経営能力は実際に経営をしないとわからない

 経営能力は、かなり先天的なもので、経営能力を持っている人は十人に一人もいないが、その有無は実際に経営してみなければ分からない。

 それを事前に判定することはできず、実績でしか判定できないので、判定は必ず事後になる。

 やってみて失敗したら、プライドが傷ついたとしても、転職して宮仕えに戻るべきである。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『社長学入門』で以下のように説かれました。

「経営能力自体には、かなり先天的な部分があります。本人の努力による部分もありますが、先天的なものが大きいのです。
 ただ、その経営能力そのものは、実際に経営をしてみなければ分からないところがあるため、難しいのです。学校のテストなどで、「この人には経営者の能力がある」ということを事前に判定するのは不可能なのです。
 実際に社長をやらせてみないと、会社が潰れるかどうかは分かりません。経営能力があるかどうかは、やらせてみないと分からないのです。結果を見れば判定が可能ですが、やってみないかぎり分からないわけです。
 それは経営者だけでなく課長や部長も同じで、据えてみなければ分かりません。役員も同じです。
 もちろん、頑張っているうちに“筋肉”が付いて、できるようになることもありますが、一般的に言って、経営能力はかなり先天的な能力です。そのため、才能のない人は、何度、会社を経営しても、失敗します。
 ただ、それを事前に判定することはできません。実績でしか判定できないので、判定は必ず事後になります。
 これは、どんなに偉い学者が判定しようと、どんなに偉い経営者が判定しようと同じであり、その人が起業して成功するかどうかは、その判定期間をどのくらい見るかは別として、やらせてみなければ絶対に分からないのです。
 個人として、「自分は起業して成功するだろう」と思うならば、やってみればよいでしょう。やってみて失敗したら、やはり転職するしかありません。
 それは、禅的に言うならば、「冷暖自知」ということです。「冷たいか、暖かいか」は、自分で水のなかに手を入れてみなければ判断できません。他の人がいろいろ言っても分からないのです。水のなかに手を入れてみたら、「ぬるい」とか「熱い」とかいうことが分かるように、自分で経験しなければ分からないところがあります。
 起業する場合は、不確定要素がたくさんあり、事前には計算不能です。経営環境が変わることもあれば、ヒット商品が別なかたちになったりすることもよくあり、また、ある商品が当たっても、次のヒット商品が出ないこともあります。そのようなリスクはあります。
 あとは、起業する前に、自分のことをよく知ってくれている人に相談してみることです。家族や友達、あるいは、経営的な面で先輩に当たるような人などに、いろいろと相談してみたらよいのです。
 ただ、意見はバラバラだろうと思います。周りの人たちに意見を訊いてもよいのですが、最後は自分の一存で決めなければいけません。
 ただ、「自分には経営能力がない」と思ったら、プライドが傷ついたとしても、やはり“宮仕え”に戻るべきです。
 「経営能力を持っている人は十人に一人もいないのだ」ということは知っておいたほうがよいでしょう。」
(373~379ページ)

 2003年の法改正により、資本金が1円でも起業できるようになり、「誰でも経営者になれる」として、一種のベンチャーブームが起きたことがあります。しかし、現実には、誰もが経営者としてのたき性を持っているわけではありません。「経営は持って生まれた才能であり、事前にそれを知ることはできない」ということです。

 その可能性を示す一つの目安が、「企画力」や「行動の速さ」ということですが、ドラッカーは、「成果を上げるタイプ」についてこう振り返っています。

 「外交的な人もいれば、超然とした内向的な人、なかには病的なほどに恥ずかしがり屋の人もいた。過激な人もいたし、痛ましいほど従順な人もいた。太った人も痩せた人もいた。心配性の人も気楽な人もいた。酒飲みも酒嫌いな人もいた。魅力的で温かい人も、魚のように冷たい人もいた。」

 つまり、性格や外面的な特徴で見分けることは出来ないということです。

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