陽明学の日本的影響について! 王陽明と中江藤樹の魂のリレー

 佐久間象山という人は、知れば知るほど、時代を飛び越えた目を持っていた人だったと驚かされます。佐久間象山は、吉田松陰の密航事件に連座した松代藩での蟄居中にも、仏典からヒントを得て、幕府の海軍力の整備がアメリカに追いつかないのなら、空軍の創設を考えたほうがいいと考え、熱気球と翼を推進力にして、空から爆撃できないかと飛行技術の研究をしていたほどです。

 王陽明の転生をトレースしてみます。日本神道の草創期の神である国之常立之神文殊菩薩(2200年前南インド)、天台智顗(538~597中国)、夢窓疎石(1275~1351日本)、王陽明(1472~1529中国)、木戸孝允(1833~1877日本)、大川真輝(現代日本)ということになります。その出自は、宇宙人リーディングでは、ベガの大神官だったと言われています。
 日本の国造りのために、王陽明の魂は、仏教をインド、中国、日本へと伝えるとともに、さらに孔子の儒教をアジアの近代化の思想として変革し、日本に導入する仕事をしておられる。
 王陽明の説いた陽明学は、儒教の流れのなかでは仏教的側面を持っているので、異端的に言われることもあるのですが、朱子学によって訓詁学となってしまった儒教を、アジアの近代化のための思想として、心の教えと実用の学として改革したものであったのです。
 王陽明の霊言のなかでも、陽明学は、キリスト教のカトリックに対するプロテスタントの位置づけにあると語られていますが、まさにウイクリフやフスを動かし、ルターのプロテスタントを生み出した改革思想の東洋版だったのです。
 その陽明学は、80年後の日本で、近江聖人と慕われた中江藤樹(1608~1648)に受け継がれ、明治維新の思想的バックボーンとなっています。

 中江藤樹は、はじめ朱子学を学びますが、段々と陽明学の影響を受け、日本の陽明学の開祖と言われるようになります。
 その弟子に、熊沢蕃山が出て、陽明学を日本全国に広げ、その後、江戸昌平黌の儒官となった佐藤一斎(1772~1859)やその門下であった佐久間象山や横井小楠、吉田松陰、勝海舟などに受け継がれていくのです。
 江戸時代に、明治維新の原動力となった思想のもう一つの柱に、頼山陽(1781~1832)の書いた「日本外史」があると思われる。
 中江藤樹が開いた陽明学の行動論と、欧米の植民地政策を前にして、日本人に誇りと尊厳を持たせ頼山陽の「日本外史」の二つの思想的潮流が、明治維新を成功させた原動力となったのではないかと思うのです。

 中江藤樹の魂の本体が天御中主神であることから、王陽明の魂の本体である国之常立之神の日本草創の二柱の神が連携して、陽明学の革命思想を日本に導入し、明治維新を起こしたのではないかと思える。天御中主神は明治維新の精神的象徴となった明治天皇として出ておられ、国之常立之神は維新の三傑の一人、木戸孝允として出ている事実があるからです。

思想・人間学 へ

「仏法真理」へ戻る