リーダーの資質

 リーダーの資質とは、第一に、常に人よりも先が見えること。第二に、その人に従っていると未来が開け、よきことが起きてくるという予感がすること。第三に、その人の過去に厳しい苦難を克服してきたなど人びとを納得させるだけの実績があることである。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『常勝思考』で以下のように説かれました。

「リーダーの資質とは、いったい何でしょうか。まず、「常に先が見えなければならない」ということがあります。人よりも一歩でも二歩でも先が見えなければいけません。
 人よりも先が見える人を、他の人はどのように見るかというと、自分たちよりも未来について多くのことがわかるわけですから、能力的に優れている、あるいは偉大な人物であると思うわけです。あたかも、二メートル、三メートルの背丈のある人が、他の人よりも遠くまで見えるように、人物自体が大きいがゆえに見晴らしがきくのか、それとも予言者的資質に恵まれているがゆえに先のことがわかるのか、そのように、その人の周りにいる人びとは見るのです。やがて人びとは、その人の持つ不思議な魅力に惹かれて、その人に従うようになっていきます。
 しかし、ただ先が見えるだけではだめです。先が見えて、常に「あなたはこのままでは失敗するよ」ということしか言わないような人や、失敗や不成功の例ばかり言うような人は、一時的なリーダーにはなれても、やがて人は離れていくに違いないのです。
 先が見えるだけではなく、リーダーの資質として二番目に要求されることは、その人のそばにいると、あるいはその人に従っていると、未来が開け、よきことが起きてくるという予感がすることだと思います。
 そして、三番目に、そうした未来を開拓する力がある人には、逆に、その人の過去そのものにおいても、人びとが「なるほど」と思うだけの実績が必要だと私は考えます。ただし、過去の実績といっても、その人の経歴に輝かしい勲章が並んでいるというような人生である必要は、必ずしもないと思います。
 たとえ、どのような人生を生きてきたとしても、そのなかをどう乗り切ってきたか、その道筋をこそ、人びとは見、そこに優れたリーダーとしての資質を見出すのではないでしょうか。
 歴史上の偉人たちの人生を見たときに、よく考えることは、恵まれた環境に生まれるということが、あまりないということです。もし恵まれた環境に生まれたとしても、途中で必ずや、何らかの大きな挫折、あるいは人生の転機がきて、厳しい苦難のなかに身を置くことがあったはずです。たいていの場合には、さほどよい環境ではないところに生まれながらも、努力して一代で力をつけて出てくるということが多かったようです。そのなかにこそ、人びとは何ともいえないひとっの力を感じるのだと思います。」
(15~18ページ)

 

リーダーとなる秘訣

 リーダーとしての資質とは、安定感があること、それも単にレールの上を走っているような安定感ではなく、「どのような波風に当たろうとも、ぐらぐらしない」という意味での安定感である。

 そうした安定感をつくる秘訣は、過去の人間が、どのようなときにどのような事態に接し、それをどう解決していったかについての叡智を集積することで、一段高い視点から物事を見、現在の事態を解決できることである。

 また、人間の精神は、鍛えれば鍛えるほど、力や輝きを増していき、他人の何千倍、何万倍という能力的な発展がありえるのであって、精神的巨人になったならば、いまの自分には大問題であっても、容易に解決できるようになるのである。

 大川隆法総裁は、『不動心』で以下のように説かれました。

「人生の苦悩は、ほとんどの場合、安定感を欠くところに原因があるように思います。
 みなさんは、自分がこれまでに会った人たちのなかで、どのような人を素晴らしいと思ったでしょうか。どのような人を大人物だと思ったでしょうか。どのような人を偉人だと思ったでしょうか。
 常に心がぐらぐらする人を、偉いと思ったことがありますか。怒ったり、泣いたり、喜んだり、一日のうちで気分がころころと変わる人を見て、素晴らしいと思いますか。「あの人のようにはなりたくない」と思うのではないでしょうか。
 みなさんが理想の人間だと感じるのは、「あの人のようになりたい。あの人に近づいていきたい」と思えるような人たちでしょう。そうした人たちの共通項は「生き方に安定感がある」ということです。
 リーダーとなる秘訣はここにあります。リーダーのリーダーたるゆえん、リーダーとしての資質とは、安定感があることです。その安定感も、単にレールの上を走っているような安定感ではなく、「どのような波風に当たろうとも、ぐらぐらしない」という意味での安定感なのです。
 そうした安定感をつくっているものの一つは、すでに述べたように、「叡智を集積している」ということです。すなわち、「過去の人間は、どのようなときに、どのような事態に接し、それをどう解決していったか」ということについての叡智を集積しており、それを当てはめて現在の事態を解決できることです。
 その際、「一段高い視点から物事を見ることができる」ということが大事なのです。
 毎日、気分が揺れて不安定なのは、結局、「自分が直面している問題と自分とが、がっぷり四つに組んで、どちらが勝つか分からない」という状況にあるからです。「自分が人生の勝利者になるか、それとも敗北者になるか、相撲が終わってみなければ分からない」という状況にあるからこそ、心が揺れるのです。
 問題をどう解決するかで悩む前に、問題をひと呑みするほどの大横綱になってしまうのです。そうすれば、小さな荷物を片づけるのは簡単です。普通の人なら背負って十歩と歩けないような重さの荷物でも、プロの力士たちは片手に下げて歩くでしょう。これと同じです。
 人間は自分を鍛えていけば、やがて大きな人間となっていけるのです。
 肉体の場合は、鍛えるといっても、その程度は限られています。しかし、精神の能力においては、偉人と凡人との差は非常に大きいのです。たとえば、ソクラテスと一般の人とでは、知力に大変な差があります。仏陀の叡智と一般の僧侶との差も、きわめて大きなものです。
 人間の精神は、鍛えれば鍛えるほど、力や輝きを増していき、限界がありません。肉体の力には限界がありますが、精神の力においては、他人の何千倍、何万倍という能力的な発展がありえます。
 そして、精神界の巨人となったならば、自分がいま手を焼き、「人生の死活問題だ」と思っていることが、いとも与(くみ)しやすいものとなるのです。」

 リーダーとは、どんなところに配置されても、その場で自分が何をなすべきかが自分で分かる人のことである。

 人から指示されなければ、自分が何をなすべきかが分からない人は、フォロワー(ついていく人)にすぎない。

 部下を持っている場合、自分ではなくてもできる仕事を部下に任せたほうが、自分としてもより高度な成果をあげられることが見抜ける人はリーダーである。

 大川隆法総裁は、『智慧の法』で以下のように説かれました。

「以前、「リーダーの条件」という法話もしましたし、それが経典にもなっておりますが、私はそのなかで、「リーダーとは、『自分がやるべきことを知っている人』のことです」「『人から指示をされなければ、自分が何をなすべきかが分からない人』は、リーダーの条件から外れます。そういう人は、フォロワー(ついていく人)であり、部下に相当します」と述べました。
 つまり、リーダーとは、ほかの人から言われなくても、今、自分がやるべき仕事は何なのかが分かる人です。
 もちろん、社長以外の人には、部門の長であれ、何らかの会社の方針や方向性についての指導はあるでしょう。そうした大きな流れや、業種による方向性は当然あるとは思いますが、いろいろなところに配置されたときでも、「その場に置かれたら、自分が何をなすべきか」ということを自分で分かる人は、リーダーなのです。
 さらに、「部下を持っている場合、自分の仕事のなかで、自分ではなくてもできる仕事を部下に任せたほうが、自分としても、より高度な成果をあげられる」ということが見抜ける人は、リーダーでしょう。
 リーダーといっても、もちろんトップから、中間レベル、あるいは下のほうのリーダーまで、レベルの差はあるとは思いますが、基本的に、リーダーとは、「言われなくても自分のなすべき仕事が分かる人」のことを言うのです。」
(214~215ページ)

 リーダーは、「決断し、実行し、責任を取る」という潔さが必要である。

 決断のときには、「正義とは何か」を常に追究し、決断したことを堂々と語り、実践する勇気が必要である。

 さらに、リーダーは、どれだけ多くの人への責任を感じ、どれだけ多くの人のために責任を取ることができるかが大事である。

 総裁は、『国家の気概』で以下のように説かれました。

「リーダーには、とにかく、「決断力」が大事です。決断力がないと、人はついてこないのです。
 また、決断のときには、「善悪とは何か」「何が善であり、何が悪であるか」ということ、言い換えれば、「正義とは何か」ということを、常に追究しなくてはいけません。
 そして、「真実、これが、未来を開く鍵である。未来を開く方向である」と思ったら、世間やマスコミの論調がどうであろうとも、「正しい」と思うことを、勇気を持って堂々と言うことです。それだけの自信が必要です。
 決断し、そして、自分が決断したことを堂々と語り、実践する。そういう勇気が必要です。それが、やはり、リーダーの姿であると思います。
 さらに、リーダーは責任を取らなければいけません。「どれだけ、多くの人のために責任を取ることができるか」「どれだけ、多くの人への責任を感じるか」ということが大事です。
 そのように、リーダーには、「決断し、実行し、責任を取る」という潔さが必要だと言えます。」

 

リーダーとして人生に必勝するための条件

 リーダーとして人生に勝利するための条件として、まず大事なのは、「先見性」である。

 それは分かりやすく言えば、次の時代のメシの種を探す力のことである。

 大川隆法総裁は、『朝の来ない夜はない』で以下のように説かれました。

「私の著書『リーダーに贈る「必勝の戦略」』にも書いてありますが、まず、「先見性」が非常に大事です。先見性のあるリーダーがいるところは、やはり強いのです。
 先見性とは、決して、「まだ起きていないことを見る」ということではありません。未来の芽は、すでに現在のなかにあります。生えたばかりの小さなフキノトウのようなものですが、未来の芽は、すでに生えているのです。
 先見性とは、「その芽が、やがて大きくなるのが見えるか」「すでにある社会の事象のなかで、これから伸びてくるものが見えるか」ということです。そういう意味での先見性が非常に大事です。
 これを、もっと分かりやすく言うと、「次の時代の“メシの種”を探せ」ということです。「来年、自社は何で食べていくか」「三年後、五年後、十年後は、何をして食べていくか」を考えることです。
 今年の年次計画は立っているはずなので、「今年は、何で食べていこうとしているか」は分かるでしょう。「売り上げや利益が、目標に対して百パーセントまで行くかどうか」については、社内で十分に議論したことでしょう。
 そうした三カ月や一年などの短い範囲ではなく、「三年後、五年後、十年後の商売の材料は何か」「今の商売がなくなるとしたら、次に、どのような業態を考えておかなければいけないのか」を考え、メシの種を探すことを、「先見性」と言っているのです。
 これを考えている人と考えていない人との差は大きいのです。まったく考えていない人にとっては、予想もしない不幸が、突如、わが社やわが店に襲ってきたように見えます。
 ところが、先見性のある人であれば、そうはなりません。
 例えば、小さな店の経営者であっても、大学や工場の誘致といった、公共団体の事業計画や、大手スーパーの進出計画などを事前にキャッチすれば、「数年後、どのような街になっていくか」というぐらいのことは予想がつきます。
 そして、「そのときに、街の地図は、どうなっているだろうか」「商店街は、どう変わっていくだろうか」ということをしっかり読めれば、あらかじめ手を打てるのです。これが先見性で

す。」

 リーダーとして人生に勝利するための条件の二番目は、「胆力」である。

 宗教は胆力を鍛える王道の一つ。信仰心を持って、瞑想や禅定などの修行をし、精神力を鍛えていくとよい。

 不況期は、宗教修行をするのに非常によい。雌伏のときには胆力を練っていただきたい。

「二番目に挙げたいことは「胆力」です。

 胆力というのは古い言葉ですが、「忍耐力」と言い換えれば、少し分かりやすくなるでしょう。胆力とは、人間として耐える力のことです。
 今は、もちろん、会社として耐える力が必要ですが、個人としても耐える力が必要です。批判されたり、抵抗に遭ったり、障害物に遭ったりすると、簡単に挫けてしまい、すぐにあきらめるような性格の人が、好況・不況の波があるなかで生き残ることは、やはり難しいのです。
 苦しい時代には、胆力、精神力を鍛えることです。あるいは、会社としての志を見直し、鍛え直すことが大事です。
 そういう胆力が必要です。胆力を持っていただきたいのです。
 胆力のあるリーダーの下では、部下は、信頼してついていくことができます。しかし、打たれ弱いリーダーの下では、下の人も右往左往してしまうのです。
 胆力を練る方法はあるかといえば、あります。
 胆力の鍛え方はいろいろありますが、宗教は胆力を鍛える王道の一つです。宗教における信仰心教育のなかに、不動の信念をつくる要素があるわけです。信仰心を持って、瞑想や禅定などの修行をし、精神力を鍛えていくのです。
 不況期は、宗教修行をするのに非常によい時期です。
 もし、これから会社が暇になるようなら、当会の精舎などで精神の鍛錬に励んでいただきたいと思います。そうすれば、また、しかるべきときに、飛躍し、雄飛する時期が来ます。雌伏のときには胆力を練っていただきたいのです。
 そういうチャンスを与えられず、調子のよい状態だけが続くと、人は慢心していくのみであり、胆力を養うことはできません。苦しみの機会、自らを反省する機会を与えられることは、ありがたいことなのです。
 例えば、業績が低迷している会社の社長であるならば、「わが社をさらに鍛えてくださって、ありがたい」と考えることです。低迷するのは、「社長としての徳が足りない」と世間から言われているのと同じなので、自らを鍛え直す必要があるのです。
 精神力を鍛え、もっと大きな負担に耐えられるような自分をつくらなければいけません。社員が十人から二十人になろうと、五十人になろうと、百人になろうと、それを背負っていけるような力が必要です。それだけの中身をつくるために、自分を鍛えることが大事なのです。」
(117~120ページ)

成果が出るまで持ち堪える胆力

 カリスマ経営者であっても、すべての判断を社員が無条件に受け入れてくれるわけではありません。説得するには時間がかかります。

「反対を押し切るためには説得力が要りますが、やはり、胆力というか、胆の力も要ります。これを持ち堪えて、ぐっと押していく力です。あるいは耐える力です。そういうものが必要になってくるのです。

 そうした力が出てこないと、大きな意思決定はできません。つまり、大きなレベルの仕事ができなくなってくるわけです。

 いったん決断したことを変えるときは、ゆっくりでよいと思います。ある程度、持ち堪えないと、実を結ばないことがあるからです。一定の時間が経つと、それが実現していくので、「そこまで粘る」という考え方を持つことも必要なのです。」(『未来創造のマネジメント』P-233-234)

 最後は、やはり、「勇気」「チャレンジする精神」が必要である。

 チャレンジできない理由は、ほとんどの場合、失敗を恐れる心があること。

 この恐怖と闘う方法とは、自分がいちばん怖がっていることをやってみることである。

「人生に必勝するための条件として、「先見性」と「胆力」を挙げ、「胆力は、特に、宗教的な修行で養えることが多い」ということを述べました。
 さらに述べるとするならば、「最後は、やはり、『勇気』『チャレンジする精神』が必要である」ということです。
 「壁」というものは、実際にぶつかってみると、破れることが多いのです。
 「無理だ、無理だ」と言っている人の意見を聴いていると、本当にそのような気もしてきますが、そういう人に対して、私は、「まあ、やってみなさい」と言いたいのです。やってみたら、意外にできることもあります。
 不況になると、どこも言い訳の山になりますが、うまくいかないことの言い訳を、いくら理路整然と説いたところできりがありません。
 それよりも、勇気を持って行動する、チャレンジすることが非常に大事です。
 チャレンジできない理由は、ほとんどの場合、失敗を恐れる心があることです。過去につくった栄光やプライド、虚名などが、自分をチャレンジから遠ざけているのです。
 かつての大恐慌のとき、アメリカ大統領のフランクリン・D・ルーズベルトは、就任演説で、「恐れなければならない唯一のことは、恐れるということ自体である(The only thing we have to fear is fear itself.)」と語り、恐怖と闘うように国民を鼓舞しています。
 では、恐怖と闘う方法とは何でしょうか。それは、自分がいちばん怖がっていることをやってみることです。
 自分をいちばん萎縮させ怖がらせているもの、あるいは、自分がいちばん人の目を気に して恐れていることにトライすることです。チャレンジすることです。そうすると、恐怖は消えていくのです。いちばん恐れていることと果敢に闘うことによって、恐怖は克服することができます。「恐怖をこそ恐れよ」というのは本当なのです。
 不況期には、いろいろな恐怖があるだろうと思いますが、恐れずにチャレンジしてください。恐怖こそ、克服すべき相手です。
 もちろん、恐怖を乗り越えていくためには「信仰心」や「熱意」が必要です。そして、その熱意は、『リーダーに贈る「必勝の戦略」』にも書いてあるように、使命感から生まれてきます。
 したがって、恐怖を乗り越えるためには、自分の志や会社の経営理念のなかに、“魂”を打ち込むことが大事です。
 「会社の経営理念に“魂”が入っているか」「自分のビジネス理念に“魂”が宿っているか」「本当に、天下国家、万民のためにやろうとしているか」ということを自らに問うことです。さすれば必ず道は開けていきます。」

 人は、通常、その人の傍に行くと元気をもらえるようなタイプが好きなのです。もう一つの肝として、頭が少し粗雑なように見えても、失敗してもあまり気にしないような楽天家であればさらに良いと言われます。ご機嫌なタイプのリーダーのほうが多くの人がついてきやすいところがあるからです。

 リーダーシップには、「自分が先頭に立ち、大勢の人々を引っ張っていく」という率先垂範型と、「意見が違う人たちを、うまく調整し、まとめていく」という調整型とがあります。

 率先垂範(そっせんすいはん)型のリーダーが必要であると同時に、それを補完する意味で、調整型のリーダーも必要であり、両者の組み合わせが大事です。
 リーダーは、自分に足りないものがあったら、その部分を埋め合わせるタイプの人と組んで仕事をしたほうがよいのです。そうすると、人々が完全には離れていかず、ついていきます。
強いリーダーがいて、調整型の人がサブとして周りをまとめている場合が普通だと思いますが、強い人が何人もいて、派閥が幾つもあるようなときには、調整型の人が上に立ち、全体をまとめていくことが必要でしょう。
 重要なのは、「最終的な目標を見失わない」ということです。最終目標を全員で確認し、意識していれば、途中で意見が分かれても、それをすり合わせることはできるはずです。
 意見が分かれたときには、「最終目標は、どこにあるか」ということを考え直してください。そして、「最終目標に向かって進んでいるかぎり、途中の経路については大きくは問わない」という姿勢を取ることです。
 リーダーとしての、そうした苦労は、やがて役に立つことでしょう。

 

リーダーが器を広げるポイント

 人材を育成するために、とにかく、理解できる幅を広げることです。「いろいろな人間がいる」という現実を理解することが大事です。

 相手がどういう人間なのかという本質を理解して、その人に合った球を投げることが大事です。
 やはり、「多種類の人間のあり方をどれだけ知っているか」ということが、その人の器の大きさになると思います。「いろいろな種類の人間がいることを知っていく」ということです。
それを間違うと、自分の考えをワンパターンで押しつけるだけになるのです。
 したがって、自分主体にならずに、人をよく見て、育成することが大事です。その人に必要なものを、的確につかみ出し、差し出していくことが大事であると言えるでしょう。自分の好みだけに偏らず、ワンパターンにならないことが非常に大事です。特に、年齢が上がると、だんだん頭が固くなり、「私は、こう考える」としか言えなくなります。これが「有(う)」の状態です。
 しかし、もう少し柔軟になっていく必要はあると思います。人によって言葉を選ぶなど、その人を導く方法を一つひとつ考えてあげる必要があります。「この人は、こういう導き方をしていけば、1年後には このようになるだろう」と考えてあげるだけの親切さが必要でしょう。それが器の広さにつながると思います。

 

どんな苦境の中でも努力で道を開く

 気になるのは、「働くのが嫌だから、プライベートの時間を多くしたい」と考える人が増えていることです。ですが、本来の働き方改革は、プライベートの充実のためではなく、「個人も会社も共に成長するための経営戦略」であるはずです。

 人生最大の目的は「自分を磨くこと」です。すなわち、「人格を磨く」ことで人は成長します。人は困難を克服する時に磨かれ、成長を実感する時に大きな幸せを感じます。

 本来、人は、生活の糧のために働くのではなく、仕事を通して自分を磨き、世の中に貢献する存在なのです。

 よい会社とは、お客様と社員を大切にし、利益を出す会社だと思います。

 「社員を家族のように考える日本の伝統的な精神」は変えてはいけない。

 ビジネスリーダーには、家庭のことは一切せずに尊敬されている人もいます。しかし、仕事も家庭も両立させるのが、人としての義務ではないでしょうか。

 リーダーに必要な資質は、「思いやりと真摯さ」です。周りの人への思いやりや真摯さがなく、会社の成果だけを誇る人は具合の悪いリーダーでしょう。

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