「シン・ゴジラ」と「北朝鮮核問題」 共通点

 私は、「シン・ゴジラ」のDVDを今でも何度も観ています。

 「シン・ゴジラ」は、日本の政治家・官僚組織が、有事における危機管理がほとんどできないでいる様子を、生々しく描いたことで話題を呼んだ。しかし、それから1年もしないうちに、「北朝鮮危機」がここまで切迫し、日本がいつ有事に巻き込まれてもおかしくない状況となった。

 これからの北朝鮮危機、そして、その後に迫る中国危機への防衛体制を考えるに当たっても、この「シン・ゴジラ」の描写は示唆に富んでいる。

参考

「人命最優先」で無数の命が失われる

 政治家の対応として、最も観客を苛立たせたシーンの一つとして、物語の中盤に、直立状態にまで進化したが、まだ”未熟感”のあるゴジラ(第三形態)と、陸上自衛隊の対戦車ヘリが対峙した場面がある。

 ヘリの乗組員は、防衛大臣を経由して、総理にゴジラへの発砲許可を求める。しかし、発砲する寸前、付近に民間人が2人発見される。そこで総理は「自衛隊の弾を、国民に向けることはできない!」と攻撃中止を命令する。

 この段階で撃っておけば、倒せていたかもしれない。まだ皮膚も柔らかかっただろうし、反撃として口や体から「放射熱線」を出すこともできなかったのである。ところが、ここでゴジラを逃し、巨大で皮膚も黒々として分厚い「第四形態」まで進化させてしまった。その結果、街中を破壊され、無数の死者を出してしまった。

 「人命最優先」の判断が、かえって、多大な人命を失わせることになった可能性が高いのです。

 

北の核問題、小さいうちに処理しなかったツケ

 この描写は、国際社会が北朝鮮による報復を恐れ、同国の核開発を放置した結果、脅威をさらに進化させてしまった現在の状況を連想させる。

 北朝鮮の軍事技術も、今やゴジラと同じく進化した。韓国、日本ほどの距離ならば核ミサイルを打ち込めるようになってしまった。非核化をするための軍事行動のリスクは、一気に高まってしまったのです。

 さらに、北朝鮮は、核・ミサイル技術の最終形態への進化を迎えようとしている。アメリカに届く長距離弾道ミサイル(ICBM)に核弾頭を搭載すれば、アメリカは北朝鮮の非核化のために、さらに大きなリスクを覚悟しなければいけなくなる。

 トランプ米大統領は、そうなる前に、多少のリスクは覚悟してでも、非核化を迫ろうとしている。

「絶対に被害を出してはいけない」として、「行動より対話」を訴える声はまだ多い。しかし、「シン・ゴジラ」で判断ミスを犯した総理のように、それが後に比べ物にならない被害を生む可能性が高いのです。

 

自衛隊出動の根拠を延々と議論

 次に、「シン・ゴジラ」において、日本の政治を象徴するシーンは、ゴジラが街を破壊して歩いている間に、政府内で自衛隊を出動させる法的根拠に関する議論が、延々と続く場面である。

 その根拠として、「災害派遣」「治安出動」「防衛出動」の3つが挙げられたが、ゴジラ出現はそのどれにも当てはまらない。最終的には「超法規的な措置」として出動命令が出たが、結論が出るまでの間に被害が広がってしまった。

 

尖閣防衛も法律に足をすくわれる?

 現実でも、尖閣諸島などの島嶼防衛に際して、「自衛隊が法律上、どの枠で出動するか」という問題が発生すると言われている。

 例えば、武装した漁民が尖閣諸島を占拠しに来た場合である。当然、彼らの裏に中国の人民解放軍がいる可能性は高い。しかし、外国の攻撃であることが認定されなければ、自衛隊は「防衛出動」できないことになっている。

 となると、「治安出動」という形になる。しかし、「治安出動」となると、自衛隊は武器の使用を大幅に制限される。相手は漁民であっても、裏に人民解放軍がいるとなれば、小銃や、小型のミサイル程度は持っている可能性もある。そうした相手に「治安出動」では立ち向かえない。

 この、外国からの武力攻撃とは言えないけれども、警察権だけでは対応できないような、国防上・法律上の”すき間”のことを、「グレーゾーン」と呼ぶ。そして、相手国は まさにこの弱点を突いてくる可能性が高い。

 

根源は「憲法9条」の問題

 普通の国の軍隊であれば、こうした問題は起きない。相手が国籍不明な漁民だろうが、人民解放軍だろうが、はたまた巨大生物であろうが、国民の命や主権が危険にさらされているなら、軍が出動して その時々に必要な措置を行えるからである。

 しかし、日本の自衛隊にそれができないのは、自衛隊は軍隊ではなく、あくまで警察の一種として扱われているからである。

 通常、軍隊の行動を規定する法令は「ネガティブ・リスト」といって、「こういうこと以外は、やっていい」という禁止事項だけを並べた形式になっている。

 一方、日本の自衛隊に適用される法令は「ポジティブ・リスト」といって、「こういう場合に、こういうことをしてもいい」という形式になっている。そのため、自衛隊は、自衛隊法が想定していない状況には対応できないようになっている。

 自衛隊が警察の一種として扱われているのは、憲法9条において軍の保持が禁じられているためである。現在、自民党が検討している、「9条に自衛隊の存在を明記する」案でも、この状況は固定化される。

 北朝鮮危機の次に来る中国問題や、これから議論が始まる憲法改正議論を考えるにあたっても、「シン・ゴジラ」の描写は、考えさせられるものとなった。

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