宗教の正邪

 宗教にも正邪があります。正しい宗教は個人を幸福にし、社会を発展させるものです。

 宗教の正邪はどのように見分けることができるのでしょうか。

1 「心の教え」があるか

 正しい信仰には正しい奇跡が伴うものです。しかし、精神的を高め、人格を磨くための「心の教え」がなく、やたらと利益、それも現世利益ばかり主張する宗教には注意が必要です。また、霊的な興味、好奇心に訴えかけるだけの宗教にも気を付けたいものです。

2 その宗教に触れて、人格が向上しているか

 宗教に集まっている人の行動を見れば、その宗教が正しい宗教かどうかが分かります。

 「その宗教を信じることによって、ほんとうに目覚めて、素晴らしい人格者となっているか」という「果実」を見る必要があるのです。逆に、「社会的に不適応な人たちがたくさん出る」という宗教は、間違っています。

3 自由かつ寛容か

 「この宗教に入らないと不幸がくる」「やめると地獄におちる」などと言い、恐怖心を煽って自由な判断を奪うような宗教は間違っています。また、自分たち以外の教えを一切認めず、他の宗教や社会をやたらと攻撃する偏狭な宗教も問題が多いようです。

 以上の3点が正しい宗教の見分け方の根本といえます。

 物事の善悪を見極め、正邪を判断することが、「智慧」の始まりです。教えを学んだり、精神統一したりする宗教の修行は、正しい「智慧」を獲得するためでもあるのです。

 宗教を信じると「自分の頭で考えられなくなる」「自分の信じている教え以外は受け入れなくなる」と考える人もいますが、そうではありません。

 気付かないうちに、マスコミの情報を鵜呑みにしていたり、多数派の意見や権威に流される人も、正しく考えられなくなっているといえます。

 真の宗教は、真実の世界観、人生観を教え、考える材料や判断の材料を提供します。

 幸福の科学は「知」を大切にして、「考えることができる人間」をつくろうとしている宗教です。そうした人たちが増えていけば、悪意を持った人に踊らされることなく、本当の自由を守り抜くことができるのです。

 幸福の科学は、すべての人を幸福にしたいという志を持っている。さまざまな課題や考え方を持つ人たちを幸福に導くには、宗教的な「智慧」を獲得した人を数多く生み出す必要がある。

宗教 

「仏法真理」へ戻る