臓器移植によって拒絶反応

 幸福の科学大川隆法総裁は、書籍『霊界散歩』の中で以下のように説かれました。

 「臓器移植は、臓器の提供者が、執着を持たず、愛の行為として、「他の人にあげたい」という純粋な気持ちで行うなら、悪いことではないようにも思えます。しかし、実際には、死んでも、すぐには自分の死に気づかない人がほとんどであり、死後、スムーズにあの世へ移行することができず、しばらくのあいだは、何が何だか分からない混沌状態に置かれることが多いのです。  その段階で、生前は「自分の臓器を他の人にあげよう」と言っていた人が、ほんとうに自分の臓器などに執着を持っていないかというと、疑問があります。たいていの場合は、肉体への執着があるので、移植先の人のところへ魂も引っ越し、その人に取り憑きます。臓器を貰う側にとっては、「庇を貸して母屋を取られる」ではありませんが、「臓器を貰って体を取られる」ということになるのです。その結果、「臓器を貰うと、人格が変わり、別人のようになってしまう」ということが数多く起きています。これについては真相を知っておいたほうがよいでしょう。臓器移植によって、「拒絶反応」が起きることもありますが、「人格が変わる」という例も多いのです。これは臓器提供者の霊に完全憑依をされることが原因です。しかし、その霊は簡単には追い出せません。「この臓器は私のものだ」と言い掛っており、その主張には一定の正当性があるので、なかなか追い出せないのです。魂と肉体とは「霊子線」(シルバー・コード)というもので一対一に結びついているのですが、臓器を移植された人は、もう一つ、臓器の部分で他の魂と結びつきができるので、どうしても二重構造の人格になってきます。臓器を提供してくれた人が、たまたま、天使のような、善意の人だったらよいのですが、霊的に見て悪い人から臓器を貰う場合も多いでしょう。「やくざの抗争で撃たれて脳死状態になった人の心臓を移植される」といぅことにでもなったら、たまりません。おそらく、かなりの人格変化を起こすでしょう。そういう意味で、悪い人の臓器は貰いたくないものです。貰うと、相手の悪い人格がザーツと入ってきてしまいます(中国では死刑囚の臓器を使うという)。霊は、臓器を提供していなくても、この世の人に憑依するのです。ましてや、臓器という足場、橋頭堡があると、非常に強力です。「この世で生きたい」という執着がある霊は、そういう足場があれば、ずうっと居座ります。これは、その霊の意識の一部が臓器とともに入っているので、そう簡単には追い払えないぐらいの強さです。臓器移植は、霊的な真相をよく知っていないと怖いものなのです。臓器移植をするのならば、その辺の真相をよく知った上で行ってください。」