心の面を別な修行で埋めていく

 一日中機械に向かっている人の場合、心の教えを仕事で使うのは難しいが、ほかのところ(たとえば宗教の場など)で補うと割り切ったほうがよい。

 ただ、技術系統の人も、管理職になったときには心の教えが活きてくるので、その日を期して勉強を続けておくことが大事である。

 機械文明が発展しても、心の価値、心の触れ合いは永遠になくならない。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『青春に贈る』で以下のように説かれました。

「仕事にもいろいろありますが、機械相手の仕事、特にコンピュータの画面相手の仕事などでは、心の教えといっても、相手が理解してくれないですから、努力のしようがほとんどありません。一日中、機械に向かっている人の場合には、残念ながら、心の教えを仕事で使うのは難しいのです。
 そのため、機械相手の仕事をしている人は、どちらかというと、心のほうが疎(おろそ)かになっていきます。そして、性格が暗くなったり冷たくなったりして、あまりハートを感じない人になりやすいのです。これは、「ほかのところで補う」と割り切ったほうがよいと思います。
 要するに、機械相手の仕事が長時間続くような人は、その仕事を離れた段階で、人びととの心の交流を深めるようなことをしたほうがよいのです。そうした機会を提供する場としては、宗教なども非常に豊富な場所だと思います。
 また、技術系統の人であっても、管理職になったときには、心の教えを使うことができるようになります。実務担当者では、なかなか心の教えを使えないと思いますが、管理職になり、人を使う立場になってくると、当然、心の教えが活きてきます。特にメーカー系統であれば、技術系でも出世する人は多いのです。
 管理職になった場合には、人の心がわからないと全然務まりませんので、その日を期して勉強を続けておくことが大事だと思います。
 これからも機械文明そのものは発展するでしょうが、人間の心の価値、心の触れ合いの部分は永遠になくならないと思います。自宅で仕事をするようになったとしても、やはり、人びとは触れ合いを求めて集まります。その価値自体はなくなりません。
 また、人間がいちばん満足するのは何かを考えると、機械相手の仕事で評価されるよりは、人と会って、その人に自分自身の人間性を認められるのが、いちばん幸福だろうと思うのです。
 したがって、職業上、人間性が少し希薄になる仕事をする場合には、どうか心の面を別な修行で埋めていくということを考えてください。」
(108~110ページ)

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