八正道

 「八正道」とは、2600年前のインドでお釈迦様が説かれた、人類を幸福にするための具体的な反省の方法論。目でものを見て判断し、判断に基づいて言葉を出し、行動し、習慣化されていくという、人間が情報を収集して結論に至るまでの8つのプロセスに沿って反省する論理的な内容です。

「正見」→「正思」→「正語」→「正業」→「正命」→「正精進」→「正念」→「正定」

 八正道を知るには、まず、前提として四聖諦(ししょうたい)について知る必要があります。

四聖諦とは、お釈迦様がこの世を4つの(ことわり)に分けて考えたものです。 苦(く)・集(じゅう)・滅(めつ)・道(どう)の4つの理です。

苦諦:人生は苦である

集諦:苦の原因は「割愛」にある

 (割愛とは、欲望のことを指し、煩悩や欲求、愛欲など人間の持つ様々な限りない欲のこと。)

滅諦:苦を滅した境地が悟りである

道諦:その悟りに到達する方法は八正道の実践である

 四聖諦の諦は諦めという意味ではなく、「物事の本質を明らかにする事」「真理」という意味です。

 

釈迦が説いた仏教の本当の『八正道』

正見

 自分は正しい信仰に基づき、ありのままに正しくものごとを見たか(如実知見 にょじつちけん)

 正しく人を観察したか。仏のような心でもって人々に接したか。

 正しい世界観、人生観を素直に受け入れたか。

 先入観を排除し、白紙の状態に物事を置いて、智慧の眼で見る。

 間違った見解を形成することは心に毒をつくる。

正見

正思

 自分は正しく思ったか。

 自分の修行の志(こころざし)は正当か。

 心の中にむさぼりや怒りや愚癡(ぐち)などの悪い想念を抱かなかったか。

 他人に対して悪(あ)しき想(おも)いを抱いたり、害心を持たなかったか。

 慢心(まんしん)したり、仏法を疑ったりしなかったか。

 仏法に反する考えを持たなかったか。

 また、正しく判断したか。

 仏法真理に基づいた考え方ができているかどうかの自己分析です。

正思

正語

 自分は正しく語ったか。

 自らの良心に恥じるようなことは語らなかったか(真実語 しんじつご)。

 言葉で、他人を傷つけなかったか(悪口 あっく)。

 悟りをいつわらなかったか(妄語 もうご)。

 他人を迷わし、うぬぼれさせたり(綺語 きご)、仲たがいをさせ、不安におとしいれるようなこと(両舌 りょうぜつ)を語らなかったか。

 正しく語る。よい言葉を出す。正しい言葉を出す。仏の心にかなった言葉を出す。

 人の悪口を言わない。嘘を言わない。

 おべんちゃらを言わない。人を仲違いさせる言葉を避けること。その人の人間性を評価するための大きな目安、基準となります。

 人々の苦しみの大半は言葉に起因している。言葉の調律ができれば理想社会となる。

言葉の反省 

正業

 自分は正しく行為をしたか。

 修行者としての戒律を犯すようなことはなかったか。

 手や足やその他の身体器官が、法律に反する殺人・暴行・盗みや、性道徳に反する、不倫(ふりん)や、わいせつ行為、悪質な風俗営業での堕落した行為、ポルノへの傾倒(けいとう)などの罪を犯すことはなかったか。

 あらゆる生命を尊重し、仏・法・僧の三宝(さんぽう)には布施を惜しまなかったか。

 自分の仕事の目的が、みずからの良心、純粋なる心に反するものでないことです。みずからの適性にあった仕事をしていくことが大事です。

 自分の本当の実力が生かせるような仕事であること。自分の本来の目的に反しないことが大切なのです。

 仕事の遂行において、他の人びととの調和を保つことができ、幸せの輪が広がっていくことです。

 多くの人の幸せを増進するような仕事であって、しかも人間関係の調和を目指すような仕事の仕方でなくてはならない。

正業 「正しい仕事」

正命

 自分は正しく身(しん)・口(く)・意(い)の調和のとれた生活をしたか。

 酒やタバコ、賭博(=ギャンブル)、麻薬などにまみれたよこしまな生活をしなかったか。

 生活のなかに不平不満はなかったか。

 足ることを知っていたか。

 万物(ばんぶつ)に感謝をしたか。

 また、仏のくださった24時間を活(い)かし切ったか。

 正しく命を全うする。正しく生活をする。平等な時間の中身をどのように充実させていったか。時間を貴重なものだと考えるならば、一日の枠を一生として考え直し、そのなかで時間をいかに使うべきかに、思いを巡らせなければならない。

 今日で生命が終わると考えたならば、おそらく自分はこのように生きただろうという観点です。

正命

正精進

 自分は正しく仏法真理を学んでいるか。

 修行の気持ちが薄らいでいないか。

 一体どれだけ悪から遠ざかり、善の種をまいたか。

 正しい努力を怠(おこた)っていないか。

 正しく道(仏道・仏法真理)に精進する。三次元(この世)は魂修行の場です。

 人生を魂の学習というテーマに沿った生き方をしているか。努力を積み重ねているかと考えること。霊性の進化、霊格の向上を確かめるということ。

 つまり、悟りのレベルが上がっていくことを意味する。

1 自分自身の真実の姿がよく見えるということです。公平無私なる第三者でもって、あるいは仏の眼でもって、自分自身の真実の姿がよく見えるようになったかどうか。

2 他人の姿を、単に自己とは別個のものと見るのではなく、「大調和のなかにある個人」という見地から眺められるということです。「共にユートピア建設のための光の戦士だ」という眼で見られるということ。

3 人生と世界の存在の意味を深く理解しうるということです。すなわち自らが生かされている環境の意味を道破できるということ。

正精進

正念

 自分は心を落ちつけて、修行とユートピア建設に関する正しい人生計画を抱(いだ)くことができるか。

 自己実現の祈りは、仏の心にかない、悟りを高め、自らの人格をも高めるものか。

 また、仏法真理を深く理解し、教えを正しく記憶しているか。

 自らの想念のコントロールの仕方として正しい目標設定ができているかということ。正しき自己像として、何を描いているか。いつも心で念じていることは何なのか。いかなる目標や計画を立て、いかにしてそれに念いを集中していくかが非常に大事。

 「念」とは精神統一をすればするほど強くなる。高度に発展した反省方法でもあるといえる。

 時間を耐えて、努力を重ねる

正定

 自分は正しい精神統一の時間を持っているか。

 自らの過去の罪を反省し、その日一日をしっかりふりかえり、守護、指導霊に感謝してから就寝しているか。

 精神統一によって心の安らぎを得ているか。

 正しく定に入る。どのようにして精神統一をするか。いかにして異次元世界にある高級諸霊や、その奥にある仏の心を感じ取るか。いかにして仏の心と自分の心とを同通させるか。

 真実の智慧の獲得と、智慧の力による、この世的束縛からの解脱にあります。

 自己の内部をどこまでも深く掘り下げていくことです。内なる守護・指導霊たちと交流できるような境地。

 正定に至って初めて、人間の可能性は無限となるのです。全宇宙の叡智を自分のものとすることができる。

 「宇宙的自己、宇宙の一員としての自己、仏の創られた世界の一部としての自己を、どれほど確認しえたか」

 この八項目が、真説・八正道にして、今日においても、その価値を失わない、人間としての正しい生き方です。そして、このように、毎日毎日を正してゆくことが、非凡な人生を生み、

 仏の高みへと自分を押しあげていく力となるのです。

 この八正道のすべてが完成されたときに阿羅漢の境地に達する。そして次に菩薩へと進化していく。

 祈りとは、仏教では正念と正定という二つの要素に分解され、目的性を持った精神波動を発することであり、そのためには心の調和が必要です。

 つまり、「定に入って念ずる」という行為が祈りにあたるのです。

禅定

八正道を行うメリット

1 内面から輝き、美しくなれる  

 心の中にあった悩みが解消されるため、表情が明るくなって笑顔も増え、輝きが増して美しくなれる。

2 心が折れなくなり、積極的になれる  

 失敗を教訓にして乗り越えられるため、精神がしなやかで強くなり、かつ思慮深くやさしくなる。

 失敗が怖くなくなるため、明るく積極的になる。

3 怒らなくなり、人にやさしくなれる  

 自分が怒ってしまう「原因」がわかってくるため、感情が安定し怒らなくなる。また、相手の気持ちを理解できるようになるため、やさしくなれる。

4 仕事ができるようになる  

 仕事面での反省により、同じ過ちをくり返さないため、スピーディーで生産性の高い仕事ができるようになる。

5 運命が好転する  

 運命を好転させるためのカギは「正語」にあり。正しく積極的で明るい言葉を使うことで、自分の潜在意識が指令を受け取り、その方向にものごとが展開するため、人生が好転していく。

6 幸福感と感謝の思いが深まる  

 反省を続けていると、自分が恵まれていて愛されているということに気づける。幸福感に満たされるため、周囲の人や環境、神仏に自然と感謝ができるようになる。

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