存在と時間 生々流転の法則
人間は、この地上に生まれて以来、生きとし生けるもの、ありとしあらゆるものを見てきたはずである。生まれ、育ち、衰え、死んでいく。そこにひとつの真実であるところの“普遍の法則”があることを見抜かなければならない この法則は、自然のもの、人工のものを問わず、すべてのものにあてはまる普遍の法則。三次元世界にあるものは、すべて原型の誕生、発育、または、成長、フル稼働、衰退、または、不調、死滅、または、解体という四つの過程を必ず経ることになる。すなわち、生々流転の法則。この世に存在するものは、なんでもこの生々流転の法則の支配下にある。この世のものはすべて時々刻々に変化しており、まったく同じ状態であることは不可能なのである。別の言葉で言うならば、この世の存在はすべて変転の時間を内包している。昨日の自分と今日の自分ではまったく同じ状態ではない。 肉体的細胞をとってみても、刻々と変化しているのだ。 しかし、昨日の自分も、今日の自分も、やはり自分は自分であるように、日々変化する肉体細胞を統一しているなにかがある。 時間の流れのなかで、流転する存在の背後には永遠に変化しないなにかがあるのだ。 人間にしてしかり。動物にしてしかり。植物にしてしかり。 たとえば、植物を一本の花たらしめているものは、まったく偶然に集合した植物細胞であろうか。 もしもそうならば、日々変転するという法則のもとでは、花はやがて花以外のなにかに変わっていくはずである。 しかし、やはり花は花。昨日も花。今日も花。明日も花。 菊の花が途中でチューリップになることもなければ、チューリップが突然コスモスになることもない。 そこには、変化のなかにあって、変化しないなにか、流転のなかにあって、流転しないなにかがある。そして、そのなにかこそ、あるときは「実在」といわれ、あるときは「理念」といわれ、あるときは「イデア」といわれるものなのである。「色即是空 空即是色」とは、変化の背景にある不変なるものの実在と、流転するこの世的存在との関係を導破した真理の言葉である。人間の本質は、時間の流れのなかで変転していくはかない存在ではなく、永遠に不変の実在なのである。そして、この不変の実在こそ、魂であり、「霊」なのである。「霊」という言葉に対して、世人がいかなる印象をもとうがもつまいが、真実はひとつ。花には花の生命体があり、人間には人間の生命体がある。肉体人間を支配している個性ある知性。つまり、「霊」こそが人間の本質なのである。
この宇宙も人間も動・植物、鉱物、微生物、この地球上に存在するものあらゆるものを支配する法則。それが「生々流転の法則」です。 ありとしあらゆるものすべては、必ず、誕生―成長―衰退―消滅という過程をたどります。 それは、仏の創られた慈悲であり愛でもあります。 仏は、空間と時間を創造され、ありとしあらゆるものをこの法則のもとに生かされている。 それが真実の姿です。 一年という期間に四季があるように、人生のサイクルにも四季があり、栄枯盛衰があります。 そのトレンドを読み、不調のときには忍耐、努力研鑽し、好調のときには、一気呵成に。 そして、その好調のときにも感謝と反省の心を忘れずにいることが、人生という荒波を幸福に乗り切っていく術であると思います。 人生は諸行無常と悟り、真実の姿を見抜いていく智慧こそ、幸福な人生を生きていくうえで不可欠なものなのです。 「すべてを説明することは、出現と消滅を説明することである」 ソクラテス