経営とは他人を通じて事業を運営し成果をあげること

一定の規模を超え、社長の能力を超えた場合

 幸福の科学大川隆法総裁は、『財務的思考とは何か』で以下のように説かれました。

「昨日も、新聞の夕刊を見ていたら、一面に、野菜工場をやっている会社が載っていました。十社に一社の競争に勝ち残り、今、テレビで取り上げられたり、よく新聞に出たりしている会社です。「ほかとの競争に勝って、どこそこにも工場を出す」と出ていました。それは嬉しいだろうとは思いますが、財務的に見たら、私などは、そろそろ“怖い”気がします。適切な財務マンを持っていなければ、潰れる恐れがあります。発展しても、そのコスト・コントロールから、投資が成果を生むかどうかというところまで、ちゃんと見える人がいないと、危ないのです。
 ニーズがあって始めても、途中からライバルに食われたり、需要がなくなったりするようなことは、いくらでもあります。そのへんで、いよいよ経営に、非常に“要注意”の部分が出てきます。一定の規模を超えると、危なくなってくるのです。社長の能力を超えた場合は危険になるので、“助っ人”がいないと経営ができなくなります。」(74~75ページ)

 

人を使える

 真のリーダーになっていくためには、最初は個人としての能力が高くなければいけないが、ある程度のところで限界が出てくる。

 その限界を乗り越えるためには、自分が持っていない才能を持っている人を味方につけ、その人の献策を受けて、その策が正しいかどうかの判断ができることが大切である。

 そのためには、相手の人となりや能力、長所も弱点も知りながら、その人の運のパワーが分かることが大事である。

 大川隆法総裁は、『希望の法』で以下のように説かれました。

「真のリーダーになっていくためには、最初は、もちろん、個人としての能力が高くなければいけませんが、次は、頭のよい人をブレーンとして使えなければいけません。また、昔で言えば、戦が強い大将でしょうが、いまで言えば、腕利きの営業部長や、突出したナンバーワンの営業マンなどを揃えていくことが必要です。
 営業能力が高ければ、「商品力が低くても、どんどん売り込んでいける」という面があります。あるいは、参謀の能力が高ければ、「大した商品でなくても、上手な作戦で、うまく広告をして商品を浸透させ、シェアを取ってしまう」ということもあります。
 才能を持って立ち上がってくる人というのは、技術系なら、技術の能力がある人、営業系なら、営業能力の高いバリバリの営業マンで、会社からボーナスをもらうだけでは物足りず、自分で会社を起こす人などです。
 そのように、会社であろうと何であろうと、最初は、何か一つ才能があれば、それで一気に大きくなるのですが、ある程度のところで限界が出てきます。
 その限界を乗り越えるためには、結局、「自分にない才能のある人、自分が持っていない才能を持っている人を味方につけ、その人の献策を受けて、その策が正しいかどうかの判断ができる」ということが大切です。自分の頭のなかにはない考え方を人から示されたときに、「それが正しく機能するか否か」ということについての、ひらめき、判断、直感力が必要なのです。
 この直感が外れる人は駄目なのです。これが外れる人は、その段階で、だいたい終わりになります。
 自分にそれほど能力がなくても、直感力が正しい人、「これは、いけるのではないか」という勘が当たる人は、才能のある人を使っていけます。ここは難しいところです。
 では、どうすれば、「これは正しい」という勘がひらめくのでしょうか。それには、自分では、そういう考え方を生み出すことはできないにしても、相手の人となりや能力が分かることが大事です。
 たとえば、企画書を上げてくる人や営業をする人などについて、「この人ならば、ここまでやれる」という、能力の判断ができること、その人の長所も弱点も知りながら、「この人の持っている運勢、運のパワーから見て、こういう局面において、勝てるか、勝てないか」という見方で判断できることです。
 この判断力のある人が上に上がっていきます。最初は、個人に能力がなければいけないのですが、次は、それだけでは上に上がっていけないのです。」
(234~237ページ)

 経営者には非凡な能力を持つ人が多いために、一つの落とし穴がある。

「「経営者でありながら、自分が経営者であることを十分に自覚していない人もいる」ということです。

 どういうことかというと、「一般的に、経営者は能力が高いので、何でも自分一人でやってしまうところがある」ということです。

 能力が高くなくて経営者になるような人はいないので、経営者には、どうしても「何でも自分で考えて仕事をする」という一人仕事になる傾向があります。

 「能力もあり、才能もあり、営業力もある」という超人的なタイプの社長にとっては、「全ての仕事を何もかも自分でやってしまいたい」という衝動は抑えがたいものでしよう。

 そういう人は完全主義者であり、本当はなかなか仕事を人任せにできない性格なのです。他の人と一緒に仕事をしていられる人であれば、何年も何十年も給料をもらう立場にいることができるのですが、他の人と一緒に仕事をすることができないから、経営者になっていくことが多いわけです。

 そのため、そういう人が仕事をすると、自分でも気づかないうちに一人仕事になっていきやすいのです。」(『経営入門』P-224~226)

 

経営とは他人を通じて事業を運営し成果をあげること

 しかし、経営とは、他人を通じて事業を運営し、成果をあげることである。

「他人の手を通さずに全部一人でやれるのならば、それは経営ではなく、個人仕事か職人仕事なのです。

 職人というものは、みな、自分一人で仕事をやりたがりますし、個人で事業を営んでいる人もそうでしよう。

 しかし、経営は、他人の力、人の手を使って何かを実現しようとするものなのです。ある意味で、「個人では出来ないことを多くの人を使って実現する」ということが経営であると言えます。

 したがって、経営者は、他人を通じて事をなそうとすることが大事なのです。この根本的なことを理解していない人が わりに多くいます。

 そもそも、個人として傑出した人でなければ経営者にはなれないので、「傑出した個人であり続けたい」という気持ちはよくわかります。しかし、経営者は、他人を通じて事業を運営しなければならないのです。」(『経営入門』P-226~227)

 

経営の基本は、他の人の時間や力を使って成果を上げること

 社長は、自分よりも仕事ができない人を集めて成果を出す必要がある。

「社長から見ると、自分の数分の一程度しか仕事ができない人であっても、そういう人たちを集めて仕事をさせることによって、自分の時間を増やす必要があるわけです。

 一日に十数時間働いていると、仕事の時間をそれ以上増やすことはできませんが、他の人に仕事を8時間してもらうと、その人の持っている8時間という時間をもらうことができます。たとえ、その人のレベルが社長である自分の半分や三分の一であったとしても、その人の給料に見合って入れはよいわけです。

 そして、他の人の時間や体力、能力、智慧を借り、自分一人で仕事をするよりも大きな成果を上げる必要があるのです。これが経営の基本的な考え方です。

 「個人として仕事ができる」ということと、「人を使って成果を上げる」ということは違います。」(『経営入門』P-231~232)

 

仕事を人に任せられるか

 組織のなかでリーダーになっていくためには、仕事を人に任せられるかどうかが大切。

 自分がやれば十割できる仕事でも、人に任せると七割か八割しかできないものと、割り切って考えること。

 それによって得られた自由な時間を、より高度な付加価値の高い仕事に振り向けて行くことである。

  大川隆法総裁は、『常勝の法』で以下のように説かれました。

「一般には、会社のなかで過ごす人が多いでしょう。そうした組織のなかで生きることを前提にするならば、結局、リーダーになっていくためには、仕事を人に任せられなければだめなのです。
 自分一人でできる仕事には限界があります。どんなに仕事ができる人でも、一人の仕事には限界があり、十人、百人の仕事には追いつかないものなのです。したがって、いかに人に任せられるかということが大事です。
 人に任せるに際しては、その人の能力や人柄が見えなくてはなりません。その人に合った仕事を与えていくために、「その人にできる仕事は何か。その人には少し無理な仕事は何か」ということを見極めていくことが大切なのです。
 自分がやれば十割できる仕事でも、人に任せると十割はなかなかできません。しかし、そういうものだと思わなければいけないのです。人に任せて七割か八割できれば、そのほうが、自分だけでやるよりは、仕事全体の成果は大きくなります。人に任せることによって、何よりも、自分は自由な時間を得られるので、その時間を、より高度な、付加価値の高い仕事のほうに振り向けることができるのです。
 仕事は自然にどんどん増えていくものなので、ときどきリストラ(再構築)をしなければいけません。「忙しい、忙しい」というときには、「これは全部、自分がやらなければいけない仕事なのだろうか」と、改めてチェックしてみる必要があります。
 そして、「これとこれは自分がしなくてもよい仕事だな」と思ったら、その仕事は、だれならできるかということを考えるのです。「Aという仕事は、この人ができるのではないか。Bという仕事は、この人でよい。Cという仕事は、この人でどうか。もしかしたらできないかもしれないが、一度やらせてみよう。もしできなかったら、この人にやらせてみよう」というように考えて、自分がやらなくてもよいものについては、他の人に下ろしていくことです。
 そうすると、自分は手が空きますが、その分を怠けてしまったのでは、それまでのことで、自分は〝粗大ゴミ″になってしまいます。手が空いた分で、新規の仕事、難しい仕事、将来性のある仕事について、研究に入ることです。もっと給料の取れる仕事をするのです。
 このようにすると、自分も出世しますし、仕事を任された人も出世します。
 有能であるのに、もう一つ成功しきれない人というのは、たいてい、仕事を人に任せない人です。仕事を自分で握って放さないので、その結果、自分の能力の限界が組織の限界になってしまうのです。ほかに人がいても、結局、使えずじまいになります。
 その場合、「自分は自分の給料分だけ働き、ほかの人は粗大ゴミになっている」というかたちになりがちです。有能な人のなかにも、こういう人はわりあい多いのです。
 しかし、そういう人は、出世の階段を上がる途中、どこかで必ず天井が来ます。それを知らなければいけません。」(53~59ページ)

 起業して、さらに事業を発展させるためには、「何もかも自分でやってしまう」という考えを捨てることが大切です。

先祖代々、たとえば駄菓子屋なら駄菓子屋をしている人がいるでしょう。ご主人と奥さんだけで百年間ずっとその駄菓子屋を続けてきたという人がいます。それでも経営としてうまくいっていますから、それはそれで何も文句を言うところはありませんが、少なくとも「時間の創造」はしなかったわけです。

 ところが、同じように個人商店を始めても、30年経ったら1兆円の売り上げを誇るような大企業になっているところがあります。流通業界には、そうした発展例が数多くあります。もとは一つの店を個人でやっていたものが、30年後にはものすごい大企業になっていたというわけです。

 それはなぜかというと、時間を創っていったのです。時間を生み出していったわけです。本来なら自分一人ではできなかったところを、他の人、有能な人を使うことによって、どんどん時間を創造したのです。」(『人生の王道を語る』(P-143~145)

 社長自身の活動に限界が来たら、「自分がしなくてもよい部分はないかどうか、他の人ができる部分はないかどうか」を考える必要が出てきます。

 人に仕事を任すと、どのように事業が大きくなっていくのかについて、大川隆法総裁は「魚の行商のたとえ」で示しています。

「たとえば、自分ひとりが魚の行商をしてまわっていて、もしそれが当然だと思っていたならば、その人は、一生魚の行商人で終わってしまうでしょう。

 ところが、そうして行商をしていた人が、商売に工夫を凝らして「こうすれば人を集めることができるんだな」ということを研究したとします。たとえば、夕方の四時から五時という時間帯であれば、Aという団地に行くと、そうとうの数のお客さんが来るということが分かります。同じ一時間なら一時間でも、ほかの町の通りを歩いているより、A団地に行けば五倍ぐらいの売り上げがあるのです。そうしたことが確実にわかってくると、いつもその時間はそこに行ったほうがいいのは当然です。

 「あと、他の時間帯でどこか空いているところはないだろうか」と考えると、意外に家に帰ってから買い忘れたのに気付く、というような人がいるわけです。「そうした主婦のための魚売りはできないだろうか」と思い、適当な場所を探すと、「ああ、この辺の人たちは、夜の八時でもまだ需要があるな」とわかり、そこでまた店を拡げることを考えます。

 このように考えていくと、グルグルと回りながら、闇雲に商売をしているのと違って、何倍かの売り上げを得ることができます。

 その結果、助手を雇うことができるようになります。自分ひとりではなくて、助手を雇えるようになると、同じ時間内にさばける量がもっと多くなります。

 助手が来て二人になれば、自分は販売専門、助手はお金の計算部門と、分業することによって能率が倍以上になります。さらに売れてくると、もっと人を入れられます。車一台で商売していたのが、次は車二台になり、やがて三台になります。一台ごとに、それぞれまた人が増えていきます。

 その結果はどうなるでしょうか。車三台、あるいは五台で行商ができるようになると、市場から物を買い入れるときに、自分一人であれば少ししか買えなかったのに、今度は大量に買い入れられるようになるわけですから、よい物が安く買えるようになります。安く仕入れることができれば、今度はそれを安く売ることも可能になります。安く仕入れて安く売れば、お客さんはもっと喜んでくれます。

 このようにして、規模が大きくなることによって、サービスがいっそうよくなってきます。そして、多くの人を従業員として養えるようになり、さらには その商売が発展することによって、お客さんはみんな喜んでくれるようになるわけです。

 こうすると、全の循環というものが始まって、よくなっていくしかないのです。二十年、三十年のあいだに一代で急成長した会社、数十年のあいだにものすごく大きくなった会社、夫婦二人で始めた、あるいは従業員二、三人で始めたのに、何千人、何万人もの社員を擁する規模になったという会社は、たいていは こうした善の循環が起きています。

 結局のところ、その可能性を思いつくが思いつかないかということなのです。思いつかなかった方は、三十年も四十年も、ずっと一人で行商をやっているのです。」(『常勝思考』(P-50~54)   

 

仕事のやり方を固めて部下に下ろす工夫

 経営者が創造的な仕事をする上で欠かせないのは、創造性が高くない仕事を手放すことです。

 大川隆法総裁は、『未来創造のマネジメント』で以下のように説かれました。

「心の教え、あるいは光明思想系統の教えでは、「人間には無限の可能性がある」「能力は無限だ」などということも私は説いてきました。

 しかし、現実の仕事、実務や経営という観点で見たとき、時間という枠のなかでは、人間の能力にはどうしても限界はあります。なぜなら、どのような人であっても、同じ持ち時間しかないからです。

 忙しそうに働いている人は、「自分はよくやっている」と思っているかもしれません。しかし、「自分でやらなくてもよい仕事を、自分がやり続けていないかどうか」ということを、常に問わなくてはならないのです。

 仕事が多いのは嬉しいことなので、仕事を抱え込む人がいますが、ある程度「この仕事は自分がしなくても他の人でできる」と思ったならば、その仕事を部下に下ろしていかなくてはなりません。

 仕事のやり方を固めて下の人に下ろしていき、時間の空きをつくるのです。そして、自分は新しい仕事を行い、その仕事が固まったら、また下の人に下ろしていきます。このようにすることで、部下も自分も偉くなれるのです。

 これをせずに、部下の仕事を取り上げているため、自分の仕事が増えてばかりいる社長もいます。下にいる部長などの仕事を取っているわけです。そういう社長は、いつも手いっぱいで、「時間がない、時間がない」と言っています。しかし、それは能力の不足が原因でしょう。

 仕事を固めて部下に下ろす工夫を常にしていないと成長することはないのです。」(P-95~97)

 ここで言う「仕事を固める」とは、「この方法を使えば、一定の成果が出る」という一種の標準化をすることによって、他の人でも出来るようにすることです。標準化と育成の手間を惜しんでいると、いつまでも仕事が離れません。開拓・開発した仕事は、絶えずルーティン化し、部下に下ろしていく必要があります。

 幹部とは、「人を通じて仕事をする人」であり、人の力を使うことが本職の人間である。それが、組織全体の効率からみて、有利な分業方式だからです。何でも自分でやってしまい、部下に残りカスしか与えないタイプの幹部は、スペシャリスト出身の幹部に多い。「スズメ百まで踊り忘れず」と言うが、社長室に製図台を持ち込みかねない技術者社長もいるし、名は支店長だが支店内のマネジメントには興味がなく、もっぱら大セールスマンぶりを発揮している人も多い。

 小さな組織であれば、経営者がプレイヤー兼マネージャーとして活躍することも可能ですが、個人の能力が会社の限界になっていくことを知らなければなりません。特に、細部にこだわる職人タイプの経営者は、仕事を抱え込んで部下を使えないケースが多いので要注意です。

 

教育者としての資質が企業を発展させる 

 いかに早く、水準の高い仕事を教え込むことができるかどうかが鍵となるわけです。その意味で、経営者は教育者としての資質も必要になります。

 また、人を育てるという観点からは、社員の欠点を補うかたちでの人事も大切になります。「真逆の人と組み合わせたり、遠回しに注意するだろうという人を置いて組み合わせたり、ここを通過すれば欠点が直るという人には課題を出したり」というかたちで人を育てていくわけです。

 

経営者は最高の教育者たるべし

 総裁は、『経営入門』で以下のように説かれました。

「教育者としての側面を持っていない経営者の事業が発展していくことは あまり考えられません。

 経営者というものは、ビジネスの世界に生きている人なので、経済的に見れば、「利益の追求が上手な人」ということになるのかもしれませんが、なかには よき教育者としての素質を持った人がいます。そのような人が、多くの人を育てて企業を大きくしていくことができるのです。

 「経営者には教育者としての側面が必要である」ということを知ってください。

 ところが、個人としての才能のある人は、手間がかかり、根気が必要です。そのため、「本当は教育はやりたくない」と思っています。ほとんどの人は、「教育をするには時間とエネルギーを浪費するので、できれば自分で仕事をやってしまいたい」と考えるのです。

 しかし、「教育者としての使命を持った人間こそが、事業を大きくできるのだ」ということを肝に銘じたほうがよいでしょう。従業員教育、幹部教育がうまくできた経営者は、企業を発展させることができるのです。

 この教育は、経営者の晩年期にいては、後継者の養成ということでもあります。後継者の養成に失敗した企業は傾いていきますし、潰れる可能性が高いのです。」(P-252~253)

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