霊系団の競争

幸福の科学の霊界観

 幸福の科学の霊界観は、神様と呼べる霊格の高い存在が、天使、菩薩、如来、大天使と、いろんな種類の方々がいて、それぞれ霊言を下ろして存在証明をなしているのです。

 それぞれの宗教で「ウチの神こそ本物だ」と主張するが、その理由は、数多くいる天使、如来、菩薩の誰かがその教祖を指導していて、我こそが神様だといっているので一神教になっているだけの話です。新宗教でも一神教はたくさんあります。本当の意味は、他の宗教がすべて間違っているのではなく、たまたま誰が指導しているかということの違いだけなのです。

 一神教になりがちなのは、多神教にすると教団の方針が混乱しやすく、違う人(高級霊)が違うことをいうとブレやすいためなのです。神様同士が喧嘩するので一人に絞る傾向があります。それが一神教の発生原因です。いろんなところで、その民族の神々がいて、新しい宗教が生まれたのです。その中で、メジャーな神々(地球では10人の9次元霊)が何千年かたって広がっていく時に世界宗教となり、他の宗教を排除するようになります。それが宗教的紛争の原因になっています。幸福の科学は、そういう世界観を明らかにした地球で始めての先進宗教なのです。

 もう一つ違っているところは、神様は神学的にも哲学的にも宗教的にも、はるかな崇高な次元の存在で、見ることも聞くことも触ることもできない抽象的な存在、届かない存在だという捕らえ方をしやすい。ただ、悟りを高め、よく眼を凝らして見ると、一神教といわれる世界宗教のキリスト教をみても、神様は人格神です。イエスが「わが父」と呼んだように、明らかに喜怒哀楽があり人間的な神です。旧約聖書にも笑ったり怒ったりする神様が出ています。イスラム教も「われ以外神なし」というのも、抽象的な、この世に生まれることのない無限の存在としての神様として持ち上げることはあっても、教えや指導原理を見るかぎり、過去世において、一定の指導者として成績を上げた宗教家や政治指導者です。エジプトの王様などが神格化されて神様になっていくのです。

 

霊系団の競争

 神という言葉で呼ばれてはいても、レベルの異なったさまざまな性格の神の集団(霊系団)が霊界には存在している。

 この神の世界にも覇権競争があって、どの霊系団の神さまの教えが優れているかを競っている。

 昔は、それぞれの国の民族神(霊系団)が、いわば「お山の大将」のようにしていることができたが、この世が国際社会になってきたのに連動して、霊界でも相互交流が始まっているのです。

 大川隆法総裁は、著書『奇跡の法』の中で以下のように説かれました。

「宗教界にもいちおう覇権競争があり、「どの教えが多くの人に支持されるか。どの教えが多くの人を幸福にするか」ということについて、それぞれの神々には、「自分たちが最高だ」とうぬぼれているところがあります。そして、実際にどうなのかということは、実験してみないと分からないのです。しかも、その実験は、何百年も行わないと、なかなか結果が出ません。何百年もやってみて、その宗教を信じる人たちが、どのような運命をたどるかを見れば、だいたい分かってくるのですが、一世代ぐらいでは、なかなか分からないのです。たとえば、ユダヤの神は、「われこそは最高神だ」と言って、ユダヤ人に契約を結ばせましたが、ここ二千年間のユダヤ人の放浪の歴史を見れば、ユダヤの神がいちばん偉い神でないことは明らかです。いちばん偉い神がついている民族が、国を持てずに二千年も放浪するわけはないのです。ユダヤの神は間違いなく民族神であり、ナンバーワンの神ではありません。ほかに、もっと偉い神や強い神、メジャーな神がいたことは明らかです。それは歴史を見れば分かります。ある国を治めている神の意識と、その国民、民族のトータルの能力や意識とは非常に関係しており、国民のレベルが上がると神の格も上がるのですが、国が目茶苦茶になると神の格も下がるのです。最悪なのは、治めていた国が戦争等によって滅びた場合です。そのときには、その霊団そのものがなくなってしまうことがあります。国がないと、治めることも地上に生まれることもできません。そのため、そこで霊団をつくっていた神々は、しばらくすると、ほかの国に生まれはじめます。また新たな転生輪廻をして、違う道を選ばなければならないのです。こういうことは、過去、何度もありました。国が滅びると、そこを治めていた神々は、ほかの所に肉体を持って転生し、別のことを始めます。そして、別の霊系団ができてくるのです。かつては交通の便が悪かったので、一つの国、一つの民族のなかでの転生輪廻が数多く行われました。そのため、宗教と民族とがかかわって、その国の霊界、一つの霊界が非常にできやすく、オリンポスの山のような霊界が各地にいろいろあったのです。しかし、最近は交通の便がよく、国際的な行き来も多いため、この世だけでなく、あの世でも相互交流が始まっていて、「神々の世界で、どういう新たな価値秩序をつくるべきか」という大きな運動が起きています。」

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