職業人の心がまえ

 

 他の人にとって、五月の風のようにさわやかな かすかな香りを遺していくあなたであること。

 たとえば、優しい眼差し、悲しみや苦しみをしっかり受け止めてあげたこと、ささやかな励まし。
 何らかの精神的遺産を遺すことが大いなる道へとつながっていくのである。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『成功の法』で以下のように説かれました。

「最後に、もう一つ、欲張りな注文かもしれませんが、言っておきたいことがあります。
 それは、「どのような持ち場で仕事をしていたとしても、どのような職業であったとしても、どのような職場であったとしても、あなたの肩書が何であったとしても、『精神的な遺産を遺そう』という気持ちを忘れてはならない」ということです。
 人間が人間として一生を生きていくことによって、必ず心の旅路というものが遣っていきます。人生という旅をした記録が心のどこかに遣っていきます。そのときに、「旅の途中で出会った人たちに、どれだけのものを遺していけたか」ということを、必ず、振り返って考えねばならないのです。
 過去を振り返ってみれば、幾つかの過ち、いや、幾つかではなく、幾十、幾百の過ちを繰り返しているのが、愚かな人間の姿であろうと思います。そして、この愚かさから誰もが逃げられないでいるのではないでしょうか。
 したがって、その愚かさに気がついたならば、一つでも二つでも、その逆のことをやっていくべきではないかと思います。愚かな自分であるならば、その愚かな自分が、他の人々へ、何らかの遺産を遺すべく努力することが大事なのではないでしょうか。
 それは、精神的なるものであるのがよいと思います。他の人の心にとって、ほのかな残り香とも言うべき素晴らしいものを、遺していけばよいのではないでしょうか。
 あるときに上司となり、あるときに部下となり、そのようにして、いろいろな人と接していくわけですが、そのなかで、何らかのかかわり合いを持った人に、「あなたが生きていてよかった」「あなたに出会えてよかった」「あなたの下で働けてよかった」「あなたの上司であってよかった」と言われるような何かを遺せるあなたであってほしいのです。
 この精神的なる遺産を何も遺せずに人生を通り過ぎていく人は、やはり虚しいと思います。「一人ひとりの人に、機会があったら何かを与えたい。五月の風のように、何かさわやかなものを、かすかなものを、何らかの香りを遺していきたい」と、このように考えていただきたいと思います。
 仕事のなかで接するには限りがあるでしょう。しかし、そのときに、優しい眼差しがあってもよいのではないでしょうか。あるいは、「ある人の悲しみや苦しみをしっかり聴いてあげた。受け止めてあげた」ということでもよいのではないでしょうか。ささやかな励ましであってもよいのではないでしょうか。
 何らかの精神的遺産を、「あなたがいてよかった」と言われるような遺産を、できるならば遺していただきたいと思います。それが、大いなる道へとつながっていくのだと、私は信じて疑いません。」
(151~154ページ)

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