科学は宗教の一部
科学の出発点は、「科学は宗教の一部であり、宗教をより深く知るために科学がある」というものでした。
これまで、数多くの宗教家が「神がいる」ことを証明しようとしてきました。神の声を聞き、命を投げ出して信仰を守った人も、歴史上数多くいます。思い込みや偏見、誰かの否定的な言葉から自由になり、目隠しを外して「神」の存在に向き合った時に、初めて これまで見えなかったものが見えるかもしれません。
「宗教は科学的じゃない」「宗教に入信するのは考えるのをやめた人、頭が悪い人」「神はいるというならば存在を証明してみせろ」。このように科学を引き合いに出して宗教を批判する人は多いでしょう。
しかし、歴史を振り返ると、一流と呼ばれる科学者の多くは、宗派を問わず何かしらの信仰を持っています。
一流の科学者が語る信仰の言葉
ここでは、一流の科学者が語る信仰の言葉に焦点を当ててみます。
ガリレオ・ガリレイ 天文学の父 地動説を唱え、異端審問にかけられた
「数学は、神が宇宙を書くためのアルファベットだ」
神の上に科学があるのではなく、科学の上に神があることに気づかされます。
アイザック・ニュートン 近代物理学の祖 万有引力を発見した
「目の前には、いまだに手のつけられていない真理の大海が横たわっていた。私は、その浜辺で滑らかな小石やきれいな貝殻を拾い集めていたにすぎない」
ニュートンほどの科学者であっても、これほど謙虚なのかと思い知らされます。
ゴットフリート・ライプニッツ ドイツの数学者 哲学、物理学など多分野で卓越した業績を残した
「神が存在するとか、あらゆる直角が等しいというようなことは、必然的な真理である」
「証明できないものは存在しない」などと主張する無神論者に釘を刺すような言葉です。
ブレーズ・パスカル フランスの数学者 思想家でもあり、「人間は考える葦である」という言葉が有名
「信仰は証明とは異なる。証明は人間的なものであり、信仰は神の賜物である」
人間的なる「証明」で神を捉えようとするのは傲慢であることを教えられます。
マイケル・ファラデー 電磁気学・電気化学の分野で優れた業績を残したイギリス人科学者
「慈母の頬を流れる涙の中に、科学も分析し得ざる尊い深い愛情のこもっていることを知らなければならぬ」
敬虔なキリスト教徒でもあったファラデー。愛や慈悲など、科学的に分析するのが困難な概念の中に、神仏の御心があると気づかされます。
マリー・キュリー 放射線の研究でノーベル物理学賞・科学賞を受賞したポーランド出身の科学者
「天から与えられている何ものかに、ぜひとも到達しなければならない」
科学を通して、神が創られた世界を解き明かそうと謙虚に研究し続けたキュリー夫人の姿が浮かび上がります。
アレクシス・カレル ノーベル生理学・医学賞を受賞したフランスの外科医
「祈りは、地球の引力と同じ現実的な力である。医者である私は、人々が、他のあらゆる治療法で失敗した後に、祈りという厳粛な努力によって病気や憂鬱から救われた例を数多く目撃した」
「ルルドの奇跡」の目撃者でもあったカレル博士の言葉には説得力があります。
アルベルト・アインシュタイン 相対性理論などを提唱 20世紀最大の物理学者、現代物理学の父と称される
「宗教なき科学は不完全であり、科学なき宗教は盲目である」
宗教と科学は相反するものではなく、共存するべきものという考え方に意表を突かれる人も多いのではないでしょうか。
湯川秀樹 日本を代表する理論物理学者 日本人初のノーベル賞である物理学賞を受賞した
「科学がすべてであると思っている人は、科学者として未熟である」
『目に見えないもの』という著作でも知られる湯川博士の信仰観がうかがえる言葉。科学を極めれば極めるほどに、科学では説明できない概念があることを悟ったのかもしれません。
山中伸弥 iPS細胞の研究でノーベル生理学・医学賞を受賞
「生物学をやっていると、それこそ『これは神様にしかできない』と思うようなことがたくさんあります」
生物分野で最先端の研究を続ける現役研究者の言葉だけに、科学が進めば進むほど、神秘を目の当たりにすることを予感させてくれます。
夢で大きな発見をしてきた科学者たち
中世から近代にかけての科学者、コペルニクス、ガリレオ、パスカル、ニュートン、エジソン、アインシュタインなどが信仰を持っていたことは有名です。その他にも、神秘体験をした科学者は多くいます。
例えば、地質学者・動物学者で、米ハーバード大教授だったルイ・アガシー(1807~73年)。アガシーは大著『化石魚類』の著者として知られていますが、魚の化石の研究をする上で、夢の力を使っていました。アガシーが採取した魚の化石は、体の一部分にすぎず、完全な姿を復元できずに困っていました。しかし、ある日夢の中に魚の全体像が現れ、その姿を確信。次の日、再び魚の夢を見て、枕元に置いておいた紙とペンで魚の全体像を描いたといいます。
ドイツ生まれで、オーストリアで研究を行っていた薬学者のオットー・レーヴィ(1873~1961年)は、神経刺激が化学的伝達で起こることを発見し、ノーベル医学・生理学賞を受賞しました。このアイデアも夢から来ていました。レーヴィは、夢で カエルの心臓を用いた実験の構想を得ました。飛び起きたレーヴィはすぐに実験室に向かい、夢で見た実験を行ったところ、神経を刺激する化学物質が心臓の機能を調整していることを証明できたのです。
米ペンシルベニア大学の考古学者ヘルマン・ヒルプレヒト(1859~1925年)は、シリアのベル神殿から出土した二片のメノウに書かれた文字を解読している時、神官がその意味を告げる夢を見て、新事実を知る手がかりをつかみました。
超常現象に関わってきた科学者たち
人類として6番目に月面を歩いたNASAの宇宙飛行士エドガー・ミッチェルは、宇宙でESP研究を行ないました。
ミッチェルには霊媒師の友人がいたため、心霊現象に興味を持っていました。NASAはテレパシー実験を行うことを認めませんでしたが、ミッチェルが空き時間を使って、極秘に実験することは許可しました。しかし、テレパシー実験を行うことが外部に漏れ、全米で報道されてしまいました。
ミッチェルは、後に「神の存在はほとんど容易に知覚できるようになった。宇宙での生命は無作為な過程によって起きた偶然などではないことが私にはわかった」と述べています。
発明王トーマス・エジソンは、晩年、霊界の魂と通信できる霊界通信機をつくろうとしていましたし、エジソンのライバルだったニコラ・テスラは、かなり霊感が強いタイプでした。
テスラは、自身が見た奇妙な幻を元に、電気モーターや真空管方式の光通信、タービンエンジンなどを発明。母が死んだ日にそれを暗示する夢を見たり、姉が危篤状態にあった時に、悪い予感がして電報を打ったり、ペットの鳩とテレパシーによる意思疎通をするなど、不思議な現象を幾度も体験していました。しかし、彼自身はその体験を霊能力とは認めていなかったようです。
現在も、4割くらいの科学者が神を信じているという調査もあります。
こうした事例を見ると、科学者があの世や霊、神の存在を信じることは、まったく不自然なことではありません。宗教が科学を包含するというのは、普遍の真理だからです。
科学技術思想が霊界や宗教的神秘性を完全に否定する場合には、それは違うと言わなければならない。
事実として、現にあの世はあるし、人間は霊的存在として転生輪廻しており、魂が肉体に宿って存在しているというのは、断固として譲れない一線である。
そのうえで、宗教は科学や技術の進歩、発展を阻害するのではなく、この世の発展を許容する原理も持っていなければいけない。
幸福の科学大川隆法総裁は、著書『奇跡の法』の中で以下のように説かれました。
「第一に、宗教は科学や技術の進歩、発展を阻害するようなものであってはいけません。かつて教会は地動説を認めませんでしたが、そのような宗教であってはいけないのです。どんどん変化していく科学的な進歩が、たとえ宗教思想と矛盾するものであったとしても、ある程度、それに耐えられるだけの寛容性は必要です。また、「当然ながら、時代は変わっていくものだ」という認識は要るのです。一方、科学技術思想が、霊界や宗教的神秘性を完全に否定するところまで踏み込んだ場合には、それに対して、やはりノーと言う思想を持っていなければいけません。一定の線を越えてはいけないということです。明治以降、宗教は、この近代科学技術の流れに負けそうになっており、宗教学そのものにおいても、論理性や合理性などを中心にするような学者が増えてきました。科学技術のほうは常に進歩していきますが、宗教は何千年も前から内容が変わらないので、当然ながら、そのままだと敗れていくのです。「私は、あの世など、ほんとうは信じていないのです。霊魂なんて古臭いですね」などと言いながら、お墓を守っているお坊さんがいます。しかし、それは事実とは違うのです。現にあの世はありますし、人間は霊的存在として転生輪廻しており、魂が肉体に宿って存在しているのです。これを知らなければいけません。ここは譲れない一線です。たとえ、迷信と言われようと、神話と言われようと、断固、この部分は守らなければいけません。そのうえで、この世の発展を許容する原理も持っていなければいけないということです。」