みんなが資本家、経営者の社会

 経営学者ピーター・ドラッカーは、社会主義も資本主義も終わり、「みんなが資本家や経営者の役割を果たす社会」の到来を予言した。

 ドラッカーは、今の時代は数百年に一度の大転換期で、それは1965年ごろに始まり、2030年ごろ「新しい世界が生まれる」と予測した。

 一つ前の大転換期は、18世紀終わりから40年ほどの期間だという。ジェームズ・ワットが蒸気機関を発明し、アダム・スミスが『国富論』を書き、少し遅れてマルクスが『共産党宣言』を発表した。産業革命が起こり、資本主義と共産主義が現れた時期です。

 ドラッカーは以下のように語っていた。

「今、資本主義とマルクス主義のいずれもが、急速に、極めて異質な社会にとって代わられつつある。その新しい社会、すでに到来している社会が、ポスト資本主義社会である」

 そして、その新しい社会を「知識社会」と呼んだ。まだそれははっきりと姿を現しているわけではないが、ドラッカーは以下のように説明しておりました。

 第二次大戦をはさんだ工場労働者の飛躍的な生産性の向上は、先進国で20年弱で給料が倍増する「革命」をもたらし、マルクスが告発した「搾取」の構造は吹き飛んでしまった。戦後は肉体労働から頭脳労働が主流となり、それまで「資本」だった土地や工場や機械が、頭脳労働者の「知識」に取って代わった。

 読み書き、コンピュータ技能、外国語、コミュニケーション技術、マネジメントの力量。これらが新しい「資本」となった。

 これは、一人の働き手が「資本家」となることを意味する。また、一人ひとりが組織の中で意思決定し、イノベーションを起こし、新しい価値を生むという点で、「経営者」や「経営幹部」になることを意味する。

 ドラッカーの見通した「ポスト資本主義社会」は、「みんなが資本家や経営者の役割を果たす社会」。労働者の搾取も階級対立も解消されていくということになる。

 

「人から奪う社会」から「人に与える社会」へ

 マルクスとドラッカーの違いは、「人間をどう見るか」の違いかもしれない。

 マルクスは、資本主義を理論づけた経済学者たちが「人は物欲をめぐる満足を最大化する」と定義したのに応じる形で、「人(労働者)は搾取されるので、奪い返さなければならない」と見た。

 一方、ドラッカーは「人は社会に貢献する存在である」と見ていた。

 過去200年余りが、自分の物欲を満たしたり、人から奪ったりする社会だったとするならば、これからは「他の人や世の中に何かしら与えようとする」社会になると言っていいだろう。

 近代資本主義の精神として、プロテスタンティズムがあると言われている。「勤勉に働いて豊かになること(世俗内禁欲)は、神が祝福するものである」という信仰をベースとする自助努力の考え方である。これからの時代、「世の中への貢献」ということを考えれば、これだけでは十分ではない。

 幸福の科学大川隆法総裁は、2014年7月号の「未来への羅針盤」欄で以下のように述べました。

「セルフ・ヘルプで止まってはいけないのです。そこから、公共心を持って、他の人たちを発展させ、押し上げていく努力をするように、自己成長を目指さないといけません。『セルフ・ヘルプから、さらにもう一段偉大な自己となって、周りの人たちを助けられる自分になりましょう』というところまで押していかないといけないのです」

 これまでの時代の「物欲を満たす資本家や経営者」「搾取される労働者」という対立を越え、新しい時代は、みんなが「自ら成功し、他の人の成功も助ける神仏の子」であるという社会になるだろう。

 ポスト資本主義には、新しい宗教的バックボーンが不可欠です。

 

夢のある国、徳ある国へ

 ドラッカーは、代表的な著書『マネジメント』で、渋沢栄一について以下のように記した。

「率直に言って私は、経営の『社会的責任』について論じた歴史的人物の中で、かの偉大な明治を築いた偉大な人物の一人である渋沢栄一の右に出る者を知らない」

「社会的責任」は「社会への貢献」と言い換えてよいでしょう。

 渋沢は日本で初めての銀行を立ち上げる際、こんな告知をして出資を募った。

「銀行は大きな河のようなものだ。銀行に集まって来ない金は、溝に溜まっている水や、ぽたぽた垂れる滴と変わらない。せっかく人を利し、国を富ませる能力があっても、その効果は現れない。一すくいの水は非力でも、集まって大河の流れとなることで、水車を動かすこともできるし、大地を潤し作物を育てる源ともなる」「豪商の蔵や庶民の懐に眠っている資金を集めて、交易や生産を盛んにさせよう」

 今の公的年金は、残念ながら「溝に溜まっている水や、ぽたぽた垂れる滴」でしかない。「一すくいの水」を「大河の流れ」に変えるのが国家としてやるべき仕事である。

 大川隆法総裁は、法話『未来創造の帝王学』で資本主義経済が終わりを迎えようとしていると指摘したうえで、未来の経済のあり方について以下のように述べました。

「これからやらなければならないことは、『未来人類から感謝されるような仕事とは何であるか』ということを考えてやっていくことです。それが、これからの経済を大きくしていくための道なんです」

 「人から奪う社会」から「人に与え貢献する社会」へ。マルクスの『共産党宣言』を葬り去る反マルクス革命である「幸福実現革命」が成就した時、日本は国民にとっても、世界の人にとっても夢のある国、徳ある国になるのです。

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