人間の肉体は魂にとっての「器」である

大川隆法総裁 未来への羅針盤 ワールド・ティーチャー・メッセージ No.199  参考

 西洋医学は、正確に言えば、唯物論のほうに傾いていると言わざるを得ないところはあると思います。哲学的には、デカルトやカントの流れがさらに純粋化してきて、肉体的なことと精神的なことを切り離してきた流れが科学として残って、そういうふうになってきているところはあると思います。

 ただ、「事実がどうであるか」ということは、やはり大事なことです。現実には、「魂と肉体を融合したもの」が人間です。これは、各種の霊言集を出して、ずっと実証をやっております。

 人間は、やはり、魂と肉体が合体して存在するものです。たとえて言えば、いくら卵が、自分に中身があることを信じていなくて、「私は殻だけであって、中身はないんです。外側の殻だけが卵です」と言っていたとしても、やはり、中に入っているものがあってこそ卵なんですね。こういうことを言っているだけのことです。殻を否定しているわけでもありませんし、中身だけで卵が存在できるわけでもありません。

 器がなくて魂だけでは、この世で修行ができないし、肉体だけで、中身の霊がなかったら、やはり修行になりません。そういう存在であるということが事実なので、唯物論は片方だけ見ているということです。

 もちろん、唯物論的に攻めていって、成果を上げている医療もあることはあるので、私はそれを否定するつもりは決してありません。この世的に研究して、薬なり、治療法なり、有効で成果を上げているものについては、それなりの神のご加護はあるものだと思っています。

 ただ、それによって、霊的なるものを完全に否定する方向に物事が行ってはいけないのだということは、知っていなければいけません。医学系の人は唯物論的になりがちではあるのですが、医学よりも科学として純粋な物理学系統、最先端の物理学になってくると、もう信仰の世界と変わらなくなってきており、神様を信じている人がすごく多くなってくるのです。物理学や天文学をやっていると、だんだん、信じるようになってくる人が多いのです。神秘の世界を垣間見ていると、どうしてもそうなってくるのです。

 この辺の未知の領域は、未知の領域としてまだ残っているのだということを、認めることが大事です。

 自分の肉体を簡単に葬られないようにするためには、強い光の思想、繁栄の思想、あるいは邪悪なるものに負けない気持ち、「真実は死なない」という強い気持ちが必要です。こういうものを持っていないと、自分を守れないこともあると思います。

 それを表立って言うか言わないかは別にしても、病気を治すほうの側としては、両方を上手に使い分ける必要はあるでしょう。両方を知って、使えるものは使って、やるべきだと思います。

 さらに、もう一つは、医学で使われる心理学が、まだあまりに幼稚なレベルです。これについては、人間学をもっともっと深く知っておかないといけないと思います。

 まだ、フロイトやユングなどの流れのなかで、医学的にも治療は行われているんだと思いますが、われわれから見れば、間違ったものも相当あることは事実です。また、病気と判定されているなかにも、いわゆる「霊障」に当たるものがかなりあることも現実です。これは、エクソシスト(悪魔祓い師)のところへ行くか、病院へ行くかの違いですけどね。やはり、真実をきっちり知っておいて、光のパワーによって治していくことも、同時にやらなければいけないと思います。

 それから、病気の大部分は、本当に心の持ちようで変えていくことができます。

 「心で何を思うか」によって、人間は自分の未来を設計し始めるのです。肉体をつくるのは、もとは、やはり心です。「自分の未来をどう設計していこうとするか」ということが大きいわけです。治療をしながら、そのことを少しずつ伝えていくことが大事だと思いますね。

 「自分に、まだ、未来がある。将来がある。希望がある。まだ、やるべきことが残っているんだ」ということで、「自分自身で治していこう」という気持ちを本人が強く持って心に刻印し、医者がそれを手伝うという立場でやれば、病気の治りはすごく早いだろうと思います。

 たいてい、メンタルな面から崩れていっております。それで、簡単に人は死ぬものです。しかし、「まだまだやれるんだ」ということを、やはり、教えなければいけません。

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