抗うつ薬の服用

 抗うつ薬を服用すると脳でどのような変化が起きるのでしょうか。

 脳の中に多数ある神経同士の連絡係の役割をはたす物質は神経伝達物質と呼ばれますが、脳の中にはたくさんの種類の神経伝達物質があります。神経伝達物質の多くはアミノ酸ですが、モノアミンと呼ばれるアミノ酸から合成される物質もあります。モノアミンのうち、ノルアドレナリン、セロトニン、ドパミンは脳全体で働く神経伝達物質です。抗うつ薬はこれらのモノアミンを増やし、その働きを高める作用を持ちます。また、アミノ酸がたくさんつながるとタンパク質になりますが、興味深いことに多くのアミノ酸は体内では作ることができず、食物から摂取されたタンパク質がアミノ酸の原料になります。モノアミンは食物を原料としていますので、モノアミンの働きを維持するために適切なタンパク質の摂取が必要です。  抗うつ薬のうち、主にセロトニンを増やす抗うつ薬は、選択的セロトニン再取り込み阻害薬と呼ばれます(SSRIとも呼ばれます。フルボキサミン、パロキセチン、セルトラリン、エスシタロプラム)。一方、セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬(SNRIとも呼ばれます。ミルナシプラン、デュロキセチン、ベンラファキシン)はセロトニンだけでなく、ノルアドレナリンやドパミンも増やします。また、ミルタザピンという薬はノルアドレナリン作動性・特異的セロトニン作動性抗うつ薬(NaSSAとも呼ばれます)と呼ばれますが、この薬はノルアドレナリンやドパミンやセロトニンを増やします。これらは1999年以降に発売された抗うつ薬であり、昔の抗うつ薬と比べて副作用がとても少ないという特徴を持ちます。  1998年までは、ほとんどの抗うつ薬は三環系抗うつ薬あるいは四環系抗うつ薬と呼ばれる薬でした。現在も13種類の三環系抗うつ薬あるいは四環系抗うつ薬が国内で発売されていますが、患者さんによっては低血圧、眠気、口の渇き、便秘、物忘れなどの副作用が強く出るため、最近はあまり使われなくなってきました。これらの薬はSNRIと同様の働きを持ちますが、一部の薬はセロトニンを増やさない性質を持ちます。  

 

 抗うつ薬を服用するとどのような副作用があるのでしょうか。

 抗うつ薬は脳に働く薬なので、服用に不安を感じる方もいます。現在、日本では21種類の抗うつ薬がうつ病治療に使われていますので、種類によって副作用も様々です。三環系抗うつ薬は、口の渇き、便秘、立ちくらみ、眠気、排尿しづらさ(特に高齢男性で)などの副作用を引き起こしますし、多い分量を服薬している患者や高齢者では物忘れなどの副作用も起こすことがあります。高齢者では三環系抗うつ薬は避けたほうがよいです。1999〜2000年にSSRIとSNRIが発売されるまでは三環系抗うつ薬が日本における主なうつ病治療薬でしたので、多くの患者さんから副作用のつらさをお聞きしておりました。ただし、三環系抗うつ薬も少量で効果が得られる場合には、副作用もさほどではありません。  SSRIの副作用は、三環系抗うつ薬の副作用に比べるととても少ないと思います。三環系抗うつ薬でみられた口の渇き、便秘、立ちくらみ、排尿しづらさ(特に高齢男性で)はほとんどみられません。一方、三環系抗うつ薬ではみられなかった副作用として、薬の飲み始めには吐き気が出現することがありますが、吐き気止めを服用することで少なくすることが出来ますし、長く服用していると吐き気はなくなります。三環系抗うつ薬と同様に眠気の他、性的な活動が困難になる副作用も出現します。注意が必要なのは、長く服用した後に急にSSRIを中止しますと、頭痛、めまい感、全身倦怠感が出現することがあります。ただし、ゆっくり減量していくとひどい症状は出現しません。SSRIは、1回の飲み忘れでもこのように具合が悪い感じが出現しますので、飲み忘れないことが大切です。なお、急に服薬を中止したときの不調は一部の三環系抗うつ薬でも出現します。   SNRIもSSRIと同様にセロトニンを増やしますので、SSRIと同様の副作用がSNRIにも出現します。さらに、ノルアドレナリンを刺激するために、排尿しづらさ(特に高齢男性で)、脈が速くなる、高血圧などの副作用も出現します。  SSRIとSNRIは記憶に悪影響しづらい点が、三環系抗うつ薬と比べて格段に進歩した点であると思いますし、高齢者にもより安全に使うことができます。

 ミルタザピンの副作用はSSRIやSNRIとはまったく異なります。眠気、食欲がですぎる、体重増加が主な副作用です。抗うつ薬、睡眠薬、抗不安薬、抗精神病薬などのほとんどの精神科治療薬の服用中には、たとえ夜のみ服用しても自動車の運転はできません。ただし、パロキセチン 、セルトラリン、エスシタロプラムの3種類のSSRIに関しては、自動車の運転等危険を伴う機械を操作する際には十分注意するようにとされています。  

 現在、日本で発売されている21種類の抗うつ薬を個々の患者にどのように使い分けるべきなのかは精神科専門医にとっても難しい問題です。症状に合わせて薬を使い分けることができるとよいのですが、今のところなかなかよい治療方針は提案されていません。入院が必要な位の、しかし高齢者ではない重症のうつ病ではアミトリプチリンやクロミプラミンという三環系抗うつ薬がSSRIよりも有効であると報告されています。また、うつ病に強迫症、パニック症、社交不安症、心的外傷後ストレス障害が合併しているときには、それぞれの不安障害に適用を有するSSRIが保険適用の点から薦められます。 それ以外の点では、抗うつ薬による効果の違いは実際にははっきりしません。抗うつ薬は、症状への効果よりも、患者さんがかかっている身体疾患や現在内服している薬との飲み合わせ、副作用の観点から選択されることが多いと思います。例えば、心臓の病気をもっていますと、三環系抗うつ薬やエスシタロプラムは慎重に投与することが必要です。肝臓や腎臓の病気にかかっていますと、抗うつ薬の用量を減量する必要がある場合があります。緑内障にかかっていますと、三環系抗うつ薬は禁忌です(使ってはいけないということです)。そのほか、様々な内科の薬と抗うつ薬の飲み合わせが悪いことがあり、内科治療に悪影響を及ぼすこともあります。また、副作用が強くでることがありますので、精神科医と精神科以外の科の担当医との相談が必要です。三環系抗うつ薬やミルタザピンでは食欲が出すぎる、体重増加という副作用がありますので、予め患者さんに体重増加の可能性について伝えますと、別の薬に替えて欲しいと言われることがあります。また、高齢者の治療では、副作用の観点から、三環系抗うつ薬よりは、SSRI、SNRI、ミルタザピンが適していると思います。

 

 うつ病の治療は抗うつ薬だけでしょうか。

 よく誤解される点ですが、うつ病は抗うつ薬を服薬するだけでは治りませんし、抗うつ薬を服用しなくても治ることがあります。新薬を発売する前の臨床試験では、抗うつ薬と偽薬(本物の薬に似せた、薬効成分を含まない薬)の効果を比較しますが、抗うつ薬よりは効果は劣るものの、偽薬を服用してもかなりの改善が見込めます。もちろん臨床試験ではたまたま自然に治りかけている患者さんが多く含まれているため、偽薬でもよくなるという可能性もあります。うつ病は自然に改善、回復する性質のある病気ですので、うつ病がどのような病気かについて説明を受け、治ることを理解し、休養をとり、ストレスを受けないようにすることが、うつ病の治療、回復のために非常に重要です。例えば、何も病気について説明をうけないで、過労を続けた状態では、抗うつ薬の効果も期待できません。そのほかに、認知行動療法、対人関係療法などの心理療法も行われます。治療初期は休養が第一ですが、ある程度回復してきましたら、運動、好きなことをするなどの軽作業、人と会う、家事をする、などの回復のための練習をはじめます。睡眠リズムを整えること、飲酒をさけること、栄養バランスを考えた食事をとること、などもうつ病の治療、回復には有効と思います。なによりも、つらいうつ病がなおるものなのだと思うことは希望を与えてくれますし、患者ご本人と家族の気を楽にしてくれます。つまり、抗うつ薬を服用しただけでうつ病がなおるわけではなく、様々な工夫を行う総合的治療がうつ病の治療には重要であると思います。  

 

 抗うつ薬を数種類変更してもよくならないときはどうしたらよいでしょうか。

 以上の総合的治療の一部として抗うつ薬を服用するのですが、抗うつ薬は処方された用量を100%服用することが大事です。しかも、保険で定められた最高用量まで増やして、4〜6週間程度服用して、はじめてその抗うつ薬の効果がなかったかどうかを判定することができます。もちろん、つらい副作用を我慢する必要はありませんし、その場合は必要な量と期間の服用をしなくても他の抗うつ薬に変更することができます。必要な量と期間服用しても症状がよくならないとき、他の作用機序の抗うつ薬に変更します。たとえば、SSRIを最初に服用して症状がよくならないときには、SNRIやミルタザピン、三環系抗うつ薬に変更します。抗うつ薬を数種類変更したり、作用機序を考慮して2種類までの抗うつ薬を併用したりしても、症状がよくならないときには、抗うつ薬以外の薬を抗うつ薬に併用する治療もあります。例えば、SSRIやSNRIに少量のアリピプラゾールを併用すると症状がよくなるときがあります。 その他に、電気けいれん療法、精神療法などの治療の導入が、次の治療候補として考えられます。2種類以上の抗うつ薬を服用しても症状がよくならないときには、診断を再検討します。高齢者では認知症の初期との鑑別診断が必要ですし、どの年齢層でも双極性障害のうつ病相である可能性、統合失調症である可能性も検討します。特に、双極性障害の患者さんの多くは、うつ病相で発症し、初期にはうつ病相を繰り返します。長く経過をみていくうちに躁病や軽躁病が出現して、双極性障害であることが判明する場合が少なくありません。うつ病と双極性障害のうつ病相は症状だけからは区別は難しいのですが、治療法がまったく異なりますので、常に2つの病気の可能性を考えておく必要があります。双極性障害のうつ病相には抗うつ薬ではなく、オランザピン、ラモトリギン、リチウム、クエチアピンなどの薬が治療に使われます。オランザピン以外の薬は、厳密にいうと日本では双極性障害のうつ病相の病名に健康保険は適用されません(ラモトリギンは双極性障害の予防療法、リチウムは躁状態・躁病の病名に健康保険が適用されます。海外で双極性うつ病の治療に使われるクエチアピンは日本では統合失調症の病名にのみ健康保険が適用されます)。