真のエリート

 指導者たちが真のエリートか偽りのエリートかは、逆境にさらしたときにわかる。真のエリートは狼狽しないが、偽りのエリートは自己保身のために取り乱し、権益剥奪しようとする者たちに対して強力な弾圧を始める。

 これからの不安定な経済情勢や国際情勢のなか、真のエリートとして人々を率いていくためには、誰もが解ける方程式を解くのではなく、「劣悪な条件にあって あえて逆境と闘うことを避けなかった」「多くの人が嫌がる仕事を あえて引き受けて成功させた」「時流に乗っていない分野で あえて努力を続けて成功した」というような人でなければならない。

 若者は日の当たるところのみを経験しようとは思うな。人が嫌がる仕事を好んで選べ。逆風を好んで船出せよ。今日の当たらないところに自分の人生をかけてみよ。それでこそロマンではないのか。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『仕事と愛』で以下のように説かれました。

「現在、世界情勢は、さまざまに動いていますが、そうしたなかで指導者たちの真価が問われています。
 彼らが真のエリートか、それとも偽りのエリートかは、彼らを逆境にさらしたとき、非常によく分かるようになります。真のエリートは、逆境にあって狼狽しません。一方、偽りのエリートは、逆境にあって、どうするかというと、自己の保身のために、まったく取り乱した行動をするようになります。そして、今まで仏顔をしていた、その顔が、突如、夜叉の顔に変わって、「自分の権益を剥奪しようとする者たち」に対する強力な弾圧を始めます。
 ところが、真なるエリートは、たとえ人々から誤解されることがあろうとも、そうした逆風のなかで淡々としており、自己研鑽を怠らず、「一陽来復」を待って、自らがその真なる力をまた発揮することができる日を期するものなのです。その根本はどこにあるかというと、「私心があるかどうか」「無心であるかどうか」というところだと思います。
 これからの不安定な経済情勢や国際情勢のなかで、真のエリートとして集団を率い、人々を率いていくためには、「劣悪な条件にありながら、あえて、その逆境と闘うことを避けなかった人」「不利な状況のなかにあえて身を置きながら、自分の能力を試した人」「多くの人たちが嫌がる仕事、嫌う仕事を、あえて引き受けて成功させた人」「時流に乗っていない分野において、あえてコツコツと努力を続けて成功した人」 こうした人が真のエリートであり、これからの時代を担う人物だと思います。
 特に、若者に対して言っておきたいのは、「日の当たるところのみを経験しようとは決して思うな」ということです。「人が嫌がる仕事を好んで選べ。また、逆風を好んで船出せよ。今、日の当たらないところに、自分の人生をかけてみよ。それでこそロマンではないのか」と言いたいのです。
 「一流大学を出て、一流会社に入り、将来は役員になる」ということを、一生の目標にしている人は多いでしょう。そうした人は、この世的には「エリートだ」と言われることも多いでしょう。しかし、私には、どうしても何かが物足りないのです。それは、「このわずか数十年の人生を、あまりにも分かり切った方程式を解くために使っている」と感じられるからです。
 簡単な方程式を解いて、そんなに人生が面白いでしょうか。むしろ、そう簡単には解けない方程式に取り組み、七転八倒して解答が出てこそ、「やった!」という充実感があるのではないでしょうか。
 誰もが解けるような方程式を解く人、誰もが飛びつくようなところに行く人を、私は真のエリートとは思いません。はたから見て、「こうした学校を出ているからエリートだ」「こうした会社にいるからエリートだ」と言われることに、自己同一性、アイデンティティーを感じて喜んでいる人たちは、やがて数十年ほど先には没落の憂き目に遭うであろうと私は思うのです。」
(92~98ページ)

 

新時代のエリート像

 ミスを恐れる ことなかれ主義、失敗せず通り過ぎることで幸福とする考えが蔓延しているが、新しい時代には、これではエリートとは言えない。

 新しい時代のエリートたちは、失敗を恐れず果敢に挑戦して、未来を拓いていこうとする人材でなければいけない。

 人の批判を恐れない勇気の根本にあるのは、やはり信仰心であり、地球全体の幸福をつくり出そうと強く念じるならば、地球を指導している神仏への信仰心を根本に持たなければならない。

 大川隆法総裁は、『教育の法』で以下のように説かれました。

「日本ではエリートの定義が間違っています。
 東京大学の卒業生や在学生、その前段階であるエリート進学校の在学生等を見ると、「ミスを恐れる心」「事なかれ主義」「まったく失敗をせず、通り過ぎることをもって幸福とする考え方」が蔓延しています。これでは駄目です。新しい時代には、こういう人たちはエリートとは言えないのです。
 新しい時代のエリートたちは、失敗を恐れず果敢に挑戦して、未来を拓いていこうとする人材でなければいけません。
 人の批判を恐れるようであってはいけません。新しいことをやろうとすると、たいてい批判が出るのです。
 批判を恐れ、「批判をされないように生きることが優等生の生き方である」と思うなら、それは、「この国に対しても、世界に対しても、何ら貢献をするつもりはない」ということを意味しています。
 したがって、批判に怯まず、信念を貫き通すような人材をつくり出していかなければなりません。
 では、勇気は、いったい、どこから湧いてくるのでしょうか。
 その根本にあるものは何であるかというと、やはり信仰心であると私は思うのです。信仰心を持っていればこそ、さまざまな批判、世間の波風に耐えることができるのです。
 「地球全体の幸福をつくり出そう」と強く念じるならば、地球を指導している神仏への信仰心を根本に持たなければ駄目です。
 そういう信仰心を持ったエリートを育てなければ、この国に未来はなく、また、世界にも未来はないと思わなければなりません。
 未来はまだまだつくり出していくことができます。新しい未来をつくり出そうとする「努力」によって、また、今までのやり方にとらわれることなく、新しいやり方に堂々と挑戦していく「勇気」によって、つくることができるのです。
 今、エリートと言われる秀才たちのほとんどが、今までのやり方を変えることを怖がり、旧態依然としたこと、すなわち、「前はこうだったから、今もこうする」ということを繰り返し行っています。そういうタイプの人が非常に多くいるのです。
 したがって、私は、「あえて、新しい挑戦をしていく」ということを勧めたいのです。」
(233~236ページ)

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