古代オリンピック

 オリンピック発祥の地オリンピアのヘラ神殿跡では、4年に一度、オリンピックの聖火の採火式が行なわれる。

 斧のようにエーゲ海に突き出たペロポネソス半島の山中にあるオリンピアは、かつてギリシャ全土の若者たちが躍動美をゼウスに奉納した神事で4年に一度にぎわった。

 オリンピア遺跡で最も人気が高く、人だかりが絶えないのが、オリンピア博物館に展示されている「赤子のディオニュソスをあやすヘルメス像」である。オリンポス十二神の一柱とされたヘルメスは、疲れを知らぬ健脚が競技者の理想的な姿として信仰され、幸運と健康を司る運動競技の神としてオリンピアに祭られていた。

 そのヘルメスは、ギリシャ神話ではゼウスの末っ子とされ、神々の使者として描かれている。しかし、果たしてそれは真実なのか? というのも、ギリシャ各地には「ヘルメスはゼウスよりもずっと古い時代に、エーゲ海域各地で信仰されてきた」という伝承があるからです。

 

書き換えられたギリシャ神話

参考

 近代オリンピックの源流は古代ギリシャのオリンピックだが、そこにはオリンポスの神々などさまざまな神が登場する。ところが、その中の一柱であるヘルメスに関し、ギリシャ神話ではなぜか歴史的事実と違った形で伝わっている。書き換えられたギリシャ神話の真実に迫ることとした。

 

運動競技の神ヘルメス

「アポロンよ、我らに光を与え給え」

 オリンピック発祥の地オリンピアのヘラ神殿跡では、4年に一度、オリンピックの聖火の採火式が行なわれる。今回も3月に入って、古代の衣装をまとった巫女姿の女性がゼウスやその子アポロンへの祈りを捧げ、凹面鏡でトーチに聖火を赤々と燃え上がらせた。こうして、聖火は世界を巡る旅へと出発した。

 

最初のオリンピック種目は音楽?

 パルナッソス連峰の懐に抱かれ、岩山の間にオリーブ畑が広がる古代宗教の中心地。古代オリンピックのルーツとなった四つの競技大祭の一つ、ピュティア競技祭が行なわれていた。戦争終結の際、音楽の神アポロン神をたたえて竪琴を即興演奏。その音色を競い合い、戦死者の霊を弔った。その後スポーツ競技が加えられたという。

 

プラトン、ピタゴラスは「金メダリスト」だった

 アテナイの哲学者プラトンは、古代オリンピックのルーツの一つ、イストミア競技祭の少年レスリング種目で優勝したという意外な経歴がある。また、哲学者ピタゴラスも、少年時代に成人の部のボクシング競技に出場し、優勝した。

パナティナイコ競技場は、1896年、第1回近代オリンピックに合わせ古代競技場が復元されたのです。

 

近代五輪のシンボルは当初五芒星だった?

 金星は地球から見ると、天球上に8年周期で五芒星の形を描き、元の位置に戻る。これを発見した古代ギリシャ人は、金星(ヴィーナス)が象徴するアフロディーテ神に敬意を表し、8年周期の半分の4年ごとの古代オリンピック開催を決めたという。また、近代オリンピックが始まった際、シンボルマークは五芒星に決まりかけていたが、近代五輪の父・クーベルタン男爵の意向で、現在の五輪マークに落ち着いたというエピソードが伝えられている。アメリカでは、「古代オリンピックはゼウスに捧げられたものか、それとも、アフロディーテに捧げられたものか」という論争も起きている。

 

聖火リレーはかつての正式競技

 古代五輪発祥伝説の一つが伝えられるクレタ島は、ギリシャ国内の聖火リレーの出発地となり、イラクリオン港で古代の復元船を使って聖火を運ぶイベントも行なわれた。大会前のムードを高める聖火リレーだが、古代オリンピックでは正式競技だった。6人から10人組で、松明をリレーして約2500メートルを走った。途中で火が消えれば失格となったという。

 

オリンピックはもともと葬式だった

 古代オリンピックの起源の一つは、伝説のトロイア戦争で、ギリシャ軍の英雄アキレスが、トロイア軍の総大将ヘクトルに殺された親友パトロクロスを追悼し、ボクシングや戦車競技を行なったこととされる。その後、正式な古代五輪が紀元前776年からスタートした。

参考

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