経営成功学を学ぶ

 経営学は、会社経営について分析したり、経営学者の経営理論を学説史的に辿ったりするものが多いが、「経営成功学」というのは、結果に対する責任と価値判断が入っていることを意味している。

 百戦百勝する方法が存在するかを理論的に追究し、現在進行形の会社や過去の会社等も研究して、「経営成功学」なるものが成立するかどうか、学問的に研究してみたいものです。

 この「経営成功学」を学問とすることに成功できたら、受講者が企業家として成功するだけでなく、国全体の富を増し、国の税収減や財政赤字体質を改善する力になる可能性もある。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『「経営成功学」とは何か 百戦百勝の新しい経営学』で以下のように説かれました。

「「経営学」は確かに巷に溢れており、それに関する本はたくさんあります。ただ、経営学の場合、基本的には、いろいろな会社の経営について分析したり、経営学者が出した経営理論を学説史的に辿ったりするものが多いのではないかと思います。
 「経営成功学部」においては、「経営」に「成功」という言葉を付けたわけですが、これは、「結果に対する責任」が入っていることを意味しています。
 「経営」だけを言うのであれば、経営に成功しても失敗してもよいわけでしょうが、「経営成功学」には、「結果において、『成功しない経営』というのは望ましくない。結果において成功していただきたい」という価値判断が一つ入っているのです。
 どの業界も打率三割が精いっぱいであるのでしょうが、そのなかにあって、あくまでも、「百戦百勝する方法は、はたして存在するか。科学的、学問的にありうるか」ということを追究してみたいと思います。
 それを理論的に追究し、実践面でも、現在進行形の会社や、過去に存在した会社等についても研究して、「経営成功学」なるものが成立するかどうか、学問的に研究してみたいのです。
 もし、この「経営成功学」というものを、学問としてくくり出すことに成功できたら、その内容を授業で聴いた人が企業家として成功するだけではなく、国全体の富を増すことにも必ずなるでしょうし、この国における税収減や財政赤字体質を改善する力になる可能性もあるのです。
 この学問が成功し、大きく広がり、経営成功学を取り入れていくことになれば、いろいろな会社が次々と赤字から黒字になっていくでしょう。「会社が黒字になる」ということは、国にとって、「社員の給料から所得税を差し引くだけではなく、会社のほうから法人税を頂ける」ということなのです。
 七割の会社が法人税を払っていなくて、残りの三割だけが払っているときに、その三割のほうに入ったら、現実問題として、払っているほうが損をしているような気になるのは事実だと思います。そのため、「できるだけ払いたくない」という方向に気持ちが動き、払っているとバカを見るように感じるでしょう。
 ところが、「七割の会社が法人税を払っている」ということであれば、払っていない三割のほうは、おそらく、恥ずかしい気持ちになり、「うちも、できたら、法人税を払える身分になりたいものだ」と考えるようになるのではないでしょうか。
 そこで、私は、この経営成功学を成功させることによって、百発百中、十割の企業が黒字体質になる方法をつかみ出し、そして、「学習できるもの」という仮定、仮説の下に、それを学問化する努力を試みたいと考えているのです。」

「2015年に開学予定の「幸福の科学大学」に「経営成功学部」を開設する予定である。「経営成功学」は、まだ十分に熟している言葉とはいいかねるので、私のほうからその理念を提示したものが本書である。
 現在赤字企業が七割ということは、成功打率三割である。新しい起業ともなれば、成功率は十分の一にも百分の一にも下がるだろう。
 しかし、もっと本気で勉強してみようではないか。
 企業が「赤字」ということは、個人の身体にたとえれば、「病気」だということだ。いくら「病院」がはやったとしても、国民が皆、「病人」になったのでは元も子もない。「健康」であることがあたり前でありたいものだ。
 そのためには、カロリーや水分、塩分の摂り方、適度な運動の仕方や、仕事の処理の工夫が必要だろう。
 このような健康体の企業をつくるための経営の総論が本書である。」
(『「経営成功学」とは何か 百戦百勝の新しい経営学』 まえがき)

 

経営成功の基本

 経営においては、失敗することもあるが、それを次の飛躍のためのバネ、経験として使い、新たなる事業のチャンス、種に使っていくようなたくましさが必要である。これが「経営成功学の基本」であって、「常勝思考」という教えでもあり、「転んでもただでは起きない」といった考え方であり、「わらしべ長者」の説話のようなものでもある。

 何でもないもの、どこにでもあるもの、誰でも知っているものなど、目につくもののなかから価値があるものを見つけ出したり、つくり出したりしていくことが非常に大事である。

 総裁は、『経営が成功するコツ』 実践的経営学のすすめ』で以下のように説かれました。

「もちろん、経営においては、失敗することもあるでしょう。しかし、そうであっても、それを、さらに次の飛躍のためのバネとして使い、経験として使い、また新たなる事業のチャンスに使い、あるいは、種に使っていくような、たくましさが必要であるわけです。
 幸福の科学で説かれている「常勝思考」という教えにも、そのようなところがありますけれども、簡単な言い方をすれば、これは、「転んでもただでは起きない」といった考え方でしょうか。
 さらに簡単に言えば、説話の「わらしべ長者」のようなものです。
 「ある貧乏な男がスッテンコロリンと道で転んだら、わらしべを一本つかんだ。このわらしべを富に変えよう」というのが「わらしべ長者」の話ですが、ただ転んだのであれば痛いだけ、手が汚れただけで終わりになってしまいます。
 しかし、わらしべ一本であっても、つかんだものは「元手」ですから、「このわらしべを何に使うか」ということでしょう。
 男はこれに虻を縛りつけ、ブーンと飛ばしながら歩いていきますが、いわゆる昔のおもちゃのようなものでしょうか。途中、子供連れのお母さんと出会ったときに、「あれ、欲しい、欲しい」と子供がせがんだので、みかんと交換します。
 そのように次々と交換していくうちに、だんだんそれが大きなものになっていき、最後は、大金持ちに見込まれて婿入りし、長者になるような話だったと思います。
 また、この話には信仰心も絡んでおり、最初は「観音様のお告げ」から始まっています。ここに、主人公の「心掛けのよさ」や「感謝する気持ち」があることなどを媒介させているのでしょう。
 この「わらしべ長者」の話は、昔物語として伝わっているものではありますが、ある意味で、「経営成功学の基本」でもあります。
 すなわち、何でもないもの、どこにでもあるもの、誰でも知っているものなど、目につくもののなかから、価値があるものを見つけ出したり、つくり出したりしていくこと。これが非常に大事なことなのです。」

 

経営は神仏にそば近い仕事

 経営成功学の特徴を一言で言うと、「経営は成功せねばならない」という価値判断が入っていることです。
 これは当たり前のようですが、実はそうではありません。今までの経営学では、財務、マーケティング、競争戦略といった企業活動の分析はしていますが、その研究が本当に経営を成功させているのかについて、シビアに判定されていないのです。
 経営学に限らず、学問の世界では、価値判断をしないことが科学的とされていますが、経営の成功・失敗に無関心で、そこに責任を持たない経営学では意味がありません。
その点、経営成功学は「人間と社会を幸福にする」という理念をベースにして、そのために経営を成功させることを明確にしているのです。

 経営者の態度こそが、事業の成否を決めます。ところが、これまでの経営学では、トップ経営者のマインド研究が非常に少ないのです。

 一方、幸福の科学の教学を土台とする経営成功学は、人間学や心の法則についての知見が豊富です。「経営者のどんな心構えがどんな結果を生むか」を理論として普遍化でき、具体的な事例についての検証も格段にスピードアップするはずです。

 経営者は、「製品」「流通」「サービス」の面で顧客を満足させるものを提供し、付加価値の総合点を上げることが求められます。経営とは「付加価値の創造」あるいは「総合芸術」であり、事務管理ではありません。

 さらに言えば、この創造には終わりがないのです。環境や時代は常に変化し、経営もその中で新しいものを創造していく必要があるからです。「無限の創造」という意味では、経営は神や仏のそば近くにある仕事だと考えるべきでしょう。

参考

 総裁は、経営成功学部の ねらい について、こう述べておられます。

「経営成功学では、「経営は、なぜ失敗し、なぜ成功するのか」ということを見極める方法を教え、「どうやったら あらゆる業種において経営に成功していく方法をつくることができるか」というテーマに挑んでいきたいと考えています。」(『「経営成功学」とは何か』P-26)

 経営成功学部は、現在3割にも満たない黒字企業を増やしていく試みである。同じ業種、同じ規模、同じ地域であっても、成功する経営者と失敗する経営者がいる。不況と言っても、全ての企業が業績不振に陥るわけではなく、業績を伸ばす企業も一定の割合で存在する。逆に、好況であっても、全ての企業が好調になるわけではなく、倒産する企業も出てくる。

 こうした現実から、経営には「成功する方法」と「失敗する方法」とがあり、あるいは、「成功する経営者」と「失敗する経営者」がいることがわかる。したがって、成功と失敗の原因を分析し、理論化し、成功する方法を だれでも「学習できるもの」に出来れば、黒字企業の割合を飛躍的に高めることは可能でしょう。

「最低でも勝ち越しが必要でしょうし、やはり7割や8割は成功したいものです。」(『「経営成功学」とは何か』P-15)

 経営成功学部では、未来を創造するという観点に立った考え方というものを示そうとしています。

「結論的に言えば、みなさんが行うべきことの一つは「マーケティング」です。多くの人たちに その商品やサービスの値打ちに気づいてもらい、受け入れてもらうための活動をすることです。

 もう一つは「イノベーション」です。やはり、仕事をしていく段階に応じて、違ったものが出てきます。次に行わなければならない発想やアイデア、人の使い方、新しい人を使ったやり方、協力者を入れて仕事をしなければならない発想やアイデアなど、いろいろなものが出てきますので、その都度考え方を進化させていくイノベーションの力が必要です。

 この二つを持っていれば、皆さんが行う仕事は、会社であれ、会社外のボランティア的な仕事であれ、NPO(非営利団体)的な仕事であれ、必ず前進していくでしょう。

 今までそういう商品が欲しいとおもっていなかった方や、そういうサービスが欲しいと思っていなかった方、あるいは、「宗教の信仰など、自分に必要だと思っていなかった」という方に対して、「それが実は必要なのだ」ということを教えて受け入れさせることです。これがマーケティングです。

 それから、相手の段階に合わせて、次々と新しいサービスや商品、考え方を教えていくなかで、こちらもやり方を進化させていくことです。これがイノベーションです。

 この二つを持って戦い、壁を破っていくことこそ、大きな組織として前進していくための道筋なのです。」(『智慧の法』P-162~164)

 ところで、ここで考えたいのは、節税目的で赤字にしている会社は、いったい何のために経営をしているのかということです。「良い商品やサービスを提供して喜んでもらって幸福を創造していこう」という考え方が中心にきているのでしょう。その志の低さが国家の財政赤字の原因にもなっているわけです。

 それだけに、経営の勉強を始めるにあたっては、「何のために経営者になりたいのか」という志の部分をしっかりと点検する必要があります。そして、何としても成功しなければならないことを前提として知っておく必要があります。

「経営は確かに厳しいものです。「実際にやってみたら難しいし、失敗は多い」というのは そのとおりかもしれません。

 しかしながら、経営を目指す以上は、失敗を目指すわけにはいかないのです。失敗することはあるでしょう。しかし、失敗を目指すわけではないのです。「成功を目指さない経営」などというものは経営ではありません。」(『経営が成功するコツ』P-17)

 

経営を成功させるための考え方

 経営で成功を目指すにあたっては、「成果は外部にある」という考え方が重要になります。特に大きな企業になると、内部管理や事務管理をマネジメントだと思うようになる傾向がありますが、顧客の獲得が出来なければ、事業としては発展できないということを絶対に忘れてはいけません。

「社長のなかには、経営あるいはマネジメントと言えば、大量の書類のようなものを捌いて、判子をつくことだと思っている人も大勢います。判子が30個も50個もついているようなものを、とにかく読むことだと思っている人が数多くいますが、そういう管理業務だけをマネジメントだと思うのは甘いのです。

 要するに、「経営あるいは事業というものは、結局顧客の創造をしなければいけないのだ」「全ての成果は外部にある」ということです。

 外部から成果をあげなければ、売り上げも立たなければ、利益も出ません。書類の仕組みを変えたり、人を異動させたりして、中身ばかりいじっていても、売上にもならなければ、顧客の獲得にもならないのです。」(『イノベーション経営の秘訣』P-102~103)

 また、富の集中も重要です。富を集中させることによって大きな仕事が出来、新しい価値を生み出すことが出来るようになるからです。

「資本主義の原理は、基本的には「富の集中」です。それぞれの人がバラバラに十万円ずつ使っても大したことはありませんが、お金を、数億円、数十億円と集めたら大きな仕事が出来るようになります。

 「富の分散」は、それ以上のものを生みません。支給したもの以外の価値を生まないのです。」(『Think Big』P-173~174)

 この「富の集中」を通して「価値を生む」という考え方は極めて大事です。しかし、そこには「価値の創造」という視点が抜けていることが多いと言えます。

 富を集中し、新しい価値を生み出すことが出来れば、結局、全体の富は増えていきます。しかし、新しい価値を創造することなしに、集めた富を使って競争に勝とうとすると、ダンピング(採算を無視した安売り)をして強引に他社の顧客を取るようなことにもなります。それでは不毛な競争を助長させるだけですし、社会全体の富も増えていきません。

 富の集中とは、勝つために手段を選ばないという発想ではありません。あくまでも新しい価値を生み出すための考え方です。

 本当の意味で成功するためには、崇高な志を持っている必要があります。たとえば、ある地域に新しい店を出す場合に、自社の売上げをあげさえすれば良いと考えるよりも、より便利で豊かな新しい町をつくりたいと考えたほうが より良い結果が出てくるはずです。

 経営成功学では、経営者が現実の経営を通して、様々な苦難困難を乗り越え、繁栄を実現していく過程で、人間としての悟りを深め、経営者としての器を広げ、自身と周囲の人々の幸福を実現していくことを狙いとしています。

「ひとたび、優れた起業家や経営者が出て、数千、数万、数十万の人々を養えるような大会社をつくっていったとしたら、どうでしょうか。

 一人の人間が、多くの人々の生活や幸福を保証できるようになったとするならば、そして、自分の会社のみならず、社会全体へ富を分配できるようになって、国家の力をも押し上げたとするならば、さらには、その国家の力が、国家の中にとどまることなく、全世界に広がっていき、他の貧しい国の人々をも救える力を有するに至ったとするならば、さあ、その力をいったい何と評価しましょう。

 その力の源泉となっている富は、明らかに宗教的に悪とされる「金儲け」とは違ったものになっているはずです。それは、善悪のなかの善、それも圧倒的なる善に転化していると思います。

 すなわち、「優れた経営など、多くの人々を養い、幸福にしていくための経済原理、および、その行使は善である」ということなのです。」(『発展思考』P-143~144)

 経営で成功するにあたって、どういう仕事観を持って仕事に取り組むかは極めて重要となる。企業の創業期や成長期には、時として無理をしなければ顧客の要望に応えきれない局面が生じるし、経営危機に陥れば、昼夜を問わず資金繰りに追われる局面もある。こうした状況を乗り越えて企業を存続させるには、仕事そのものに積極的な意味を見出す必要がある。労働時間の長さを幸不幸の基準にすれば、経営者ほど割りに合わない仕事はない。一倉定氏も、「社長と言う職業は、全く大変なものだと思う。見方によっては、最も割りに合わない職業である」と述べている。

 なお、成功した経営者は、仕事に生きがい、やりがいを感じている。

 人間は、皆生活の向上を願い、自己の才能を発揮したいという欲求を持っている。一個の人間としての自己拡大の本能である。会社を発展させなければ、従業員の自己拡大の欲求は満たされない。人間の欲求を無視することになる。いったん、経営者を頼って入社してきた人間の欲求を満たしてやろうとしないのは、人間性無視もはなはだしいといえよう。それだけ、経営者は大きな責任を負っているのである。

 基本的に、経営学の教科書を何回読んでも、畳の上の水泳訓練と同じで、なかなか実際には泳げるようにはならないのです。経営とは実践であり、事前の勉強には限界がある。とはいえ、何も勉強しないで社会に出るのは、盾も剣も持たず、丸腰で戦場に出るようなものである。あらかじめ鍛錬を積み重ね、しっかりと武装していたほうが、現実の戦場において活躍し、勝利を収める可能性は高い。とりわけ、経典の学習は、とびきり性能のよい盾と剣を持つということである。

 

若い学生が成功する経営者になるための心構え 

 知識的な学習は前提ですが、アルバイトやサークルなど、何でもよいので事業の模擬体験をしてほしい。そこで、人の動き方、金銭感覚、顧客対応などを学べます。特に、さまざまな場面で人間や環境を「観察」し、そこから「学習」する力をつければ、将来の成長速度が格段に違ってきます。
 「何事も熱心に取り組むこと」を勧めたい。困難にめげずにやり遂げようと努力することです。若い頃に小さな成功体験を得られれば、大きな力になります。その熱意の根底に「世界を豊かにしたい」という使命感があれば、必ず経営者として成功できるでしょう。

 

「経営の成功」から個人および社会の幸福へ

 富や豊かさはいかにして創造されるのか。答えは「個々人が勤勉に働き、世の中に貢献することによって」である。したがって、社会の責任としてやるべきことを一点に絞るならば「雇用の創出(ジョブ・クリエイション)」であろう。雇用を創出する役割を果たすのは、企業家や資本家であり、黒字を生む経営者に他ならない。

 経営成功学は、成功する経営者を数多く輩出し、雇用を創出して多くの人が働ける環境を創り、世界の富の総量を増やすことで、人口問題の解決に寄与することを目指している。事業やビジネスを起こし、雇用を創出することこそが真の社会保障です。

 これとは反対に、国家による過度な福祉政策、優しすぎる政治は、かえって個人の経済力を弱め、社会全体の貧困を拡大する。現在のギリシャの惨状を見るまでもなく、社会保障支出の増加が長期的にその国の経済成長率の低下をもたらすことは実証済みです。

 

経営は成功させるべきもの

 国家や世界のためにも、経営はぜひとも成功させるべきものです。日本では約7割の企業が赤字であるとされるが、赤字会社は経営に失敗し、経営資源の無駄遣いをしている。

 経営の使命とは、限られた資源をうまく利用し、投入した価値以上の付加価値を生むことです。仕事や雇用を生み出し、黒字経営をし、国家に税金を納め、従業員に十分な賃金を支払う企業は「善なる存在」である。この善なる存在を限りなく増やしていく必要がある。

 日本政府も経営に成功しているとは言えない。もちろん、政府の経営と企業の経営は単純に同一視できないが、少なくとも、 増税を繰り返し、新たな税制を導入しようとする国家経営は合格点には程遠い。重税は「財産権の侵害」であり自由の統制だからです。税収アップは、国民一人ひとりの所得と企業の利益が増えることによって実現されるべきです。経済成長のための国家戦略と政策こそが必要である。

 当然ながら、経営の成功はミクロの観点からも重要です。人生の途上で生じる悩みや苦しみの7、8割は経済力がつくと解決するものが多いと言われる。

 個人が額に汗して働くことはもちろん社会のためにもなるが、働くことは人間の尊厳でもあります。すべての人間が仕事を得て所得を増やしていける社会が望まれる。十分な経済力は人生に安定をもたらす。「衣食足りて礼節を知る」の教えの通り、豊かさは文化や文明の基礎ともなるだろう。

 

経営成功学の理念とは

 このように、「人間の幸福」という理念から出発する経営成功学は、経営者を成功させて富を創造し、個々人の安寧、企業と国家の経済発展、世界の繁栄と平和に寄与することを目指している。

 特に深刻な人口問題については、人口増加率の高い地域はほとんどが発展途上国であり、日本はこうした国々に経済モデルを示して貧困や飢餓の撲滅を手助けする役割を期待されている。経営成功学は、そうした使命を担える人材を輩出し、日本と世界の幸福な未来を切り拓いていくだろう。

参考

経営は神仏にそば近い仕事

「経営は成功せねばならない」という価値判断

 これまでの経営学では、財務、マーケティング、競争戦略といった企業活動の分析はしていますが、その研究が本当に経営を成功させているのかについて、シビアに判定されていないのです。
 経営学に限らず、学問の世界では、価値判断をしないことが科学的とされていますが、経営の成功・失敗に無関心で、そこに責任を持たない経営学では意味がありません。
 その点、経営成功学は「人間と社会を幸福にする」という理念をベースにして、そのために経営を成功させることを明確にしているのです。

 経営者の態度こそが、事業の成否を決めます。ところが、これまでの経営学では、トップ経営者のマインド研究が非常に少ないのです。

 一方、幸福の科学の教学を土台とする経営成功学は、人間学や心の法則についての知見が豊富です。「経営者のどんな心構えがどんな結果を生むか」を理論として普遍化でき、具体的な事例についての検証も格段にスピードアップするはずです。

 

経営は「終わりのない創造」

 経営者は、「製品」「流通」「サービス」の面で顧客を満足させるものを提供し、付加価値の総合点を上げることが求められます。経営とは「付加価値の創造」あるいは「総合芸術」であり、事務管理ではありません。
 さらに言えば、この創造には終わりがないのです。環境や時代は常に変化し、経営もその中で新しいものを創造していく必要があるからです。「無限の創造」という意味では、経営は神や仏のそば近くにある仕事だと考えるべきでしょう。

参考

未来に必要な「神の目」を意識する経営

 企業倫理の改善は、単に道徳的な問題であるのみならず、業績に直結する大きな経営課題でもある。規制強化もある程度は必要だが、企業人のモラルそのものを改善しなければ、今後も類似の事件は絶えないだろう。実際、最近もタカタ、旭化成建材、東芝などの不正がメディアを賑わせている。

 

宗教が健全な企業倫理を支える

 経営者一人ひとりが健全な倫理観を持つには、どうすればよいだろうか。

 経営学者ドラッカーが好んで取り上げた、古代ギリシャの彫刻家フェイディアスのエピソードが参考になる。フェイディアスは、誰の目にも触れない彫刻の背中の部分も彫った理由を問われた際、「神々が見ているから」と答えたという(P・F・ドラッカー『プロフェッショナルの条件』)。ここには、健全な倫理観を持ち、よい仕事をするためには、「神の目」を意識しなければならないという教訓がある。

 心の中で「神の目を意識する」という姿勢があれば、手を抜くことも、不正を働くこともない。この意味で、成果を求めるからこそ、経営は宗教と不可分の関係でなければならない 。

 大川隆法総裁は、「『目に見えない世界から見られている』という気持ち、あるいは、『自分自身の良心が見ている』という気持ちを持つことが大事です。『「将来、大を成そう」と思うのであれば、そんなことで味噌をつけるようなことをしてはいけない』と、自分を律する気持ちを持たなければいけません」と述べている(『希望の法』)。

 今日ほど この警句をかみしめるべき時はない。

 悪しき企業文化が広がることを防ぎ、不正を拡散させないようにしなければならない。日本のみならず、世界にとっても、「神の目」を意識した経営成功学が必要だと思われる。

参考

成功と失敗を通してミッション経営を目指せ

価値の創造こそ経営の出発点

 今の経営学は、すでに大きくなった企業の実績や経費、人員などの推移を数値的に分析したりしているが、それを学んで、実際に経営で成功するかどうかに責任を負っているとは言い難い。

 大川隆法総裁は、わらしべ長者 の話を引用しつつ、「経営の出発点は、本当は小さな商売に成功するあたりから始まります」と指摘。一見、価値のないようなものに対し、他の人とは違う価値を付け加えることが経営の基本であることを示した。

 たとえ、コピーを取ったり、お茶を出すような簡単に思える仕事であっても、他の人より付加価値を生み出すことは可能であり、そうしたセンスは業種が変わっても活かされる。

 自分に任された仕事の中で、何らかの価値を生み、顧客からファンが付くようであれば、起業して成功する可能性があると言える。

 大川隆法総裁は、起業家の条件として、「アイデアをどれだけ出せるかが大事。寝ても覚めてもアイデアを追い続けるぐらいの人でなければ、成功することはないと言っていい」とし、この30年近い幸福の科学グループの発展は、万の単位のアイデアによって支えられてきたと語った。

 

経営者自身もイノベーションが必要

 企業経営において、特に重要視されるのがイノベーションです。会社が大きくなるにつれて、財務や人事、リスクマネジメントなど、規模相応の仕組みをつくらなければいけなくなる。

 このイノベーションに関して、総裁は、経営者自身の成長という観点から、「熱心さを超えて、やはり使命感を持たなければいけない」「過去の成功、失敗をいろいろ踏まえた上での経営理念が出てくると思います。経営者は、それを絞り出して、結晶化させねばならないのです」と説き、ミッション経営への脱皮について強調した。

 ヒト・モノ・カネ・情報などの資源を元手にしている以上、成功を目指さなければ経営とは言えない。経営学そのものにも 今 イノベーションが求められている。

参考

経営と真理 へ

「仏法真理」へ戻る