人材の入れ替え

 会社が大きくなって、創業のころからいる人たちが能力不足で役に立たなくなってきたときは、「給料は十分に出しても部下はつけない」という処遇が必要であるし、明確に「辞めたい」という意思表示をした人に対しては、それ相応の金銭的処遇をし、気持ちよく送り出すことが大事である。

 このような非情さを持ち、理性に基づく判断ができるようでなければ、トップとしては自滅していくことになる。

 経営者として成功していくためには、厳しい経営判断を一種の「禅機」(悟りを得る機会)として不退転の心境を磨いていかねばならない。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『経営入門』で以下のように説かれました。

「小さな会社においては社長が最大の人的資源ですが、会社が大きくなるにつれ、その規模にふさわしい人材が途中から入ってきて、しだいに内部の体制が固まってきます。
 その際に、創業のころからいる人たちが能力不足で役に立たなくなり、彼らに対して非常に残念な処遇をしなければならない場合も出てきます。
 しかし、初期の人たちが厳しい処遇をされる会社というのは、発展している会社なのです。したがって、そういう事態になったときには、自分の会社が発展したことを喜ばなければなりません。ほとんどの会社は十年一日のごとき経営をしているので、それだけの発展があったというのは喜ばしいことなのです。
 ただ、創業時には貢献したが、会社の規模が五倍や十倍になった段階で幹部として使えなくなった人に対しては、「給料は十分に出すけれども、部下はつけない」という処遇が必要です。要するに、会社の被害を大きくしないことが大切なのです。
 もちろん、明確に「辞めたい」という意思表示をした人に対しては、それ相応の金銭的処遇をし、気持ちよく送り出してあげることが大事です。
「会社が脱皮していくにつれて、そういう厳しい処遇をするのも経営者の仕事である」ということを心得ておかなければなりません。
 また、親族の場合も同じです。もともとは親子や兄弟、夫婦などで経営していた会社が、大きくなるにつれ、そういう人たちの能力では運営が厳しくなってくることもあるでしょう。
 その際に、どのような処遇をするかも非常に難しいものがあります。特に兄弟がライバル関係になった場合は、厳しいものがあるでしょう。
 しかし、基本は同じであり、その人が能力的に無理ならば、利益を分け与えるなど、金銭的なメリットは、ある程度残したとしても、部下まで与えて組織全体の業務を阻害させるようなことは避けなければなりません。
 そして、どうしてもうまく処遇できない場合には、会社や財産の分割といった手段によって、別個のものにしていくことも必要になります。
 このような非情さを持ち、理性に基づく判断ができるようでなければ、トップとして立っていくことはできず、やがては自滅していくことになるのです。
 いずれにしても、経営者として成功していくためには、厳しい経営判断を一種の「禅機」(悟りを得る機会)として、不退転の心境を磨いていかねばなりません。
「鋭さ」「厳しさ」、そして「智慧」といったものを持たなくては、小さな会社であっても社長は務まらないのです。」
(158~161ページ)

組織の発展に応じ必要な人材は変わる

「人の能力には限界があるので、それを超えて企業が発展していったときには、どうしても能力的に落ちこぼれていく人が出てきます。
 発展の速度が速ければ速いほど、それについていけない人が増えてきて、人材の入れ替えが必要になってきます。その時点その時点で、違った能力を持つ人が必要になってくるので、その辺を見極めなければいけません。」
(『社長学入門』)

 

企業にとって必要な人を見極めるポイント

 経営は変化するものなので、その折々に求められる人材像が変わってきて、入れ替えや場所替えが起きることがあります。そういう柔軟さを残した組織にしなければいけないのです。

 もし、「百年企業として、このままの状態で固定して、大きくしないでやっていく」と決めているのなら構いませんが、そうでない場合は、いずれ人の入れ替え等が起きてくることは、知識として知っておいたほうがよいでしょう。

 もちろん、情においては忍びない面はあると思いますが、「理性的、合理的に考えて、この人はこのポストにいるべきではない」と考えるならば、その人に辞めてもらうなり、出向してもらうなりしなければいけないでしょう。ただ、そのときに、情を少しつけてあげなければいけない面はあると思います。そのねぎらいの部分を、どう表現するかが大事です。

 一方、新しい人の言うことばかりをきいていると、実は、別の会社になってしまう場合もあります。古い人が全員いなくなるのは危険なところがあるのです。

例えば、「松下電器」が「パナソニック」になると、企業カルチャーはそうとう変わってきて、内部的には、少し問題は起きていると思います。技術者がたくさん辞めてしまったため、もとに戻れなくなった面はあります。このあたりは、全体として智慧が働かなければいけないでしょう。(2018.4.11法話「企業防衛術」質疑応答より)

 

場数を踏ませることは大事

 簡単に落ちこぼれる前に、多少伸ばせる余地があるかどうかを検討することも大事です。いくつかの経験を積むことで、乗り越えていける場合もあります。

 宗教でなくても、セールス系の生命保険や証券、その他のところもそうですが、だいたい三ヵ所くらいでやらせてみないと分からないと言われています。三つぐらいの支店や支社をやってみて、だいたい実力が固まってくるのです。例えば、支部長なら支部長で、少し違った種類のところを三種類ぐらいやらせてみて、できるかどうかを見てみるのも一つです。

 いろいろな条件のところでやらせてみて、”泥んこ”のところに放り込んでもできるし、順調なところに放り込めばそれなりに伸ばすなど、それぞれに合わせて、やり方を変えてうまくやっていく人は能力が高いでしょう。

 しかし、そうした人も場数を踏ませなければ、能力が開花してほかの人を指導できるようになりません。「これは使える人だな」と思った場合は、あまり長く塩漬けしすぎないことも大事です。

 「今、使えているから」とずっと塩漬けにすると、能力開発が遅れることがあるので、惜しい人材ほど経験を積ませなければなりません。

 「自分のところから引き抜かれたら困る」といって抵抗されるような人ほど、本当は経験を積まさなければいけないという矛盾があるわけです。抜かれたところはきついのですが、ここでまた新しい人を育てなければいけません。

新しい人で埋め合わせられるキャパシティもあるでしょうから、そのあたりの計算は要るでしょう。全部が全部、新しい人ばかりになったら、とてもやれるものではありません。

 「この人は次にこのあたりを経験させたい。この人の後任はこういう人を持ってこよう」とあらかじめ用意するなど、ある程度先まで構想しておくとよいと思います。

 ただ、諸行無常の理で、どうにもならないこともあります。情でいくら思ってもできないことはありますし、情が裏目に出ることもあります。

 執着していたために、「今までその人でうまくいったのだから、そのままでいいじゃないか」と思っていたら駄目になることがけっこうあり、結局トップのほうまで駄目になってしまうこともあります。

 それはやはり決断です。苦渋の決断です。どうしても使えない場合は、適当な処遇を考えてあげるなり、ねぎらいの言葉を一言付け加えるなり、努力する必要はあると思います。

参考

癖のある人材を使いこなす

 「才能を愛する気持ち」「才能がある人を使おうという気持ち」は持っておいたほうがよいと思います。

 ただし、才能がある人は癖があり、たいていマイナス面を持っているものです。才能を愛し、その人の長所を引き上げたつもりでも、マイナスの部分が出てきます。

 その人は「マイナスの部分まで認められた」と思ってしまう傾向があります。マイナスのほうは引っ込めて、よいところを出してほしいのですが、両方出てきます。

 マイナスのほうが大きくなりすぎたら、他の人が嫌がり始めて、降ろさなければいけなくなるというのも、繰り返し出てきている傾向です。

 「いい人だ」と思われたかったら、マイナスのことは言いたくないでしょうが、ある程度熟練してきたら、「七分ほめて、三分叱る」くらいの気持ちを持つことです。七割程度はその人のいいところをほめてやって、三割程度は気になるところ、よく文句やクレームが出てくるところ、「これに気をつけなさい」というところを刺してあげれば、長持ちすることがあります。

 ずっとほめてきて、あるときポーンと落とすと暴れる人は多いですから、気をつけなければいけません。

 ある程度、癖のある人材も使いこなせないと、組織は大きくなりません。特に新しいものをつくって大きくするときは、癖のある人材を使いこなせなければ大きなものにはなりません。百年も経った企業ならともかく、新しくやっているものはそういうわけにはいきません。

 別れが来るときもあるかもしれませんが、それはそれです。人生そういうこともありますので、一緒にいる間はできるだけ良好にやっていくことが大事です。その人の役割が終われば、幸福に生きられる職場や持ち場が別に現れることもあるでしょう。

 会社でも、平均的な能力を百としたら、九十から百十までの人はいられますが、九十以下の人も、百十以上の人もいられないと言われています。

 上がり下がりがあまり激しい方は、天狗パターンです。このパターンの人は、得意のときに慢心しないよう、失意のときに落ち込みすぎないように、感情の安定を図ることが大事です。失敗しそうな人は早めにクギを刺しておくことも大事でしょう。上からクギを刺しておけば、失敗しないこともあります。

 また、経営側に立つ者は大胆でなければなりませんが、同時に細心さを併せ持たなければいけません。「大胆かつ細心」という両立しないことをやってのけなければ駄目です。

 大胆な構想を持ち、「富、無限」と大きなことを言いつつ、経費の節減すべきところはピシッとしていかなければいけません。「富、無限!」と言いつつ、「何で電気をたくさん点けているの」と言えるぐらいの細かさはないと駄目です。そのあたりの使い分けを上手にしてください。

 

限界の壁を突破できるか

 人材の入れ替えは、ある程度仕方がありません。組織の規模や格、人的規模、経済的規模などが見えてこないと適正な人材は決まりません。

 今、海外では、比較的手の空いている方や、ほかの宗教を経験した方が手伝いに来ることが多いのですが、しばらくすれば”正規軍”がやってくると思います。

 ある程度、変動が起きてくることを見通しておくことが大事だと思います。時期が来たら、人を変えなければいけませんし、その人に合った仕事にしていかなければいけません。

 組織が成長するにつれて能力がずっと成長し続ける人は、やはり偉いです。大したものです。たいていの場合は壁が出てきます。その壁を突破できるかどうか、伸び続けるかどうかは難しいところです。

 自分で「限界が来た」と思えば、適度にバトンタッチも必要だと思います。

 

自分の武器を磨いておく

 いろいろな事態が起きても生きていけるように、武器を磨くことが大事だと思います。海外の場合、人の入れ替えはいずれ起きてくるでしょう。それが早いときは、自分がおかしくなったような気になるかもしれません。

 「人を育てる」ということも考えつつ、どうしてももたなくなった場合は、「これは公務だ」と思って入れ替えをしなければいけませんし、自分に対しても同じことは必ず働いてくるということです。

 

人材の落ちこぼれに関する判断

 会社が成長すると厳しい判断を迫られることがある。経営者はそれを乗り越えなければならない。

「スタートのときは小さな規模で初めているので、一緒に始めた相手は その規模に見合った人であることが多いのです。

 そのため、「一緒に始めたメンバーだから」という理由で、年功序列的に高い役職に就けていくと、規模が五十人から百人になる間あたりで能力的に落ちこぼれる人が出てきます。もう少し持ち堪えられたとしても、二、三百人ぐらいになると もたなくなります。

 例えば、人が使えない人物を役員や部長にしていると、新しく人を入れても使うことはできません。そのため、経営がうまくいかず、経営者は必ず苦しい時期を送ることになります。

 発展に伴って「人材の落ちこぼれ」が生じることは当然であり、仕方のないことなのです。トップに能力があるから、会社は発展しているのですが、一緒に始めた人は、三百人、五百人、千人、二千人と会社が大きくなったときに、トップの片腕や重役が務まる人ではかならずしもないからです。

 会社を始めた最初の段階では、大会社の重役が務まるような人材がいないのが普通です。もし いたならば、それは例外です。したがって、会社が発展するにつれ、能力的に落ちこぼれる人が必ず出てきます。経営者にとって、ここが最もつらいところです。

 このときに、「目をつむって その人を切るか、切らないか」ということが経営者としての判断になります。切れない場合には、会社をそれ以上に大きくするべきではありません。」

「トップが いい格好をする人、あるいは、「人によく思われたい」という気持ちだけの人であつたならば、会社はそれ以上大きくなりません。それが自分の限界だと思ってください。

 「脱皮できない蛇は死ぬ」と言われます。蛇は大きくなっていくために、必ず皮を脱ぎます。皮を脱がない限り、蛇は大きくなりません。

 それと同じで、経営においては、常に適材適所になるように、人の使い方を考えなくてはならないのです。

 人間には「人からよく思われたい」という気持ちがあります。それはよく分かりますが、能力のない人を高い地位に就けておくことが多くの人の苦しみになっていく場合には、「その人を切るか、切らないか」という、非常にドライな経営判断が要求されるのです。

 そういう判断をするためには、ある意味で冷徹で理性的な部分も経営者には必要です。これが経営者になれる人となれない人の分かれ目になります。」(『経営入門』P-188~191)

 

人材の入れ替えは将来の必要性も考えて行う

「どういう人を抜擢して、どういう人はしないか。どういう組み合わせにするか。どういう上下関係にするか。この人材の配置をどうするか。このあたりが成功度を決めていくことになるだろうと思います。

 当会は比較的不自由なスタイルではありますが、上がったり下がったり、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしているうちに、残るものは残るという感じのザルッとした経営をしています。おそらく、能力があっても埋もれている人もいるだろうと思いますが、能力のない人が上のほうにいる場合は、いずれ分かってくることです。

 つまり、揺さぶっているうちに、だんだん出てくるというような感じです。」(『上司力の鍛え方』)

 トラックの荷台に収穫したジャガイモを載せて、デコボコ道を走ると、目的地に着くまでの間にガタガタ揺れて、小さいジャガイモと大きなジャガイモに自然に分類される。同じように、頻繁に人事異動を行っているうちに、出来る人は芽が出てくるという考え方である。

 その際の注意点は次の点である。

「学歴が高くて、今は使えないような人の場合は、将来的にこういうものが要るようになるという見取り図があればよいのです。

 その人が今は仕事が出来ないように見えても、周囲の人に「この人は、もう少ししたら要るような人材なのかな」と我慢してもらう面もあると思います。」(『上司力の鍛え方』)

 組織が小さいうちは、どちらかと言えば、体育会系の人材が必要とされていても、その組織がなってくると、緻密な書類仕事や専門的な業務も増えてくる。高学歴の人はそういう時に力を発揮することが多いので、短期的な必要性だけで実力主義的に人材の入れ替えを行うと、将来必要となる人材を放り出してしまうことになりかねない。人事は長期的に考える必要がある。

 

不況期は人材入れ替えのチャンス

 実力主義人事とは、企業の成長や社会の変化に合わせて人材を入れ替えていくことを意味する。

「小さなガレージを工場にして始めた会社などでは、普通は最初から それほどマネジメント能力の高い人がいるはずはありません。そういう会社が何万人もの従業員のいる大企業になる場合、会社が大きくなるにつれ、能力の高い人が途中から入ってき始めます。そうすると、元からいた人たちは、だんだん苦しくなってきます。

 しかし、そのようにして人材が入れ替わってくることは正しいことなのです。それは発展している証拠であり、そうならなければ「発展していない」ということなのです。

 パナソニックで言えば、初代の社長である松下幸之助は、自分が小学校知中退なので、従業員についても、最初は「小学校出の人でよい」と言っておりました。次は「中学校出の人でよい」となり、もっと会社が大きくなると、「高専卒の人でよい」となり、かなり大きくなってきたら、さすがに「大卒の人が要る」と言うようになりました。

 松下幸之助は、「発展規模相応の人材でよいのだ」というようなことを言っています。

 変化する組織においては、能力の高い人を最初から採るのは無理です。ただ、「組織の要求する人材が変わってくる」という流れをよく見極めなくてはなりません。その自転に合わせた人材を使わなくてはならないのです。

 一代で世界的企業に成長した とある会社では、会社を始めたときに副社長をしていた人が、その後 平社員になっているそうです。こういうことは どこでも起きることのようです。」(社長学入門』P-154~155)

 特に、不況期は人材の入れ替えが必要な時期であり、チャンスの時期でもある。

「これまで、日本の会社は年功序列型で出世していく傾向が強い組織であり、を取ると成り行きで肩書が上がっていった人たちが数多くいました。

 不況期は、こういう人材の入れ替えをするときです。こういうときに人材の入れ替えをしても、「仕方がないかな」と受け入れてもらえるのです。その意味では、本当の戦力を見出すチャンスでもあります。

 そして、「若い」ということは、抜擢をためらうための条件ではなく、抜擢を決めるための条件であることを知らなくてはいけません。

 「若い人は未熟で経験や知識が足りないから、地位を引き上げられない」と普通は考えがちですが、これは考え方が逆であり、若いからこそ抜擢する値打ちがあるのです。

 危機のときには、やはり、勇気を持ってチャレンジする人材が必要となります。勇気のない人材に任せておいては負け犬になってしまうので、そういうときには、年齢・経験を問わず、やる気があり、逃げずに責任を背負うタイプの人をこそ抜擢すべきなのです。

 不況期は、「人材の入れ替えをしつつ、人材を訓練し、鍛える」という時期でもあることを忘れてはいけません。」(『創造の法』P-205~207)

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