多重人格 現代医学では「了解不能」

  ひと昔前には「水と安全はただ」と言われた日本が、なぜここまで危険な社会になってしまったのか? そして、なぜここまで無差別殺人が続くのか?

 伝染病のように奇妙な広がりを見せる無差別殺傷事件。これを単なる模倣によるものだと片付けてよいのでしょうか。確たる動機もなく傷つける対象も時間も場所も選ばない凶悪犯罪が相次ぎ、人々の心には以前にも増して他人への漠然とした警戒感が広がっている。

 果たして、続発する事件の真犯人は、「家庭環境」「雇用形態」「日本社会」「脳障害」なのか。

  そのような中、興味深い判決が下った。東京・渋谷で、妹を殺害後、遺体をバラバラにして捕まった男に対する東京地裁の判決で、殺人罪については完全責任能力を認めたものの、死体損壊罪については「解離性同一性障害(多重人格)で生じた別人格に支配され心神喪失状態」として無罪とした。

 裁判長は、精神鑑定を行った精神科医の「殺害時は心神耗弱、遺体損壊時は心神喪失」という診断を支持。「本来の人格とは違う獰猛な別人格を仮定しないと説明がつかない」と結論づけた。

 現在、精神医学の世界では、多重人格については診断方法をめぐって意見が分かれている。だが、今回の判決は、多重人格を理由に心神喪失を認めた極めて異例なものだった。

 では、「別人格」とは、一体どのようなものなのでしょうか。

 

多重人格 現代医学では「了解不能」

 『別人格』と言っても、精神医学の分野では、『了解不能』(わからない)ということ。それ以上追求できないため、薬物で鎮静を図ることぐらいしかできません

 現代では、了解不能とされている多重人格ですが、この現象を同じ傾向性の苦しみを持つ霊による『憑依』という現象で説明するとすべて筋が通るのです。

 今起きている不可解な事件の背景には、ほとんど憑依、いわゆる悪霊に体を乗っ取られた『ボディ・ジャック』が関係していると思います。

 また、彼らは犯行時の記憶がなかったり、自分がなぜ犯行に及んだのかを説明できなかったりすることが多い。その中には、意図的な責任逃れもあるでしょうが、精神鑑定などの現代医学にとって未知の現象である「憑依」を想定すれば説明がつくことばかりなのである。

 我々も、気がつかないうちに、悪魔ではないとしても、「悪霊」に取り憑かれていることがないとは限らない。

 幸福の科学大川隆法総裁は、著書『幸福の法』では、「『半分以上の人は、何らかの悪しき霊的な影響を受けている』というのが、現代社会の実情ではないでしょうか。何らかの影響のある悪霊が、一体ないし二体、作用していることが多いのです」と述べられている。程度の差はあっても、現代に生きる人間の多くが憑依されることがあるということです。

 悪霊とは、生前に善なる思いや行いよりも悪なる思いや行いの方が多かった人が、死後もそのマイナスの心のままで迷い苦しんでいる存在である。

  では、憑依のメカニズムとは一体どのようなものでしょうか。

 まず、この世で生きている人間と悪霊の心の波長が合わなければ、その人間に取り憑くことはできない。これを「波長同通の法則」と言う。ちょうど、目に見えない電波を、テレビのチャンネルを合わせることで受信できるのと同じ原理です。たとえば、自分の置かれた境遇への強い恨みや他人への嫉妬心を抱き、「人を殺したい」「社会をメチャクチャにしてやりたい」という思いを持っている人には、同じような思いを持った悪霊が取り憑くことができるというわけです。他にも、怒りや悩み、被害妄想や自己嫌悪などマイナスの思いを強く持ち続けている人は悪霊に取り憑かれやすい。

 この憑依現象を一連の事件と重ね合わせると、理解不能な犯行の多くの謎が解けてくる。

 ただ、ここで注意しなければいけないのは、憑依されるのは基本的に本人の責任であるということです。

 通り魔的事件の犯人の多くは、「親のせい」「会社のせい」「社会のせい」と、不幸をすべて自分以外の他人や環境のせいに責任転嫁する傾向が強い。

 たとえば、茨城の事件の男は、高校卒業後アルバイトを転々としており、「定職に就いていないことを責められた」と家族への不満を供述。自宅近くの遊技場では、負けた腹いせにゲーム機をたたいたり蹴ったりする姿も目撃されていたという。

 また、秋葉原の事件の男は、派遣先の会社にいつ解雇されるか分からないという不安を抱いていたといい、ネットへの書き込みを無視されたことに孤立感を深めていた。

 だが、実は環境や他人のせいにしようとする心は、悪の発生原因である。悪霊の多くも、生前、自分の不幸を環境や他人のせいにし、死んで霊になってもその心のままでいる。だから、自分の不幸を他に責任転嫁する人間の思いが、そうした悪霊と同通し、彼らのボディ・ジャックを呼び込んでしまうのです。憑依も根本は、憑依される人間の自己責任なのです。

 マスコミや識者も、凶悪事件、特に動機が不明確な通り魔事件などが起きると、その原因を「親」「家族」「社会」「時代」といった本人以外のせいにしがちだが、不幸をともすれば他人のせいにしたがる現代の日本は、悪霊にとって暗躍しやすい時代と言えるでしょう。

 今後行われる通り魔事件などの裁判では、精神鑑定による「心神耗弱」「心神喪失」をめぐって責任能力の問題が生じる。だが、憑依のメカニズムに照らせば、あくまで本人の強烈なマイナスの思いが最初にあり、それが悪霊を呼び込んで心を支配され、心神喪失状態にあったとも考えられる。その意味で、まったくの免責とするにはやや疑問が残る。

 確かに、こうした事件の犯人の境遇には同情の余地がないわけではない。だが、彼らと似た環境にあっても、犯罪をはたらくことなくまっとうに生きている人が大部分です。従って、通り魔事件などの原因究明や再発防止のためには、犯罪の原因を社会や環境ばかりに求めるのではなく、本人の「心」のコントロールの責任という観点が必要です。

 以上のようなスピリチュアルな視座が、現代の精神医学や犯罪心理学には決定的に欠けています。頻発する無差別殺傷事件の悲劇を防ぐためには、霊的世界の法則を踏まえて憑依=ボディ・ジャックのメカニズムが理解され、それを防ぐための心のあり方についての正しい知識が広まることが不可欠なのです。

 程度の差はあっても、現代の多くの人が、ボディ・ジャックされていると思いますが、霊的な世界観を知っていれば、そういうことが起きないように、自分の心を律していこうという気持ちになるでしょう。自殺、いじめ、ウツなど、世の中で問題になっているあらゆるものの背景にボディ・ジャックが関係していると思いますが、霊的人生観さえ持てば解決の糸口がつかめるはずです。

 そして、ボディ・ジャックがここまで増えている理由は、やはり、正しさの尺度、正しい宗教がないからだと思います。特に、戦後、日本は宗教を排斥し、忌避してきました。そこに左翼思想が乗っかって、現状のような唯物論的な世界を肯定しているのです。現代は物質的な価値観が蔓延しています。そのような時代だからこそ、我々は本当の正しさというものに目を向けていく必要があるのです。

 最近の通り魔事件を見ていると、ほとんどがボディ・ジャック(憑依)と思われるようなものばかりです。秋葉原の事件でも、複数の人を刺していて、犯人は「途中から記憶にない」と供述していますが、記憶がなくなってから刺した人ほど亡くなっている。茨城の事件でも、犯人が「おれじゃないおれ」と叫んでいるのを近所の人が聞いている。マスコミは霊的観点でのボディ・ジャックというものを理解できないので、犯人に統合失調症の疑いがあったり、その通院歴があったりすると、基本的にそれ以上深く追求せずに、家庭環境や社会情勢など外的な要因に責任転嫁する傾向があります。

 しかし、そういう犯人を精神鑑定にかけて、すべて免責ということでは何も解決にならないでしょう。犯罪そのものは犯人が起こしたことですし、根本的な責任は犯人にあります。ですから、もっと霊的な人生観を学ぶ必要があると思う。憑依のメカニズムを描いた『ボディ・ジャック』を通して、憑依という目に見えない現象があるんだということ、そして、憑依の根本には、取り憑かれる側の人間にも責任があるということを知ってもらいたい。

 犯行時の記憶がなくなっているケースもよくある。事件を起こしている肉体は自分であっても、そのとき肉体をコントロールしているのが別の霊存在であるため、記憶があいまいだったり、記憶がなかったりする。

 参考

憑依には麻薬も大きく影響している

 幸福の科学大川隆法総裁は、著書『エクソシスト入門』の中で、霊的視点から見た麻薬の影響について次のように述べておられます。

「麻薬を使用すると、一種の意識変異を起こして、擬似的な霊現象、体外離脱現象のようなものを体験することがあります。実際に霊界を見ている場合もありますが、おそらく、肉体と魂をつなぐ『霊子線』の部分が麻痺して、魂が遊離しやすくなるのではないかと思います。それで霊界を見ることもあるわけですが、天国的な世界を見る人はよいとして、地獄的な世界を見る人もそうとういます。」

 この世の人間の不幸を喜ぶ悪霊の立場から見れば、麻薬を使っている人は、憑依してこの世で暴れるための格好の道具ということになる。本人に責任がないかと言えばそのようなことはない。憑依される状況をつくったのは他ならぬ本人だからです。

 憑依は、本人の心の波長と悪霊の波長が合った時に起こる。ラジオの周波数を合わせるとその周波数の放送を聴けるように、同じ波長の者同士でなければ憑依はできない。

 悪霊や悪魔に憑依されないためには、麻薬などを使わないことは当然だが、心の波長を明るく積極的に保ち、失望や不満など悪霊と同じ心境にならないことが最も重要です。

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