ソクラテスが求めた「魂における幸福」
ソクラテスは、人間一人ひとりの「魂における幸福」とは何かを考えることから、政治の理想を追い求めました。この考えは、近代の政治・経済思想のもととなったモンテスキューや、アダム・スミスの徳と財産を両立させる思想となって受け継がれていきました。現代、日本国憲法が定めている「幸福追求権」のもとにある「幸福」には、本来、「魂の幸福」という意味が込められていたのです。
ソクラテス以来の政治の理想実現を目指す
現代では、中国や北朝鮮のような軍事独裁国家が、周辺国を武力で脅して利益を得ようとしています。これらの国が宗教を排除していることは無関係ではないでしょう。
また、世界で貧困の中にいる人たちがまだまだ多く、キリスト教圏とイスラム教圏との対立が続くのも、政治と宗教が望ましい関係になっていないからではないでしょうか。
その混沌とした世界の様々な問題に対して、国師として世界教師として決然と、人類にとっての正しさを示し続けているのが、幸福の科学大川隆法総裁です。
総裁は、キリスト教とイスラム教の争いについて、天上界には、神格を持った人が大勢おり、神は一人ではないことを明らかにし、多様な価値観を融合させていく自由で寛容な考え方が必要だと説いています。
また、その著書『政治と宗教の大統合』で以下のように述べています。
「今、この日本という国において最も大切なことは、価値判断の尺度です。『何をもって「正しい」とするか』という判断の基準です。その基準を打ち立てるのは、宗教や哲学の仕事でもありますが、それを人間の活動に置き換えれば、政治活動や経済活動、あるいは教育活動へと展開していくことになるわけです」
総裁は、霊界探究の一環として、古今東西の人物の霊や守護霊の言葉を公開収録してきました。その中で明らかになっていることは、ソクラテスと同様に「魂における幸福」が何なのかということです。
宗教政党「幸福実現党」は、ギリシャのソクラテス以来の政治の理想を実現しようとしています。そして、同党の活動それ自体が、既存の政治家に、政治において「正しさとは何か」「善悪とは何か」を問い続けています。
「なぜ宗教が政治をやるのか?」という問いに対しては、世界中で価値基準が混乱し、平和や繁栄が揺らいでいるがゆえに、「宗教こそが政治をやらなければならない」ということになります。
神と民主主義が共存し、人類の幸福を生み出してきた歴史は動かせません
「神が各人に語りかける」近代の民主主義
イギリスでは、1642年、清教徒(ピューリタン)革命が起こり、課税権を振り回した国王を打倒。この時から市民の代表者による議会で意思決定するようになった。最後は独裁的となった革命の指導者クロムウェルだが、議会での討議を重視してこう語った。
「我々は神に身を委ね、神が各人に語りかける御声に聴き入らなければならない」
近代の民主主義は、「一人ひとりが語る言葉に神が宿る」という考え方から始まった。
この精神はアメリカにも伝わった。ピューリタンたちはイギリス国教会の弾圧を逃れ、メイフラワー号に乗ってアメリカに移住。神の理想を実現しようという使命感の下、民主主義の大国が築かれていった。
近代の民主政治の本質は、「神のお考えがどこにあるか人間同士で話し合う」ところにあったのだ。現在行われている普通選挙も、「神様の考えが分からないので、人間たちの多数決で決めよう」という趣旨ということになる。
ギリシャ民主政は実質的に神政政治
古代ギリシャでは、デルフォイの神託に基づく神政政治と、アテナイ市民の民主政治が両立していた。
その最盛期は、初めて平民に国政参加の道を開いた賢人ソロンの時代だ。ソロンは奴隷に転落した貧農の借金を取り消して、これも偉業とされた。現代の感覚ならばふつうの貧民救済だが、実はギリシャの神々の存在意義に関わる大問題だった。
ソロンは没落農民について「ガイアが衰えている」「胸の奥からこみ上げる苦痛が私の中に広がる」と語った。ガイアはギリシャの神々の一人である大地の女神で、ソロンは「ガイアに育まれてきた農民が奴隷になることは、神も自由を失うことだ」と考えた。
近接した時代に生きたとされる詩人ホメロスは、「民の声は神の声なり」と長編叙事詩『オデュッセイア』で詠んだ。
古代ギリシャの民主政は、神と一体で、むしろ神政政治の方に重心があった。