仏光物理学 3つのテーゼ

 幸福の科学大川隆法総裁は、『黄金の法』の中で、「仏光物理学」として「引き寄せの法則」の核になる教えを説かれました。

 「仏光物理学」とは、この宇宙はすべて根本仏の「思い」によって存在しており、この宇宙すべては、仏の光の物理学的法則によって支配されているという教えです。

 

第1のテーゼ

 「仏の光は、親和的性質を持ったものに出合うと増幅され、排他的性質を持ったものに出合うと、それを避けて通る」

 与えれば、仏の光を与えられて幸福になり、奪えば仏の光を奪われて不幸になるという法則。

 その人の心が、人に対して優しい心、美しい心、善なる心にいつも向いているならば、仏の光を受け取って、幸福な人生を引き寄せることができる。

 逆に、憎しみ、怒り、嫉妬、疑いの心、自己中心などの心を持ち続けると、仏の光が射さなくなり、不幸を引き寄せてしまう。

 愛することができる全ての人を愛してください。その愛が何倍にもなってあなたに返ってくるのが分かります。

 

第2のテーゼ

 「仏の光は、その凝集・拡散というプロセスによって、創造と破壊を行なう」

 人が思っていることは、現実に病気や健康な身体などになって物質化するという法則。

 常に明るい心、希望に満ちた心を持っている人は、健康を引き寄せる。逆に、いつも暗い心や、人を責めたりや自分を責める思いを持っている人は、病気を引き寄せてしまう。

 ガンも病念が現象化したものなので、その反対の光明思念を持つことによって、消滅していく。

「私たちの身体は実は私たちの思考の産物」

「愛と感謝があらゆる病気を消滅させてしまう」

 念の力によって、仏の光が目的性を持って凝集すると、そこに、霊的実体が現われる。さらに、その波動を緊密なものにしていくと、物質が現われる。その逆に、念による目的意識が解除されると、物質はその形態を失う。霊的実体も、仏の光が拡散を始めると、別なものになる以外は存続しえなくなる。こういう物理法則があるのです。そして、人霊創造のプロセス、人体創造のプロセスは、この仏光物理学のなかの、光の凝集・拡散の法則によって、明らかにされるのだと言えます。

 

第3のテーゼ

 「仏の光は周波性を持つ」

 「波長同通の法則」とも言われ、自分と似たような波長の心を持った人を引き寄せる。

 心正しく生きようしている人は、正しい人を引き寄せ、人を害して生きようとする人は、同じような悪い思いを持った人を引き寄せる。

 この法則は霊界に対しても働き、善い思いを持っていれば守護霊などの天使が助力してくれる。逆に悪い心を持っていると、地獄の悪霊たちを引き寄せてしまう。

 大川隆法総裁は、『黄金の法』で以下のように説かれております。

「人間の「心」というものは、単に道徳的な存在ではなくて、「仏光(ぶっこう)物理学」に基づいてつくられたものだと言えます。この「仏光物理学」とは、大宇宙は仏の意志によって存在し、大宇宙の法則は、仏の光の物理学的法則によって支配されるということです。つまり、三次元宇宙空間とそれ以降の多次元空間を支配する法則を、仏の光の性質に帰そうとする考え方なのです。そして、この考え方は、実在界の物理学者たちの多数の支持を受けております。  

 仏光物理学には、三つの基本命題(テーゼ)があります。第一のテーゼは、仏の光は、親和的性質を持ったものに出合うと増幅され、排他的性質を持ったものに出合うと、それを避けて通るというものです。これは、イエスが、「持てる者はさらに与えられ、持たざる者はさらに奪われるであろう」と語ったことの真意なのです。つまり、仏の光と親和性のある人には、ますます、仏の光、恵みが与えられ、仏の光を排斥する性質を持つ人には、だんだん、仏の光が射さなくなる。これが真相です。

 第二のテーゼは、仏の光は、その凝集・拡散というプロセスによって、創造と破壊を行なうということです。つまり、念のカによって、仏の光が目的性を持って凝集すると、そこに、霊的実体が現われる。さらに、その波動を緊密なものにしてゆくと、物質が現われる。その逆に、念による目的意識が解除されると、物質はその形態を失う。霊的実体も、仏の光が拡散を始めると、別なものになる以外は存続しえなくなる。こういう物理法則があるのです。そして、人霊創造のプロセス、人体創造のプロセスは、この仏光物理学のなかの、光の凝集・拡散の法則によって、明らかにされるのだと言えます。

 第三のテーゼは、仏の光は周波性を持つということです。つまり、高周波は高周波と通じ、低周波は低周波と合うということです。多次元空間をも含めた大宇宙空間には、仏の光のなかに伝達の意識を込めた念波というものが飛び交っています。しかし、この念波も、同波長のものしか通じ合わないのです。 

 ここで考えなけれぱならないのは、人間の実体も光子体であり、仏の光の性質をそのまま内包しているということです。第一のテーゼにより、愛、善、美、真といった、仏の光に親和性のある心の状態を保てば、幸福な人生が待っています。しかし、憎悪、怒り、嫉妬、猜疑心、愚痴、利己主義などの心の状態を保てば、仏の光を排斥し、やがては不幸を招来することとなるのです。第二のテーゼにより、光明思想を持っていると、霊的に健全になるのはもちろんですが、肉体も健康です。逆に、心に悪想念を持っていると、それが病念をつくり、やがて、肉体的にも病気となって現われます。第三のテーゼにより、心を高級霊と波長の合う性質に変えてゆくことによって、幸福がもたらされます。しかし、低級霊と同調すると、だんだんに不幸になってゆくことは明らかです。」

 地上人でも、高級霊と同様の意識を持たなくては、高級霊とは感応できません。低級霊と感応しやすい人は、やはり、その意識も、低級霊と同調しているということです。ですから、もし、ある教団に属する人が、「我が教団には、如来界の人と通信できる人が数十名おり、菩薩界の人と交信できる人は数百名いる」と吹聴しているとすれば、これは、まったくの誤解か、さもなければ、誤りだと言えます。

 生きながら、如来界に意識の通じる人は、如来の霊格を持った人だけなのです。我が国で、如来界に意識の通じる人というと、どういう人がいるでしょうか。神代の時代の天御中主神、日本武尊を除けば、聖徳太子、空海、哲学者西田幾多郎など、数えるほどしかいないのです。親鸞や道元などは、菩薩です。現代の新興宗教の教祖では、如来と言われるような方はほとんどおりません。正しい宗教人であっても、せいぜい、6次元光明界の人であり、十中八九までは、地獄の悪魔にそそのかされていると言ってもよいでしょう。

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