福祉国家の次のモデル

 1960年代に「福祉国家は失敗した」と断言したドラッカーは、宗教などの非営利組織が福祉を担い、「人間を変え、能力や誇り、自立を取り戻す」役割を果たすと予言した。

 晩年に松下政経塾を創設し、さまざまな政治提言も行った松下幸之助氏は、「今の政治には、愛や慈悲が足りない」と語っていた。一見、一人ひとりに優しいように見える福祉国家は、実は冷酷で非情なものだとあきらめ、少しでも「愛と慈悲の国」にならなければならない。

 経営学者のドラッカーは1969年の時点で、『断絶の時代』で「福祉国家は失敗した」と断言していた。

 「いかに立派な仕事をしていても、福祉国家なるものは、せいぜいが活力と創造性に富む保険会社並みの存在にすぎないことが明らかになった。誰も保険会社のために命を投げ出すことはしない。福祉国家に期待できるものは凡庸な成果だけである。それさえ得られないことのほうが多い。民間の保険会社なら許しえない仕事ぶりである」

 そして、「19世紀に家族から政府に任されるようになった仕事の数々を、非政府組織に委ねなければならない」と提案した。

 非政府組織というのは、宗教団体や民間の病院、赤十字、ボーイスカウト、ガールスカウトなどである。

 ドラッカーは、福祉国家の次の国家モデルのイメージをはっきり持っていた。

その後の著作で、政府でも企業でもない非営利組織が、「人間を変える」ことを目的とした「人間改造機関」としてのミッションを果たすべきだと訴えた。

 1995年の『未来への決断』では、こう述べている。

「今日必要なことは、自立や能力や責任を生み出すように、福祉の方向づけを変えることである。(中略)すなわち、福祉は機能しうる。しかしそれは『貧しい人たちにとって必要なものは金である』という考えから、『貧しい人たちにとって必要なものは能力である』という考えに頭を切り替えたときである」

「福祉を行うべき理由は、今日の福祉国家が当然のこととしているように、能力のない不運な人たちには、金銭的な支援を受ける権利があるということであってはならない。そのような人たちには、能力や誇りや自立を取り戻す権利があるということでなければならない」

 ドラッカーは同書で、今までの福祉国家は「依存、無能、自己嫌悪」をもたらす援助だったと厳しく指弾している。そのうえで、「貧しい者が自らの能力に自信をもち、自らを発展させる力を高めることこそ、豊かな者、すなわち民主主義国家の利益にかなうことである」と力説した。

 具体的にはキリスト教会やその他ボランティア団体が、聖書の講座を開いたり、マイノリティの子供に九九を教えたり、高齢者のリハビリと社会復帰を手伝ったりすることなどが、「自らを発展させる力を高める」活動にあたる。

 新しい国家モデルは、この「自らを発展させる力を高める」ような方法や考え方を教え、導くというところに大きなカギがあるということです。

 

新しい国家モデルは尊徳精神に基づく?

 二宮尊徳の「勤・倹・譲」の徳目は、まさに「人間を変える」思想です。

 この「能力や誇りを持ち、自立した人間に変える」「自らを発展させる力を高める」という点では、日本は明治・大正の小中学校の教育で成功した経験がある。

 当時は、国民一人ひとりが勤勉に努力し、近代産業を興し、欧米に侵略されない軍隊をつくるという共通の目標があった。その模範となったのが江戸末期の農政家、二宮尊徳である。学校では「二宮金次郎のように家が貧しくても、がんばれば成功できる」と教えられた。

 尊徳の銅像が校庭に建てられたのはおなじみだが、小学校唱歌を通しても、尊徳精神が讃えられた。

「骨身を惜しまず 仕事にはげみ 夜なべすまして 手習い・読書 せわしい中にも たゆまず学ぶ 手本は二宮金次郎

家事大事に、費(つい)えをはぶき 少しのものも 粗末にせずに ついには身を立て 人をもすくう 手本は二宮金次郎」

 今のトヨタ自動車を生み出した豊田自動織機の豊田佐吉や真珠製造の御木本幸吉などは、尊徳精神に強い感化を受け、事業を発展させた。

 尊徳は農家に生まれながら、小田原藩家老・服部家の財政の立て直しや、荒廃していた同藩の分領の復興に成功した。その手法が農村経営のお手本となり、「報徳仕法」と呼ばれた。

 尊徳が言うところの「徳」はふつうの意味とは異なる。人や物質、自然の中に備わる良さや取り柄、持ち味、長所、可能性だという。

 哲学者のアーレントが主著『人間の条件』で、「人間は一人一人が唯一の存在であり、したがって、人間が一人一人誕生するごとに、なにか新しいユニークなものが世界にもちこまれる」と述べていることに通じる考え方である。

 尊徳の思想は「勤」「倹」「譲」の3語に集約できる。

天地人はそれぞれの徳があり、人はその恩を受けて生きている。それに報いるためには、一人ひとりが勤勉に働き、各人の良さを発揮すべきである()。

その結果得た収入をコツコツと貯えることで豊かになることができる()。

生活に困っている人がいたら、その人の良さを引き出し、世の中に役立てるよう手助けする。その際、必要ならお金を貸してあげる()。

 尊徳は、怠けや奢り、むさぼりの心に打ち克って、「勤・倹・譲」を身につけた人間に成長することを「心田開発」と呼んで、最も重視した。

 尊徳は、「そもそも我が道は、人々の心の荒地を開くのを本意とする。一人の心の荒地が開けたならば、土地の荒廃は何万町歩あろうと心配することはないからだ」と語っていた。

 つまり、尊徳がやったことは、単なる農村経営やその復興ではなく、人間の「心の復興」だった。それができれば、荒地の開墾などいくらでもできるという確信があったのです。

 新しい国家モデルを考えるとき、この尊徳精神は十分通用するのではないでしょうか。

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