属するものであり、あくまで感情や思考を表現するための補助的な役割、車体の部分にすぎません。車に乗って車の行き先を決めているのは、脳ではなく心であり、心こそが人間の本質なのです。この最初の認識を誤ってしまえば、何時間瞑想しようが、いつまでたっても心をコントロールすることはできない。
「心の対処法」に悩む現代人に必要なのは、宗教の説く「心の教え」であると言えます。
総裁は、『超・絶対健康法』で以下のように説かれました。
「「信仰で病気が治る」ということは世界各地の宗教で起きていることです。心ある医者も、「それは現実にありうることだ」と言っています。なぜ信仰で病気が治るかというと、強い信仰心、篤い信仰心を持つと、その人の体のなかの免疫機能がグーッと上がってくるからです。どうか、信仰の力というものを、非科学的な〝まやかし″だとは思わないでください。学校の先生の言葉一つでも人間は変わります。事実として、言葉には人間を変える力があります。それは、宗教の立場、信仰の立場ではなく、それ以前の段階のレベルでしょうが、言葉には子供たちの未来を変えていく力があるのです。同じように、信仰の力には、みなさん自身の未来を変えていく力があります。信仰は、生きていく勇気や自信、忍耐する力、耐え忍ぶ力というものを与えてくれます。そうすると、体の細胞の隅々に至るまで、その力が加わり、自分の細胞が活性化してきて、免疫力がすごく強くなるのです。本書を読んでいる人のなかに病気の人がいたら、どうか、信仰の力でもって、自分自身の全身、体全体に、「自分の肉体は工場なのだ。毎日、細胞をつくっている。自分の肉体は、毎日、入れ替わっている。毎日、新しくつくり替えているものなのだ」という、強い思いを発してほしいのです。その工場が不良品ばかりをつくっているから、体が病気になっているわけです。やはり、つくり出す部品を、もっと良いものに替えていかなければなりません。「自分は、信仰の名の下に、立派な人生を生きたいのだ。世のため、人のため、世界人類のために、良いことをして、今世を全うしたいのだ。だから、力を与えたまえ」という気持ちを強く持ち、潜在意識に命じることが大事です。もし、みなさんが、こうした信仰心に基づいて、明るい心、積極的な心、そして、他の人に対して親切な心、また、自分自身に対しても努力・精進を惜しまない心、こういう心を持ち続けることができたならば、体の不具合や不調、病気などは必ず善転していきます。もちろん、地上での生命には限界がありますが、やはり、「いかに充実した人生を送るか」ということが大事であり、寿命を延ばすことだけが良いことではありません。「中身を充実させていく」という強い思念を持ち続けることが大切なのです。どうか、「信仰心というものは免疫力を高めるのだ。免疫力を高めることによって、細胞の新陳代謝を進めることもできれば、ガン細胞などを死滅させることも可能なのだ」と思ってください。それを強く信じることによって、実際に体は変わってきます」
祈りの治癒力
祈りの力で病気が治ることが実際にあります。正しい信仰生活をしていると、ほんとうに体験できることがあります。
幸福の科学には、病を癒すための祈りとして修法「エル・カンターレ ヒーリング」があります。
それを行ずる人に信仰心があることが前提であり、信仰心があれば、エル・カンターレの魂と一体になって、光が流れはじめる。
信じたならば、すべてのものは現れる。
奇跡が起きるために
イエスが病気を治すときに求めるのは信仰心であるように、病気治しには、「信仰心の確立」が非常に大事である。
また、自前の支部精舎が建ってきたことで「完結した信仰空間」がつくられ、奇跡が起きやすくなっている。
信仰心が、どのくらいまで上がっていくかによって結果は変わってくる。