古代核戦争

 現生人類が誕生して20万年。現生人類が誕生したときから、知能や身体能力は同じであったと考えられている。四大文明が発生してから5000年しか経っていないといわれているが、果たしてそうでしょうか。19万5000年の間、原始生活をおくっていたと考える方が迷信ではないでしょうか。

 

神々の文明を滅ぼした古代の核戦争

 インド古代神話の叙事詩『マハバーラタ』。そこには核兵器を使用したとしか考えられない、最終戦争の描写が実にリアルに描かれている。

 「マハーバラータ」の一節を引用する。「勇敢なアスヴァッタマはおのがヴィマーナ(戦闘機のこと)に踏みとどまり、水面に降りるや、そこから撃ち放った、神々すら抗(あが)なえぬアグネヤの武器を。導師の息子は、仇敵どもに慎重な狙いをつけ、途方ない力を秘めた無煙の火の輝く飛び道具を解き放った。密集した炎の矢の束が、さながら豪雨のごとく、生きとし生けるものの上に降り注ぎ、敵軍を押し包んだ。流れ星の群れが天から閃き落ち、濃い暗闇がたちまちパンダヴァの軍勢を覆った。  闇の中にあらゆる方角が失われ、烈風が吹きはじめた。雲が轟然と突き上がり(※核爆発によるキノコ雲)、塵と砂利を雨のように降らせた。鳥たちは鳴き騒ぎ、獣たちに破壊に恐れおののいた。自然そのものがかき乱されたように見えた。  太陽が天で揺れ動くように見えた。地上は震動し、この武器の恐るべき高熱に焼き焦げた。戦象たちは炎を吹き、狂ったように恐怖から逃げまどった。広大な地域にわたり、他の獣たちも地に焼け崩れて死んだ。水は沸きたって、そこに棲む生き物たちも死んだ。あらゆる方角から、炎の矢は激しく絶え間なく降りつづいた。アスヴァッタマの飛び道具はいかづちの力を爆発させ、敵の戦士たちは怒り狂う火に焼けただれて、山火事で焼ける樹々のようにばたばたと倒れた。 何千という戦車と軍馬が大地に累々と横たわった。」 「ヴリシュニ族とアンダーカ族の3都市には、どんな武器を用いても効果がなかった。そこでいかづちを操る者グルカは、高速の強力なヴィマーナで、飛びながら、3都市に投げつけた。神々すら恐れを抱き、大きな痛みを感じる武器を、宇宙のあらゆる力が詰めこまれたただ一本の飛び道具(核ミサイル)を。一万個の太陽さながらに光り輝きながら、煙と火の白熱した柱がここぞとばかりに立ち昇った(核爆発によるキノコ雲)。それは未知の武器、鉄の稲妻、巨大な死の使者だった。ヴリシュニ族とアンダーカ族の全市民が灰と化した。死体は焼けただれて、もはや見分けもつかなかった。毛と爪がどんどん抜け落ち(放射能汚染による)、壺はわけもなく割れた。鳥たちはうろたえて空できりきり舞いし、白く変えられた。数刻ののち、すべての食物は毒(放射能)で汚れた。クル族の兵士は恐怖にかられ、戦場から逃走した。ある者はわが子や父親を、友や兄弟を戦車に乗せて、ある者は鎧を脱ぎ捨てて、流れに身を投じ、体や装備を洗った。破壊が終わるとパンダヴァ族の王ユディティラは知らされた、鉄の稲妻の威力とヴリシュニ族達の殺戮を。」(「古代核戦争の謎」南山宏著)

 『マハバーラタ』は、紀元前10世紀に起きた大戦争を物語るという叙事詩だと言う。

 これらの記述は、広島や長崎の原爆体験と驚くほど一致する。想像の翼を拡げたとしても、このようなことを、実体験なくして、あるいは実体験による古代の伝承なくしてかけるはずがない。  四大文明の発生の前に、チャーチワードの説くムー(レムリア)帝国やプラトンの伝えたアトランティス帝国のような物語があったのではないだろうか。1万2千年前に亡んだとされるムーやアトランティスは、果たして天変地異で亡んだのだろうか。それとも核戦争などの人類の所業によって亡んだのだろうか。南山宏によると1930年代のアメリカに存在したレムリアン協会は、ムー帝国の直系の子孫が支配するインドのラーマ帝国を侵略しようとしたアトランティス帝国との間に核戦争が起こり、アトランティス帝国とラーマ帝国が地上から消滅してしまったと主張していた。この主張であると核戦争がおこったのは、今から約1万2千年前のこととなる。

 聖書にソドムとゴモラの物語がある。 「その人は彼に言った。『よろしい。わたしはこのことでも、あなたの願いを入れ、あたなの言うその町を滅ぼすまい。急いでそこへのがれなさい。あなたがあそこにはいるまで、わたしは何もできないから。』それゆえ、その町の名はツォアルと呼ばれた。太陽が地上に上ったころ、ロトはツォアルに着いた。そのとき、主はソドムとゴモラの上に、硫黄の火を天の主のところから降らせ、これらの町々と低地全体と、その町々の住民と、その地の植物をみな滅ぼされた。ロトのうしろにいた彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまった。」(創世記19章21節~25節)硫黄の火は、火山の爆発のことであると従来考えられてきたが、近くに火山は見つかっていない。聖書は紀元前5世紀にできたと言われている。古代の核戦争の記憶が語られているのか。「太陽が地上に上った」とは、太陽のように輝く核爆発ではなかったか。「塩の柱」とあるが、高温で溶けて塩の柱が後ろにのこってしまったのか。自然災害でないことは、「あなたの願いを入れ、あたなの言うその町を滅ぼすまい。」から推定できる。ソドムとゴモラは滅ぼし、ツォアルは滅ぼさないと選択しているのである。ソドムとゴモラの街はどこにあるかわからない。しかし、シナイ半島には、核兵器が空中爆発したと考えられるクレーターが残されているという。次の記述は、中性子爆弾を連想させる。物は破壊しないが、命は奪ってしまう。「主は、エルサレムを攻めにくるすべての国々の民にこの災害を加えられる。彼らの肉をまだ足で立っているうちに腐さらせる。彼らの目はまぶたの中で腐り、彼らの舌は口の中で腐る。」(ゼカリヤ書 14章12節)  これらは、古代の記憶を今に伝えているのではないでしょうか。仏教の経典「月蔵経(がつぞうきょう)」にも、原爆投下のシーンを彷彿させる記述があるという(大方等大集経巻第五十六・大集経月蔵分第十二法滅尽品第二十)。原子爆弾を歴史上初めて製造した物理学者のオッペンハイマーは、ロスアラモス研究所所長の辞任スピーチで、「われは死神なり、世界の破壊者なり」と「マハーバーラタ」の一節を引用した。退職後、1952年のロチェスター大学の講演で「アラモゴードでの原爆実験が本当に世界初めてなのでしょうか?」という質問に、「ああ、近現代においては初めてだろう。」と答えている。

 オッペンハイマーは、古代インドの叙事詩「マハーバラータ」「ラーマーヤナ」の中に核戦争を想像させる戦争の記述があることを熟知していたのである。それどころか、インドの古代言語であるサンスクリット語に精通していたオッペンハイマーは、インド古代の文献の中から、核兵器開発のヒントを得ていたかもしれない。

 トルコにある古ヒッタイト帝国の首都ハットゥシャの遺跡にも、高温で煉瓦が融解した痕跡が見られるという。ヒッタイトの「消えた神テリビヌシュ」の神話には、核戦争の記述がみられるという。インドのムンバイ付近には、前述のシナイ半島と同様に、空中で核爆発が起こったとも考えられるクレーター跡が上空からは確認されるという。それぞれ、「ラーマーヤナ」「マハーバラータ」と聖書の「ソドムとゴモラの物語」に対応する場所である。

 ゼカリア・シッチンは、前2023年を核戦争によるシュメールの滅亡の年代としている。デリーの年代研究所のS・B・ロイ教授は、「ラ-マーヤナの戦い日付」を著し、前2030年~前1930年を核戦争で「ラーマ-ヤナ」に出てくるランカが滅亡した時としている。ロイ教授は、ランカを核シェルターの機能をもっていたともされるインダス文明の都市モヘンジョ・ダロに比定している。古ヒッタイトのハットゥシャの滅亡は、前2200年~前2000年頃であると言われ、三者とも前2000年前後を示している。前2000年頃が古代核戦争の年代か。  

 ヒッタイトのあった小アジアのアナトリア高原のカッパドキアには、数ヵ所に地下都市がある。調査された地下都市だけでも8万1千人収容できるという。核シェルターではないかと言われている。  聖書にも、「ソドムとゴモラの物語」の頃、アブラハムがヘテ人(ヒッタイト人)にマクベラの洞窟を購入したことが記されている。核シェルターを購入したとも想像できる。  

 ただし、小惑星の落下に具えたということも考えられる。前3123年に作成されたシュメールの粘土板の天体図には、地球に落下しつつある小惑星の軌跡の記録があるという。同じ頃世界中で気候変動がおこり、緑豊かな大地がサハラ砂漠になったりといった大変動が世界中でおこったという証拠が各地の氷河を掘削した氷のコアに刻まれた年輪を読むことによって発見された。突然ソドムとゴモラが滅亡したという、聖書の記述が何らかの事実を示しているということに対するもう一つの説明である。核戦争ではなく、空から火の玉が降ってきたという事もあり得る。

 古代核戦争についてまとめると、第一に、紀元前2000年頃インドのモヘンジョ・ダロ付近の勢力と小アジアのカッパドキア付近で勢力との間で核戦争があった。シナイ半島やメソポタミアにも波及していたという説。シナイ半島は、局地的な戦術核が使われた可能性が高い。第二に、アトランティスとムーの末裔のラーマ帝国で12000年前にあったという説。この場合、全面核戦争となる。この時にリビア砂漠ができるほどの破壊がおこなわれたかもしれない。第一、第二の説共に、「ラーマーヤナ」「マハーバラータ」を片方の場所の根拠にしている。リビア砂漠は、第二の説以外の別の核戦争でできたかもしれない。

 

 ネバダの核実験場では、核爆発によって、砂が溶解してトリニタイトと呼ばれる緑色のガラスが地表をおおうことが知られている。広島や長崎の被災地には、煉瓦やガラス瓶が融解して、柔らかい水飴のようになってものがある。リビア砂漠やシナイ半島の砂漠地帯、メソポタミアのシュメール時代の古代遺跡やインダス文明のモヘンジョ・ダロの遺跡の郊外にも、トリニタイトの層やあめ状の融解物がみられるという。

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