霊太陽

 幸福の科学大川隆法総裁は、著書『大悟の法』の中で以下のように説かれました。

「実は、この世の太陽とまったく同じものが霊界にも存在しています。それは霊太陽といわれる存在です。霊太陽は、地上で見る太陽とは少し色合いが違い、やや白っぽく見えます。この霊太陽が、大宇宙の生命たちに光のエネルギーを送り込んでいるのです。霊太陽の霊的エネルギーと、この世の太陽の光エネルギーとは、実は同じエネルギーの裏表なのです。この世に物質化して現れる場合と、物質化しない場合という違いだけで、エネルギーとしては同じものです。これが、霊界のものと、この世のものとが、行ったり来たりする理由です。最近の先端的な物理学でも、素粒子のなかには、「物質、物体のような現れ方をしたかと思うと、突如、消えてなくなる」というものがあることが分かっています。「姿が消えては、また現れてくる」という、出たり消えたりする幽霊のような素粒子が、数多く見つかっています。これは実は、霊的エネルギーと、この世的エネルギーのあいだを、行ったり来たりしているのです。極小の単位、いちばん小さな単位において、霊界とこの世を行ったり来たりしているわけです。そのようなことが起きるのは、霊太陽のエネルギーと地上の太陽のエネルギーとが表裏一体のものであるからです。  

 霊太陽から出ているエネルギーは、この世の太陽の光エネルギーと一体化して、大宇宙のなかを進んでいます。霊太陽のエネルギーは霊界に生きているものたちを満たし、この世の太陽光のエネルギーは植物や動物たちを養っています。そして、その二つのエネルギーが転生輪廻を経て合体しているのです。共に裏表になりつつ、二つになり一つになりしながら、大宇宙のなかを巡っているのです。物理学の法則のなかにも、「物質とエネルギーは同じである」というものがあります。「物質はエネルギーの表れにしかすぎない。物質はエネルギーに変換することも可能である」ということが知られています。これは物理学の法則としては知られていますが、その現実の意味を、大多数の人々は知らずにいます。それは、「霊界とこの世は置き換えることができる。互換しうる。そこには置換法則が働く」ということです。霊的存在が、この世の存在として現れることもでき、また、この世の存在が、霊的存在に移行することも可能なのです。したがって、虚空のなかから物質が出現し、この世に存在することは可能です。また、この世に存在するものが、蒸発するかのごとく消えていくことも可能です。人間は、そのようなエネルギー磁場のなかに生きているのです。」