量子力学

量子とは

 量子とは、物質の最小単位の粒子のことで、素粒子などがそうです。全ての物質は、水素や酸素、炭素などの原子が組み合わさってできていますが、その原子をさらに細かく分けると、電子や陽子、中性子になります。他にも、クオークなど様々な種類があり、総称して素粒子と言います。「量子の運動を表すための学問」が量子力学です。量子の学問がある理由は、私たちが普段目にする物質とは運動法則が大きく違うからです。

 量子は、単に「小さい」だけではなくて、原子より大きい世界に存在する「物質」とは振る舞いが異なります。 電子は「量子」なので、「電子1個だと水素、2個ならヘリウム・・・」という、物質の世界では起こらないような現象が生じます。

 電子は波のような「波動性」を持っています。電子が、どのような形の波動になっているのか、それを数学の関数の形で記述したものを 「波動関数」と呼びます。 電子は「波だけ」ですから、その波の状態を表す「波動関数」がわかれば、「電子」を理解できるはずです。

 波動関数を知るためには、波動方程式という名前の方程式を解く必要があります。これを解くと、 その答えとして波動関数が得られます。 その方程式を解くために、「作用素」と「固有状態」を使います。

 

量子と概念の世界

 世の中のすべてが「原因→法則→結果」の図式に従っているわけではなくて、「固有状態→作用素→固有状態」という形式の系も存在しております。 そして、固有状態は作用素の本質を表します。作用素自体ではなくて、作用素の「本質」を表わしている。

 原子より内側の量子の振る舞いを規定する「波動関数」は、この固有状態となっています。 そして、量子の世界の本質を表す最も重要な関数です。

 「原因→法則→結果」の図式では説明できなかった量子の世界のミステリーは、量子を「モノ」としてではなくて、「状態」と考えることで解決されます。概念(コンセプト)も「モノ」ではありません。であるなら、「固有状態→作用素→固有状態」の量子数理を、概念の世界にもそのまま適用できるのではないかと考えられます。量子系の固有状態として、抽象(コンセプト)の本質を可視化する方法です。

 量子数理は、単に「原子より小さい物理の世界の法則」ではなくて、より広く モノ以外の状態全般の法則であると考えてみるのです。

 電子は「モノ」ではないから、モノのように因果法則には従わない。電子の波動関数を知るには、因果法則とは異なる「量子数理」が必要でした。

「概念」というのも、「モノ」ではないという点で電子と共通点がある。ならば、量子数理を概念の世界にも適用することができるのかもしれないのです。

参考

因果関係を超えて

 物理学に限らず、医学や経済学や心理学でも、「原因に法則が作用して結果を生じる」と考えるのが普通です。 いわゆる「因果関係」という考え方です。 この「原因→法則→結果」の形式は、「入力→作用素→出力」と一致しています。

 ほとんどの近代科学が、「結果には必ず原因がある」という前提の上に成立しています。 そして、原因が結果へと変換される「法則」がどのようなものであるかの研究に邁進します。 法則さえ解明できれば、望ましい結果が得られるように、物事をコントロールできるようになるからです。

 ところが、固有状態というのは、原因(入力)と結果(出力)が一致する状態です。これは、「因果関係」という枠組からみると、想定外の事態です。

 しかし、これが「量子の世界」の原則です。 原子の外側では「原因→法則→結果」があたりまえですが、原子より内側には、それと異なる世界が存在します。

 モノとは違って、抽象概念については、それが「原因」なのか「結果」なのかさえ、判然としないことも多いものです。 そもそも「抽象概念」というものは、多数の概念との関係性の強弱が生み出す「波」のようなものです。 さらに、それが物質の波動ではない点でも、「量子」と似たところがあります。

 「量子力学」と「抽象概念」には、親和性が存在します。 抽象概念を「量子系」と捉えて、量子力学系の数理を、そのまま応用できます。

 

科学観の転換

 原因が法則に作用して結果を生むというパラダイムは、近代科学の父であるニュートンの考え方そのものです。 経済学も、医学も、社会学も、消費者行動論も、現在の近代科学は、文系、理系を問わず、このニュートン物理学の影響を受けています。

 ガリレオやニュートンの本当の業績は、物理の世界ではなくて、中世のキリスト教的世界観から、近代科学観への、大転換の礎を提供したところにあります。  量子力学は、その近代科学から、更に次の時代への、きっかけとなるものです。

 近代科学は「法則」を研究します。法則が「未知」だからです。 しかし量子数理では固有状態の方を探すのですから、「未知なもの」が逆になります。

  近代科学では、データ(原因)を、計算式(法則)に入れると「結果」が得られます。これに対して、データを量子系として扱いたい場合には、作用素の位置に置いて、その固有状態を求めることになります。 固有状態は「結果」と似ているようですが、入力とも一致している点で大きく異なります。 作用素(データ)から固有状態を「計算する」ことはできません。 それが固有状態かどうかの「検算」ができるだけです。

 データを置く位置が違うだけではなくて、「計算式」が存在しないことも量子系の特徴です。 近代科学では、計算式(法則)を考え出すのは人間です。 量子系では、その必要がありません。強いて言えば、作用素のデータの裏側に、見えない形で法則が存在しています。

 量子数理は、近代科学から「次世代」へと、科学観を転換します。

 

「物理的実在論」と「量子的実在論」

 「物理的実在論」とは、我々の目の前にある物理世界が現実であり、それ単体で存在しているという考え方である。

 一方、「量子的実在論」とは、量子的世界こそが現実であり、仮想現実としての物理世界を生み出していると解釈します。

 物理的実在論では物理上の事実を扱えないことがある。前世紀の間に物理学がぶち当たったパラドックス は、現代においても解決されないままであり、ひも理論や超対称性といった有望な理論であっても突破口は見えていない。対照的に、量子的実在論であれば、その パラドックス を説明できる。だが、非現実が現実を予測するとは如何なることなのでしょうか?  量子力学は物理次元の原因であるために、これを予測することができる。量子もつれや重なり、ある点で崩壊する量子波は、物理的にあり得ない現象である。そのため、歴史上初めて存在しないものに関する理論が存在するものを予測するという事態が発生した。

 そして、量子世界では、物理世界はこれが仮想現実でない限りはあり得ないことになる。

 量子的実在論は、量子論の等式を1つのネットワークとプログラムによって再解釈したものである。これが前提とするのは、物理世界は情報処理出力であり、本当の世界が別の場所にあると言う仮説である。物質は固定された量子波として光から進化したものである。そして、ここから真空の光が衝突することで物質が作り出されると予測する。それとは対照的に、標準モデルでは光子は衝突できないとしている。

参考・引用

量子力学とは

 固有状態は本質を表します。固有状態である波動関数は電子の本質を表します。 固有状態になれないような関数は、電子の波動関数ではありません。

 一言でいえば、「固有状態である波動関数を探すのが量子力学」なのです。

量子力学への歩み

シュレディンガーの波動方程式

 古典論では、微分方程式の解で複素数が出てきた場合は、ことごとく虚数部を捨て、実数部のみを現実の解とすることが常套手段です。しかし、波動力学では、複素数そのものが実在であると考えるのです。そして、この複素数の関係をシュレディンガーは波動関数と名付けました。波動関数はド・ブロイ波から生まれた概念です。

 シュレディンガー方程式が正しいことを実証する方法は、様々な場合について、微分方程式を解き、その結果が実験に一致することを確認しなければなりません。長い年月の検証に耐え、シュレディンガー方程式は、ニュートン力学において運動方程式が果たした役割を波動力学において担い続けているのです。

 どんな関数であれ、何らかの作用素の作用を受ければ、変化する方が「普通」で、作用した結果が入力と一致するというのは「特殊」な場合と考えられます。  それなのに、電子の波動関数は、必ず固有状態になることがわかっています。

 「特殊な状態」のはずの固有状態が、量子の世界では「普通」になります。 「普通」と「特殊」がひっくり返る、この感覚は重要です。 従来の物理学が発展して量子力学に辿り着くのではなく、それまでの常識を逆転したような形になっています。

 この「固有状態」という概念には、さらに深い意味が隠されています。 

 三次元以上の空間は非常に複雑な空間だと考えられています。それをカラビ・ヤオ空間と呼ぶわけですが、極めて難解な空間です。その空間の中のいろいろなところに膜の宇宙があり、その膜宇宙は三次元に限らず四次元、五次元とさまざまなものがあります。しかも物理法則もそれぞれの宇宙で異なります。そう考えると、無限に近い宇宙が存在することになります。そして、無限に近い宇宙があるという話は、曼陀羅によって表されている仏教の三千大千世界につながります。われわれの住む宇宙はどの宇宙なのか。また他にどのような宇宙があるのか。これを解明することが膜宇宙論の大きな課題かと思っております。

 次に、量子力学の描く多世界解釈でのマルチヴァースについてですが、この理論はミクロの世界を支配している法則です。例えば、腕時計やパソコンの半導体の内部では量子力学に従って電子が運動しています。しかし、この理論は本当に常識では考えられないような理論の展開になっています。つまり、すべての粒子は波であり、しかも、伝播してくる波を観測すれば収縮して場所が決まりますが、それは確率的なのです。観測ごとにその結果は変わってきますから、波としての確率的な予言しかできません。「シュレディンガーの猫」の話があります。箱の中に猫と放射性物質を入れます。放射性物質は崩壊すると毒物質を発生させます。崩壊すると猫は死にますが、箱を外側から観察している人間にとっては生きているか死んでいるかわかりません。両方の状態が同じ確率で波として存在している。箱を開ければ、生きているかどうかわかります。つまり観測するまでは生きている状態と死んでる状態が重なっている状態だという妙な理論です。この理論をもう少し論理的に説明できるのが多世界解釈というものです。つまり猫が生きている世界と死んでいる世界、そこに両方の確率があれば、確率ごとに世界は分裂していくという立場です。タイムマシンも、この理論に当てはまるわけです。量子力学の描く世界では、このように宇宙は無限に分岐しているというものです。これも、証明できるかという話とは無縁の原理ではあります。

 量子力学の一つの解釈によると、量子的実在を全宇宙の構造から切り離して記述することはできず、個々の粒子の状態は、全世界との関係で考えられたときに初めて意味をもつ。量子物理学では、観測者の行為は付随的なものではなく、量子力学の記述には、観測者の行為が不可分な形で入ってくる。観測という行為を通じて、われわれと量子的世界とは不可分につながっていて、両者を分離して考えることはできない。個々の物質の粒子は、それだけでは基本的なものとして記述することができず、測定装置を含めて、全体として取り扱われた全粒子の集団としてのみ存在しうる。粒子は、観測者を含めた全体との関連においてのみ認識されるのである。量子力学では、観測主体と観測対象の分離が許されない。自然科学は、客観的観測者として自然に向き合っているのではなく、それは、自然と人間の相互作用である。マクロの世界とミクロの世界は密接に関連しており、構成粒子だけから物質の完全な理解を構成することはできない。全体としての系のみが、微視的な存在の具体的な表現を与えることができる。したがって、素粒子が集まって大きな物をつくるというよりも、世界を関係のネットワークとしてとらえる方が正確である。宇宙は対象物の集まりではなく、振動するエネルギーパターンが分かちがたく織り成した織物で、その中のどの要素も全体と独立した存在ではないのである。宇宙を構成する原子に具体的実在性を与えるためには、その前に全体としての宇宙が必要である。宇宙は部分の総和ではなく、宇宙には一体性があるのである。全体が部分を支え、部分が全体をつくる。宇宙と原子は互いに他を支えており、この二つは世界の分離できない両面である。大と小が共存し、一方が他方を全体的に包含することもできなければ、一方が他方を全体的に説明することもできない。微視的世界と巨視的世界は絡まりあい、決して分離できないものである。そうだとしても、次の事実は明確である。世界のすべての現象が、全宇宙のこれらの構成要素と相互作用に帰せられる。現在の科学は完全というには程遠い状況にあるが、今日でもいくつかの基本粒子と相互作用によって、非常に多くの現象が説明されている。世界についての科学的な理解は、いわば緒についたばかりである。体系的・組織的な科学の研究が始まってから、数百年しか経過していない。今後の科学の発展により、いずれはすべての自然現象が、少数の構成要素といくつかの法則とによって理解されるようになる、と考えるのも理由のないことではない。

 

霊と物質との相互作用

 ニュートンが主著『プリンキピア』で万有引力の法則などについて述べ、古典力学(ニュートン力学)を創始したのが1687年のこと。量子力学の基本であるシュレディンガー方程式が発表されたのが1926年。古典力学が確立してから約200年後に量子力学ができたわけです。もちろん、古典力学を覆すような現象が起きてから、理論の確立までには、数十年かかっています。

 そして、今は、量子力学ができてから約100年になります。ようやく、乱数発生器や量子テレポーテーションなど、量子力学に基づいた装置や機器が普及し始めました。そろそろ、現在の理論では説明できない現象が発見されるころかもしれません。

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