仏弟子としての本懐

 飽食の時代というのに、人びとはまだ飢えています。

 仏(仏陀)がこの地上にあるというのに、魂の糧を探して、飢え死にしてゆく人たちが跡を絶たない、そんな現実があります。

 これだけの魂の糧が、まさに釈尊の「八万四千の法門」を超える勢いで供給され、一般書籍として書店で誰もが気軽に手に入れられるようにされているというのに。

 それを知らないまま、魂の糧を探し続けている数多くの人びとに、なんとかこの素晴らしい魂の糧の数々の一片たりとも届けたい。

 今は、インターネットが発達して、いながらにしてその説法に触れることができる、ありがたい時代でもあります。

幸福の科学大川隆法総裁は、『永遠の仏陀』で以下のように説かれました。

「多くの人々は、飽食の時代のなかにあって、しかもまだ飢えているのだ。 この世には、さまざまな食物があふれているというのに、しかし、この時代にこそ、人々は飢え、苦しんでいるのだ。 飢えているのは、心が飢えているのだ。 心が、魂が、糧を求めているのだ。 魂の糧を探しているのだ。 あそこにも、ここにも、飢え死にしてゆく人たちが跡を絶たない。 魂の糧は、まだまだ足りないのだ。 心の糧は、まだ、全地球に供給するほどはないと言ってよいであろう。 さすれば、仏弟子であるおまえたちは、日夜、この魂の糧を、心の糧を、生み出し、届けることに、専念せねばなるまい。 この仕事に終わりということはない。

 しかし、仏この地上にある時に、この仕事に邁進できる者たちは、幸いである。 それは、真昼のなかを歩く旅人にも似て、その道を過(あやま)つことがないからだ。 真昼のなかを歩く者たちは、間違いなく目的地に到達するであろう。

 しかし、闇のなかを歩む者は、やがて足を滑らせて、その道より谷に落ちることになるであろう。 光ある時に、真実の生き方に目覚め、真実の人として生きてゆくことを、誇りに思わなくてはならない。 その時にこそ、仏弟子としての本懐がとげられるというものであるのだ。」

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