本業で利益を出すのが基本

経営は管理運営ではない

 幸福の科学大川隆法総裁は、『「経営の創造」 新規事業を立ち上げるための要諦』の まえがき で以下のように説かれました。

「「経営」を「管理」や「運営」のことだと思っているなら間違っているといってよい。学級担任がクラスの生徒の生活指導をしているのは「管理」ではあっても「経営」ではない。清掃局が、月・水・金にゴミ収集することに決めて、配車と人員のローテーションを決めても、それは「運営」であって「経営」ではない。
 「経営」とは、新しい事業を「創造」し、「守り育て」、「発展」させていくことである。生き残りをかけた「経営」は、防戦一方だけでは十分ではない。日々に「新しき挑戦」がそこにはなければならない。
 本書には、新事業を立ち上げるためのヒントが満載されている。自分の適性や新事業の種への目のつけどころ、同業他社との圧倒的な差別化、どうすればお客様の熱烈な支持を受けられるか、など、着想のヒントには様々な視点がある。どうか真剣勝負で黒字経営を目指していってほしい。」
(1~2ページ)

 

事業の本質は市場をつかむこと 

 規模や業種にかかわらず、結局は顧客をつかめるかどうかに事業の成功は帰結します。「商売の原点」に常に立ち戻る必要があるのです。

「結局、事業というものも、相手があってのものなのです。

 そのため、実際に経営をしたことのない学者が書いたマネジメントの本を読んでも、経営がうまくできるようにはなりません。

 「お客様」「顧客」など、言い方はいろいろありますが、経営は、あくまでも相手があってのものです。

 別の言葉で言うならば、「市場(マーケット)のなかで成果をあげる」ということです。これが事業の本質なのです。

 市場のなかで成果をあげるためには、多くの人にとって役に立つような商品や製品、サービス、考え方などを提供して、ある種の賛同、あるいは感動を呼び起こし、その人たちに、繰り返し「何らかのかかわりを持ち続けたい」という気持ちを起こさせることが大事です。

 そうした気持ちを起こす人、要するに「リピーター」が増えていくと同時に、新しい人、新規の客も増えてくるようなスタイルが出来上がれば、いかなる業種であろうとも成功せざるを得ないのです。

 本質はここにあります。事業経営の本質は、ずばり、市場をつかむことにあるのです。」(『未来創造のマネジメント』P-319~320)

 

本業で利益を出すのが基本

 本業で利益を出すのが基本である。

 本業でできていないのに副業をやれば、今でさえ悪い本業の経営が もっと悪くなってしまい、失敗する可能性は高い。

 逆に、本業がうまくいっているが、その一部を新規のものに当てるという企業は成功する。

 ただ、コンセプトが本業とずれすぎているものは難しい。

 総裁は、『社長学入門』で以下のように説かれました。

「「本業が駄目なので、副業で何か新しいものをやり、そこで立ち直って黒字を出し、赤字を埋めよう」という考えの企業は、こういう時代には、ほとんど潰れると見てよいのです。
 やはり、本業で利益を出さないといけません。それが基本です。
 本業でそれができていないのに、ほかに副業をやれば、そこにエネルギーも取られるし、智慧も取られるし、お金も取られます。それから、新しいノウハウの形成もしなければいけないので、そこでも大変です。能力が足りないので、利益もあがらず、本業まで傾くのは確実です。今でさえ悪い本業の経営が、もっと悪くなってしまいます。
 本業が潰れたら、だいたい、あとの回復は不可能です。別なところに転業するしかありません。
 「本業が駄目なので、新しい商売をやって成功しよう」という考えの人は、五年以内に経営者でなくなっていると見てよいと思います。
 一方、「本業でうまくいっている。その一部を新規のものに当てるけれども、万が一、これが潰れても、びくともしない」というような企業は、新しいことをやっても、だいたい成功するでしょう。
 ただ、基本的に、コンセプトというか、考え方が、あまり本業とずれているものは駄目です。本業の延長上にあるものでないと、やはり難しいのです。
 したがって、私は、原則、無軌道な多角化には反対です。失敗します。人は、あまり、やり慣れていないことをやると失敗するのです。それができるのであれば、何でもできることになってしまいます。
 以前、ある鉄鋼会社は、工場の跡地でウナギの養殖をしましたが、やはり、うまくいきませんでした。鉄鋼をつくるのと、ウナギの養殖をするのとでは、あまりにも文化が違いすぎます。仕事の中身が全然違うのです。
 そのように、まったくの素人考えで思いついたアイデアでやっても、できないものはできないのです。
 似ているものなら多少はできるでしょう。ある程度、考え方が似ている業種なら進出できます。しかし、まったく違う業種に進出することは厳しいでしょう。
 例えば、幸福の科学のように、「物ではなくて心が大事ですよ」と説くところで、「物づくりに大いに励む」ということは、やはり無理でしょう。心に関連した物をつくるぐらいであればできるでしょうが、物をつくることが主体になると、コンセプトが違うので、やはり厳しいでしょう。そのようなものです。
 今後も基本的にはデフレが続くので、「新しいところに活路を開きたい」というのは、誰もがすぐに思いつくことです。しかし、それは、だいたい、本業のほうの経営責任を投げ捨て、環境のせいにして、「別なものなら、いけるのではないか」という思いでやることが多いので、失敗する可能性は高いと見てよいのです。」
(267~271ページ)

 

本業で勝負する姿勢

 志がぶれないということも大事です。本業で勝負するという姿勢です。

「どこも関連事業をしてはいますけれども、「本業の遺伝子として通じるもの、それに関係するようなものであれば、ある程度成功するかもしれないが、まったく関係のないものをするのであれば合わないだろう」と私は思うのです。

 みな、広げることは考えて、自分の守備範囲を広げたり、持ち場を拡げたり、仕事の範囲を拡げたりしたがるけれども、あまりそちらのほうに走ったら駄目だ。広げるのではなく、一つのことに専念し、それに習熟してマスターすることが大事である。これは、「広げる」ということではなく、「高める」という言葉なのだ。山を高くすれば、必ず裾野も広がる。だから、裾野を広げようとするのではなく、山を高くしようとすることだ。自分の本業に専念し、それを深く掘り込み、その.技術を高めてプロフェッショナルになっていくにつれて、裾野が広がっていくのだ。

 そのように、「ただただ本業に専念し、「自分を高めていこう」と思っていると、いつの間にか関連する周りの知識も増え、経験も増えて、事業の裾野が広がっていくことになるのだ。最初から裾野を広げることばかり考えていたら、これは間違いなく潰れるだろう」といつたことを言っているので、ここはよく考えなければいけないと思います。」(『「経営成功学の原点」としての松下幸之助の発想』P-134~137)

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