資本主義は格差が前提

 日本にも「格差是正論」を当然視する風潮がある。だが、そもそも日本が導入している資本主義には「富を集中させて、大きな事業を起こす」という特徴があり、格差を前提にしている。

 お金を稼ぐことが上手い人と、残念ながら、お金を稼ぐことが苦手な人がいる。そうであれば、稼げる人にお金を多く回した方が、より大きな富を生み出すことができる。そうした経験則に立つのが、資本主義の基本的な考え方である。

 当然、その前提にはあらゆる人が活躍できる「機会(チャンス)の平等」を保障しなければならないが、大きな事業をつくるには富の集中が不可欠である。

 逆に、富の集中を否定する思想は社会主義と言える。かつて、社会主義国では、建前上は富裕層も貧困層も「平等」に扱われたが、個人の自由が大きく制限され、加えて平等であるはずの政府高官が暴利を貪り、国民が貧しくなったのは有名な話です。歴史の教訓としては、「自由と平等のいずれが大事か」と問われれば、自由の方が大事なのです。

 

富の集中は国富や文化を生み出す

 現代日本では、共産党などが大企業批判を繰り返し、若者の不満を取り込もうとしている。戦前にも「財閥批判」が多く見られた。だが、大企業や財閥に富が集中した結果、何が起きたか。数多くの会社や雇用が生まれ、日本を世界屈指の「経済大国」に押し上げた。

 また、経済力だけでなく、富める者が力を持てば、芸術や音楽などの新しい文化を創造する。松尾芭蕉や、市川團十郎などが活躍した江戸時代の「元禄文化」も、町人の力が強くなった結果として生まれたもの。美術館に行けば、何百年も前の絵画を見られるのも、富の集中の恩恵である。

 資本主義を批判する人たちは、こうした視点を見落としがちです。

 

資本主義に足りないもの

 確かに、資本主義にも問題がある。富裕層が「合法であれば何をやってもいい」という拝金主義に走れば、「人間として大事なものを忘れている」と思うかもしれない。

 その大事なものとは、困っている人に手を差し伸べる「騎士道精神」です。富裕層が自ら築いた巨富をより多くの人々のために使えば、それだけ尊敬を集められ、神仏からも愛されるはず。そうしたあるべき姿、一種のカルチャーになれば、成功者は多く生まれるでしょう。

 宗教的な騎士道精神が問題をはらむ資本主義を脱皮させるのです。

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