アリストテレスはなぜ「万学の祖」なのか

「人は誰でも、生まれながらに知恵を求める」

 これは古代ギリシャの哲学者アリストテレスの言葉です。

 アリストテレスは、ソクラテス、プラトンとともに西洋最大の哲学者の一人で、現在のあらゆる学問の基礎となる概念をつくった人と言われています。

 具体と抽象、普遍と個別、可能と現実・・・といった概念がすでに用いられている時代に生きる私たちにとっては、このような概念を初めて生み出し、用いることはどういうことだったのでしょうか。

 

プラトンの学校「アカデメイア」で約20年間学んだ

 今から約2400年前、アリストテレスはギリシャのマケドニア王国の小さな植民町に生まれました。父はマケドニア王の待医をしていましたが、両親とも幼少時に亡くなり、アリストテレスは義兄のもとで育ちました。

 アリストテレスがあまりにも聡明なので、17歳の時、アテナイにあるプラトンが主催する学園のアカデメイアに入門し、20年近くここで学びました。一心不乱に勉学に励み、類まれな優秀さを発揮したアリストテレスは、師のプラトンから「学校の精神」と呼ばれるほどでした。

 

のちのアレクサンダー大王の家庭教師になり、世界に大きな影響を与える

 37歳の時、師のプラトンが亡くなったため、アカデメイアを去ったアリストテレスは、マケドニア王に招聘され、13歳の王子アレクサンドロスの家庭教師となり、当時の最高の学問を約12年間教えました。

 アレクサンドロスが即位し、アレクサンダー大王となった後は、大遠征により東洋と西洋を融合させ、当時世界帝国を築いたので、家庭教師のアリストテレスは世界史的にも大きな影響を与えたと言えるでしょう。

 

リュケイオンという学園を開設、後世に著作を多数残した

 その後、アリストテレスはアテナイに戻り、郊外にリュケイオンという学園を開設しました。今残っているアリストテレスの膨大な著作の大部分は、このリュケイオンで研究し、教育した約12年間に書かれた著作および講義録であると言われています。

 アレクサンダー大王が亡くなった後、アテナイでは反マケドニア勢力が立ち上がり、アリストテレスはそれを逃れて母方の故郷に身を寄せましたが、翌年62歳でこの世を去りました。

 

「精神性」と「実学」の両方に発展しうるからこそ「万学の祖」

 アリストテレスは、プラトンのイデア論、つまり「この世界のものの本質は、個々のものから独立・超越した目に見えない世界にある」という考えを批判したとされています。「本質は個々のものに宿る」と考え、具体的・現実的な事実を通じて普遍的な真実を捉えるという手法を中心に、諸学問の基礎となる思想を構築しました。

 アリストテレスは、ソクラテスやプラトンと比べて、より論理性や合理性を求めたため、現代の人からは「現実主義者」と言われ、現代の唯物的な思想のもとになっていると誤解される事もあります。しかし、著書『霊魂論』の中では「あの世」や「魂」の存在を認めており、神秘的なものを決して否定していたわけではないことが分かります。

 アリストテレスの哲学は、13世紀に哲学者トマス・アクィナスによって神学へ導入され、キリスト教にもイスラム教にも影響を与えました。また、中世ヨーロッパのあらゆる分野の学者たちから支持され、学問の成立に多大な貢献をしました。

 アリストテレスの哲学は、このように「精神性」と西洋的な「実学」の両方に発展しうるものだったからこそ、万学の祖となりえたのではないでしょうか。

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