法話「王陽明・自己革命への道」 回天の偉業を目指して より

 中国・明代の陽明学の祖である王陽明(1472~1529年)。当時の儒教で全盛だった朱子学に批判的な立場に立ち、「知行合一」を説き、その教えは日本に渡って中江藤樹から幕末・明治維新の志士たちに受け継がれ、革命の思想的支柱となった。その意味で近代日本に多大な影響を与えた人物である。

 

陽明学にはアジアを近代化させる目的があった

 王陽明の霊は、当時の中国で科挙の試験の中心でもあった朱子学について「解釈学というか、注釈学」と批判的に語り、「私は私なりに、その流れを引きながら、中国近代の扉を開いた」「実践が大事だということを中心に説いたわけで、これは近代の精神そのもの」と、陽明学が実践中心の教えであり、新しい時代を切り開く思想であったことを明かした。

 しかし、その思想は中国よりも日本で花開いたことについて、「私が出ても三百年ぐらい、まだまだ停滞は続いていた。その間、陽明学の主流は日本の方に移っていった」「アジアを近代化するという目的を持っていたということは間違いなく、私の哲学をもとにすれば、いろいろな諸学はそこから分かれて、実証的な、あるいは実用性のある学問が生まれていく」と、その思想の広さ、大きさを改めて示した。

 

一人で一万人を動かす法が陽明学

 日本の幕末には約三千万人の人口がいた中で、三千人ほどの維新の志士たちが出たが、一人で一万人を動かす法を編み出したわけです。それは何であったかというと、陽明学であった。

 そして、その中心の思想として、「自分が正しいと思うことは、現実になさねばならないという、知行合一の思想」「良知の思想。人間は良き智恵、正しい知識、正しい考えを求める存在なのだということ」を挙げた。

 幸福実現党に対しては、「国師・大川隆法が警告を発して、思想的に訴えるだけでは足りないということで、現実の行動部隊としての政党を創ってやっている。だけど、三回戦ったけれども、残念ながら賛同を得ることができないでいる」「しかし、結果が出たら正しいかどうかは分かるという考え方であるならば、もう結果が出たときには、だいたい終わっているということです。結果が出る前に正邪の判定がつかなければ駄目」と、日本国民に対しても、信者に対しても、信仰心の問いかけがなされていることを改めて強調した。

 この後に霊言した朱子によれば、王陽明は儒教における中興の祖だが、その前世は仏教の中興の祖である天台智顗であり、さらにさかのぼれば日本建国の神の一柱、国之常立神であることが明かされた。日本神道、仏教、儒教にまたがる魂であり、これらの教えが深い関係にあることが分かった。

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