陽明学

 陽明学の開祖である王陽明は、中国の明代の思想家であり、日本の陽明学の開祖的立場にある中江藤樹より100年ぐらい前、今から500年ぐらい前の人である。

 そして、日本における陽明学は、中江藤樹や熊沢蕃山などで、江戸初期に盛り上がり、中期には少し下火だったが、後期になると大塩平八郎の乱などの革命運動に関係し、さらには明治維新の思想的中軸になっていったと推定される。

 たとえば、陽明学は、横井小楠や佐久間象山、西郷隆盛などにも入っているし、維新回天の原動力になった吉田松陰も陽明学者であり、その弟子たちを始めとする多くの人々も陽明学徒であったと推定される。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『王陽明・自己革命への道』で以下のように説かれました。

「王陽明は中江藤樹が生まれる80年ほど前に没しているので、中江藤樹より百年ぐらい前の人と考えてよいでしょう。1500年前後に活躍した、今から500年ぐらい前の人物が、この王陽明であり、中国の明の時代の思想家です。中江藤樹は、日本史の教科書では少し書かれている程度ですが、王陽明が没して八十年後、大きく言って百年後ぐらいの人です。陽明学自体は日本にもう入っていたのですが、彼が日本では陽明学の開祖的な立場に立っています。日本の陽明学は、中江藤樹や熊沢蕃山などの有名な人が出て、江戸初期には、いったん盛り上がるのですが、中期には少し下火になりました。江戸期には、儒学として、この陽明学だけではなく、表側に朱子学がありました。儒学の正統派というか、陽明学よりもっと前からあったのが朱子学です。朱子は王陽明より先に生まれており、日本には朱子学の流れも入ってきていました。特に、この陽明学が日本において重要なのは明治維新と関係があるからです。江戸期の後半になると、革命運動が起き、明治維新に向けての胎動が始まりますが、「明治維新の思想的な中軸」になったのが、実は陽明学ではないかと推定されるのです。具体的には、「大塩平八郎の乱」が大坂で起きました(1837年)。彼は大坂町奉行所の元与力で、陽明学者でもありました。彼は、役人の一部だった身でありながら、民衆に決起を促して反乱を起こしたものの、鎮圧されてしまったのです。このあたりから、幕末の維新へと向かっていく流れが、明確に出てき始めていると思います。

 さらに、陽明学は、横井小楠や佐久間象山など、去年、当会が霊言を出した人たちにもカチッと入っています(『横井小楠 日本と世界の「正義」を語る』『佐久間象山 弱腰日本に檄を飛ばす』)。  

 勝海舟は、幕臣だったころ、「天下で恐ろしいものを二人見た。一人は横井小楠で、もう一人は西郷隆盛だ。もし、横井小楠の陽明学的な思想を、西郷隆盛がやってのけたら、幕府は倒れるぜ」というようなことを言ったそうです。彼は、それを回想録のなかで語っています。そして、現実に、その予言のとおりになったのが明治維新なのです。そして、吉田松陰も陽明学者です。この人が長州の火付け役であり、維新回天の原動力になったのは吉田松陰だと思います。したがって、彼の弟子たちも、みな、陽明学徒に近いと言えるでしょう。高杉晋作以下、実際に命を懸けて戦った人たちは、陽明学の徒であったことは間違いないのです。その他、名前は挙げ切れませんが、多くの人々が、この維新のときの陽明学徒であったと推定されます。」

 

儒教精神

 陽明学のもとである儒学での「孝」の教えは、戦後、GHQによって破壊されたが、「孝」が確立しておれば、少子化や年金、福祉、医療などの問題は、国家財政の破綻にまで至らずに済む。

 同じような問題として、「師弟の道」が十分に説かれていないことが、学校などでの学級崩壊、暴力、いじめなど、乱れの原因である。

 つまり、この儒教的精神のなかに現代の問題を解決する原動力があるが、陽明学的な思想はこれにとどまらず社会変革を目指す行動論を説くものなので、幸福の科学の教えでは、「ユートピア建設」に関係する部分にあたる。

 大川隆法総裁は、『『日本陽明学の祖 中江藤樹の霊言』で、日本陽明学の祖である中江藤樹の言葉(「霊言」)を次のように紹介しておられます。

「まあ、陽明学に至る前の話から始めなければいけないとは思うけれども、(陽明学の)もとは儒学ですよね。すなわち、孔孟の学から来ているものでありますが、私は、親孝行の「孝」のほうから始めたわけです。
 しかし、第二次大戦、太平洋戦争が終わってから、アメリカ軍に占領され、GHQによっていろいろな日本の文化の解体作業が行われましたが、そのなかの一つに、「日本の家制度の解体」というものがあったと思うんですね。
 その家制度のもとにあったのは、この「孝」の教えです。これは、親孝行の教えであるし、仏教的に転化すれば、あるいは日本神道でもそうかもしれませんが、先祖供養的な教えの部分ですね。戦後、この部分が破壊されました。
 今、政治などでは、年金問題だとか、福祉だとか、医療だとか、いろいろなことを言っておりますけれども、「孝」の概念が確立しておれば、これらは、みな、最終的に国家財政の破綻にまで至るようなことにはならずに済むのです。
 現実に、「孝」の思想があった昔であれば、「子供が親や祖父母の面倒を見る」というのは当たり前の世界でした。ところが、横の夫婦関係優先型になり、「孝」の思想が完全に切れてきてからは、高度な教育を受けた女性たちが、親孝行の息子などを、「一種の成熟していない男性」というような、見下した考え方で見るようになってきましたね。
 そのように、「孝」の思想が壊れてきたところが、結局、少子化や年金等の問題、さらには財政赤字にもつながってきたのではないでしょうか。
 だから、アメリカが破壊したもののなかには、「大きいもの」があったのではないかと思います。この部分については、何らかの意味で、少し考え直さねばならんと思っております。
 特に、「『孝』の部分が決定的に欠けている」というところですね。
 さらに、同じような問題として、「孝」とは少し違うのですが、「師弟関係、すなわち師に対する弟子の礼のようなものも薄れてきた」ということが言えると思うのです。
 これも、やはり、学校などでの乱れの原因ですね。
 現在、教育関係において、先生の権威がなくなり、生徒のほうが、学級崩壊、暴力、いじめ、その他、いろいろな問題を起こしていますけれども、これなども、やはり、「師弟の道」が十分に説かれていないところに原因があると思いますね。
 ですから、古い思想のようではあるけれども、儒教的精神のなかに、現代の問題を解決する原動力があるのではないかと思います。
 まあ、陽明学的な思想は、こうしたものにとどまらず、さらに、社会変革まで目指していく行動論を説くものでありますので、あなたがたの教えで言えば、おそらくは、ユートピア創造やユートピア建設に関係する部分が、陽明学に当たる部分であろうとは思いますね。」
(P-27~31)

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