社業を発展させるために

 一般的には、善を思えば善が来るし、発展を思えば発展が来る。

 しかし、社会においては、自分だけでなく、他の人々もまた幸福を求めて生きているのだから、自分の力を客観的に見て、どこまでが正当な発展で どこからが我欲になるかという境界を見極めることが大切である。

 特に上に立つ者は、その立場において当然持つべき見識なしに甘い見通しで押し通してはならない。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『常勝の法』で以下のように説かれました。

「一般的には、善を思えば善が来るし、発展を思えば発展が来ます。しかし、社会においては他の人々と共存しているのであり、自分だけでなく、他の人々もまた幸福を求めて生きているのだということを忘れてはいけません。
 たとえば、人々が、「よい店から、よい品を買いたい」と思っているときに、「自分の店だけが最高だ」と言っても、それが客観的なものかどうかが問われます。客観的に見てそうであるならば、そのように言ってもよいでしょうが、他の店も、やはり最高のものを求めて努力しているのです。
 したがって、自分の力を客観的に見て、「どこまでが正当な発展であって、どこからが我欲になるか」という境界を見極めることが大切です。よいものであったとしても、能力の限界を超えたときには、それは私利私欲と変わらなくなります。これを知らなくてはなりません。
 そのように、個人においても、組織を率いる者においても、常に主観と客観の両方の目を持って見ていく必要があるのです。
 コップのなかの水を、「半分しかない」と思えば心が暗くなり、「半分もある」と思えば心が明るくなることは事実です。しかし、大勢の人が水を飲みたいということになれば、話は全然違ってきます。自分一人なら、コップに半分もあれば充分かもしれませんが、大勢の人が水を飲みたいという状況であれば、そこに計算が必要です。
 一人で何リットルも水を飲みたいという人はいないでしょうから、一人当たりコップ一杯の水があれば充分でしょう。そこで、人数がどれだけいるかを見れば、必要な水の量が分かります。それを調えることができるかどうかは、上に立つ者としての見識です。この見識を持たずして、甘い見通しで押し通してはならないのです。
 国家のレベルでは、指導者はそれ相応の能力を必要とされますが、会社などの小さなレベルでも、それは同じです。
 会社を起こす場合、たいてい、それは社長一人の力でなされます。中小企業の場合は、九〇パーセント以上は社長の力です。社長の才覚、創意工夫、アイデアによって、企業は生まれ、成長していきます。しかし、その社長の能力の限界によって、会社はつぶれてしまうものなのです。
 会社が一定以上の大きさになったら、社長は自分の能力の限界をよく知り、自分と自分を補佐する人の力でやっていけるかどうかを考えなくてはなりません。補佐する人の力を合わせても、やっていける部分とやっていけない部分があるので、その限界がどこにあるかを見極める必要があるのです。
 また、時代の流れとして、その産業が追い風の産業であるかどうかということもあります。好況時には、下手な経営者というものはほとんどいません。どんなことをしても売れるからです。やはり、不況時に強いものこそが、ほんとうによいもの、ほんとうに強いものだと言えるのです。」
(282~285ページ)

 小さな会社では、社運の99パーセントはトップ一人で決まる。主たるネックは、トップ自身にあることを知らなくてはならない。

 トップは、従業員の不十分な働きを責める前に、自分自身の能力と責任に思いを向けて、社員を改造する前に、まず自己を改造し、改善しなくてはならない。

 総裁は、『経営入門』で以下のように説かれました。

「ある意味においては、「小さな会社では、社運の九十九パーセントがトップ一人で決まる」と言っても過言ではないのです。したがって、トップというものは、従業員の働きが不十分であることを責めるよりも、まず、自分自身の能力と責任について思いを向けなくてはなりません。
 小さな会社においては、トラブルがいろいろと起きてくる場合、それはトップ一人の問題であることが多いのです。しかも、トップ自身の考えが間違っている場合には、それを修正する方法がありません。そのため、トップの能力の限界が、会社の発展の限界になるのです。言葉を換えれば、「経営者の器によって会社の大きさが決まる」ということです。
 これは非常にさみしいことのようにも聞こえますが、一方では、幸福なことでもあります。なぜなら、会社の規模が自分の器の範囲内にあればこそ、自分の力でつくった会社を、そのまま自分で守り続けることができるからです。
 トップ以外の力によって、トップの能力以上に会社が発展した場合には、トップそのものが落ちこぼれてしまうこともあります。それはトップにとって不幸なことです。経営者が自分の力で会社を発展させ、大きくしたければ、自らの能力を高めるしかないのです。
 経営者はよく勉強すると共に、日々の仕事のなかで、「経営における悟り」とでもいうべき発見を積み重ねて、新しい方法を完成させなくてはなりません。
 経営とは日々の発見であり、その積み重ねです。別の言葉で言えば、発明の連続なのです。
 新商品や新しい販売方法を発明する。販路を開拓する。広告宣伝の方法を開発する。新しい人脈を開拓する。あるいは、「どうすれば、もっと売れるようになるか」「社内体制をどのように変えれば、もっと効率がよくなるか」などを考える。また、決算を分析して、「どうすれば、もっと利益があがるか」についても考える。
 小さなことではありますが、こういう一つひとつのことが、ある意味において発明なのです。そして、そういう発明を積み重ねていくことが、小さな会社の持っている宿命でもあります。このように考えなくてはなりません。
 要するに、「主たるネックは、トップである自分自身にある」ということを知らなくてはなりません。
 社員を改造する前に、まず自己を改造し、改善することこそが、社業を発展させる道なのです。」
(130~135ページ)

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