お金儲け どう考えればよいのか

 お金そのものは無色透明のものである。問題は、それに携わっている人の心の持ち方である。よい心根でお金を扱えば よいお金になるし、悪い心根であれば悪いお金にもなる。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『人生の発見 説法自由自在①』で以下のように説かれました。

「お金というものを、そもそもそういう悪といいますか、人間をだめにするものというふうに規定していくと、その利潤というもの自体が悪となるという考え方にもなるかと思うのです。しかし、逆の考えもありうると思います。
 たとえばひとり商いをしているとすると、仕入れにしても仕入れできる数量がひじょうに限られていますから、安く仕入れをすることはできないですね。そして安くすることができないから、高い利潤を得ることもできません。それで自分の生活費だけを細々と稼いでいるとします。
 ところがこの人が、たとえばもっと大規模に事業を展開することを決意します。それでたまたま何人かとグループを組んで、資金力もできて、そういう大きな仕事ができるようになったとすれば、今度はどうなるかというと、大量に安いものを買えるようになってくるわけです。それで売り先もずいぶん広がってきます。
 そうすると、その人がたとえば自分一人では、年収三百万ぐらいの商売であったところが、大規模な事業にしていくことによって、年収千五百万になったとします。ところがそれだけではなくて、さらに利益が大きいがために、従業員を十人雇うことができた。それで十人の人が、新しい雇用の下でまた働けるようになったわけです。
 十人の人が働いて、それでもって社会的に損失になったかというと、そうではありません。十人の方が収入を得て、またその商売自体は発展していって、いいものを安く提供できるようになってくるのです。そういう発展形態もあるわけです。
 金もうけが必ずしも悪いかというと、資金力がつくことによってより多くの雇用を生み出したり、より多くの事業の可能性がでてくることもあるわけです。
 ですからお金ということに先入観念を持つことには問題があるということです。あくまでもそれに携わっている人の心の状態に問題があるのではないかと私は思うのです。」

 近代社会において、貧しさではない豊かさの公平分配を目指す社会が出現してきたのは、優れた起業家たちが大きな事業を起こし、その事業によって裕福になる人をたくさんつくり出したからである。

 宗教において批判の矛先を向けられがちな“金儲け”と、「優れた経営」とには違いがある。

 優れた経営、多くの人々を養い、幸福にしていくための経済原理とその行使は善である。

 総裁は、『発展思考』で以下のように説かれました。

「貧しい人々で社会の大部分が占められているような時代に、もし、その貧しい人々の限られた食料や金銭を搾取する、一握りの人たちがいたならば、それが領主であれ、代官であれ、何であれ、人々の怨嗟の的となったことでしょう。そして、彼らに恨みを向け、攻撃することが、正義とされることも多かったでしょう。
 そういう時代には、貧しさの公平分配のみがあり、富裕な階級にある者は貧しい人々の恨みのなかを生きていたわけです。
 ところが、近代社会において、事情はずいぶん変わってきました。「貧しさの公平分配ではなく、豊かさの公平分配を目指す」という社会が出現してきたのです。
 では、いったい、なぜ、豊かさの公平分配ができるようになったのでしょうか。
 この百年余りの近代国家の動きを見てみると、それは、「一握りの優れた起業家たちが出て、大きな事業を起こし、その事業によって、裕福になる人をたくさんつくり出した」ということに原因があるように思います。
 日本においても、明治以降、素晴らしい起業家が数多く出ました。その結果、社会が繁栄したのです。それはアメリカにおいても同様です。
 ここ百年余りの人類の歴史で特に目立つのは、優れた起業家あるいは経営者と言われる人たちの出現なのです。
 ここで、私は次のことを明確にしておきたいと思います。
 それは、「通常、宗教において批判の矛先を向けられがちな『金儲け』と、『優れた経営』とには、若干の差がある」ということです。
 もし、「金儲け」というものが、個人が私腹を肥やすためだけのものであり、他の人が誰も幸福にならないのであるならば、それは、確かに、人々の恨みを買うに十分かもしれません。
 しかし、ひとたび、優れた起業家や経営者が出て、数千、数万、数十万の人々を養えるような大会社をつくっていったとしたら、どうでしょうか。
 一人の人間が、多くの人々の生活や幸福を保証できるようになったとするならば、そして、自分の会社のみならず、社会全体へ富を配分できるようになって、国家の力をも押し上げたとするならば、さらには、その国家の力が、国家のなかにとどまることなく、全世界に広がっていき、他の貧しい国の人々をも救える力を有するに至ったとするならば、さあ、その力を、いったい何と評価しましょう。
 その力の源泉となっている富は、明らかに、宗教的に悪とされる「金儲け」とは違ったものになっているはずです。それは、善悪のなかの善、それも、圧倒的なる善に転化していると思います。
 すなわち、「優れた経営など、多くの人々を養い、幸福にしていくための経済原理、および、その行使は、善である」ということなのです。」

 「考え」には力がある。人間は、「考える力」によって人生をつくっていくことができる。お金持ちになりたいのであれば、富を憎んではいけない。「成功する」ということを悪いことだと考えてはいけない。

 総裁は、『日本の繁栄は、絶対に揺るがない』で以下のように説かれました。

「私は、「人間というものは、『考える力』によって人生をつくっていくことができるのだ」ということを、繰り返し述べています。
 「考え」には力があります。考えは一種の“磁石”のようなものであり、自分が考え続けているもの、求め続けているものを引き寄せてくる力を持っています。みなさんが職場や家庭などで考え続け、求め続けているものを、日本全体からも世界からも、あるいは大宇宙からでも、引き寄せてきます。
 要するに、人生においては、本当に、自分が望み、願い続けているようなことが、目の前に展開していくのです。
 ただ、目の前に展開しているものについて、「これは、自分が望み、願っていたものである」ということに、本人自身は気がついていないことが多いのです。
 なぜかというと、心の奥底(潜在意識)では、繰り返し、それを思っているのに、表面意識では違うことを考えているため、「自分が考えているものとは違う」というように見えるからです。
 しかし、周囲の人たちから見れば、「あの人は、自分が思っているようになっただけなのではないか」と思えることはよくあるのです。
 例えば、「健康になりたい」と言いつつも、本当は病気のことばかりを考えていて、病気を引き寄せてしまう人は大勢います。
 あるいは、「もっとお金儲けをしたい。お金持ちになりたい」と口では言っていても、ほかの人が観察すると、そのようには見えない人も大勢います。「この人は、本当に、お金持ちになりたいのかな。豊かになりたいのかな。そのわりには、言っていることや、やっていることが、どうも違うような気がする」と感じられるのです。
 お金持ちになりたいのであれば、富を憎んではいけません。「豊かになる」ということを憎んではいけないのです。また、「成功する」ということを悪いことだと考えてはいけないのです。
 成功することを悪いことだと考えたら、成功できなくなります。このことは分かるでしょうか。成功したら、自分は“悪人”になるわけですから、成功したくなくなるのです。
 口では「お金持ちになりたい」と言っていても、心の奥底で成功を否定していると、あとで「言い訳」ができるような、何らかのつまずきが起きてしまい、結局、お金持ちになれないのです。
 例えば、「もう少しで事業が軌道に乗る」というときに限って、病気をしたり、事故が起きたり、何らかの邪魔が入ったり、ライバルが出てきたりして、うまくいかなくなる場合があります。これは、事業が軌道に乗ることを心の奥底では願っていなかったのです。思いが徹底していないわけです。
 信念が弱く、「考えは現実の力になるのだ」ということが信じ切れていないのです。このことは、そう簡単には分かり切らないため、少しは思っても、強く信じることが、なかなかできないでいるのです。」

総裁は、『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』で以下のように説かれました。

「宗教的なものを求める人には、この経済的感覚でつまずく人が多いのです。
 精神的に貧乏性になっていると、現実にも貧乏になっていきます。心の世界で貧乏になっていると、それが現実になるのです。
 「真理経済学」においては、「人の役に立つことをすれば評価される」ということになっています。お金は交換価値を持っており、人の役に立つことをすれば、その対価として与えられるようになっているのです。
 お金があまり入ってこない場合には、役に立たないことをやっているか、自分の“趣味”でやっていることになるので、真に人の役に立つことを考えればよいのです。お金もうけではなく、世の中の役に立つことを考えるのです。
 役に立つ仕事やサービスを提供していれば、お金は自然に集まってくるようになっています。お金が集まらないのは、たぶん人の役に立っていないのです。」

お金を嫌う人のところには お金は集まってこない

 総裁は、『「成功の心理学」講義』成功者に共通する「心の法則」とは何か』で以下のように説かれました。

「宗教的な人格を持った人のなかには、お金に対する「罪悪感」のようなものを持っている人が多くいます。
 それは、「お金儲けに成功するというのは、いやらしいこと、汚いことだ。そういうことをするのは、人間としてよくないし、天国に行けない」という考え方です。
 要するに、「お金儲けをしたら、人間としては、この世的で、ずる賢くて、汚い人間になって、心が清くなくなる。魂が穢れて、天国に行けなくなる。だから、お金に縁のない人生を生きることが、純粋で正しいのだ」という考え方なのです。
 しかし、そうした考え方を持っていた場合、事業的に成功することは、ほとんどないと考えてよいでしょう。
 やはり、お金を嫌う人のところには、お金は集まってはきません。」

 

儲けるための秘訣

 業種を問わず、世間様から見て お役に立つ仕事をしていれば、必ずそれなりの経済的な報酬が与えられるようになっている。

 人々の役に立つ仕事をしていれば、しかるべきときにしかるべき手を伸ばして引っ張ってくれる人が必ず現れ、今いる会社で自分の能力や才能を生かし切れなくなれば、必ず新天地が開けるようになっている。

 したがって、一過性の経済的問題については、あまり悩みすぎる必要はない。人様のお役に立つことを心掛けながら、その結果については大いなるものに委ねて祈っていれば必ず道は開けてくる。

 大川隆法総裁は、『智慧の経営』で以下のように説かれました。

「この世の中では、世間様から見て、お役に立つ仕事をしていれば、それなりの経済的な報酬が与えられるようになっています。必ず、そうです。しかも、業種を問わず、そうなのです。
 つまり、自分の収入額を決定しているのは、自分自身ではなく、周りの人たち、あるいは、お客様など、世間一般の人たちなのです。
 例えば、不況期であっても、商売が繁盛しているところと、繁盛していないところが出てきますし、同じ会社のなかでも、収入が増える人と増えない人が出てきます。それを決めているのは、自分ではありません。周りの人たちが、そのように決めてくださるわけです。
 したがって、お金を儲けようとして、あがく必要など全然ありません。多くの人の役に立つ仕事を常に心掛けることです。「多くの人の笑顔や幸福な姿を見ることを喜びとする。そうしたことを、自分の仕事の延長上に見いだす」というような努力をすることが大事です。「人々の役に立ち、人々から感謝されていて、経済的な報酬がない」ということはありえないのです。
 「自社の商品やサービスはこんなによいのに、売れないのはおかしい」と言うのは勝手ですが、やはり、世間の目は厳しいものです。
 また、「不況だから潰れた」という言い訳をよく聞きますが、同じ通りや繁華街にあっても、「潰れるところあり、潰れないところあり」です。お客が減って潰れるところがある一方、お客が増えているところもあるのです。
 本当に不思議なことですが、この事実に対しては謙虚でなければならないと思います。
 経済問題については、個別具体的なことを深く考えすぎる必要はありません。世間様のお役に立つような仕事を常に心掛けていれば、どのような職場にいても、みなさんの経済状況は好転します。
 そして、今いる会社のなかで、自分の持っている能力や才能を生かし切れなくなった場合には、必ず、新天地が開けるようになっています。世の中というのは、そのようなものなのです。
 見る人は、必ず見ています。人々の役に立つ仕事をしていれば、みなさんに、もっと大きな仕事をさせるべく、しかるべきときに、しかるべき手を伸ばして引っ張ってくれる人が、必ず現れてくるのです。
 繰り返しますが、経済的な問題については、一過性のものがあったとしても、あまり深く悩みすぎる必要はありません。人様のお役に立つことを心掛けながら、その結果については、大いなるものに委ねて、祈ってください。そうすれば、必ず道は開けてきます。」
(26~29ページ)

 ロックフェラーは、人生の前半で大成功して巨大な財閥を築いたが、まだ五十代で体ががたがたになった。

 そこで、彼は、「自分のために、どれだけお金を集めるか」から、「世の中のために どれだけお金を還元するか」へと改心し、布施の心を持って慈善事業を行なった。

 すると、新たな人生が開けて長生きした。

 総裁は、『大悟の法』で以下のように説かれました。

「アメリカの大金持ちに、ロックフェラーという人がいました。二十代で成功し、四十代で大会社の社長となり、膨大な富を得て、巨大な財閥を築いた人です。
 ただ、彼は五十代のころ、「金もうけ主義で人々を苦しめている」と、あちこちから非難を受け、まだ五十代なのに、老いさらばえた老人のようになってしまったのです。胃が痛み、夜も眠れず、体はがたがたになりました。
 そこで、彼は改心し、「この財力を生かして、世界の人々のために役立てよう」と思い、ロックフェラー財団をつくりました。そして、膨大な資金力を使い、世界各地で、教会や病院、学校などを数多く建てたりしたのです。このようなことができた人は、かつていませんでした。ロックフェラーはそれほどの財力を持っていたのです。
 五十代で死にかかっていた彼は、以後、光明思想を持って生きることによって、満九十七歳まで長生きしました。
 大金持ちには財欲がないかといえば、そうではなく、ロックフェラーほどの大金持ちであっても、「びた一文、負けられない」というような商売をしていたのです。その結果、彼は人生が苦しくなり、最後は病気になって、行き詰まりました。しかし、布施の心を持つことによって、新たな人生が開けたのです。
 大金持ちのロックフェラーは、「自分のために、どれだけお金を集めるか」ということから、「世の中のために、どれだけお金を還元するか」ということへと考え方を変えました。そうすることによって、それまでの罪の意識や、いろいろな人の批判、怨嗟の声が消え、明るい人生を生きることができるようになったのです。」
(59~60ページ)

 

正しいお金の使い方とは

 お金の使い方を間違えると会社は倒産します。ところが、お金の使い方を教えてくれる学問は世の中にありません。これは自分で体得する以外に方法はないのです。

 ただ、一つの手がかりとして、お金の使い方に関する要点を2つ紹介します。

 1点目は、「長期的な構想で効果の大きいものに投資すること」です。経営者自身の自己投資についても同じことが言えます。経営者は常に新しい知識を勉強しない限り生き残れませんから、長い目で見て、将来的に役に立つような知識を学ぶための書籍の購入代金や講演会や研修への参加などは、効果的な投資に値するので、お金を惜しむべきではありません。

 2点目は、「『未来の人々のために』という視点でお金を使う」ということです。お金を使う時には、「自分が喜ぶだけなのか、それとも世の中の人や未来の人々が喜ぶものなのか」ということを考えるのです。(参考『智慧の経営』P-232 234~235)

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