すぐに認められようとする必要はない

 「人から認められよう」と思ってがんばるというのは、典型的な「奪う愛」。

 決して他の人を幸福にすることはできないから、敏感に人は自分から遠ざかっていく。

 挫折や逆境の真っただなかにいる人は、原因がそこにないかを反省してみて、それを一つの学びとしていくことです。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『常勝思考』で以下のように説かれました。

「優秀な人は、仕事を習い始めのころには、いかに自分ができるかを証明することに血道をあげるものです。これは、幸福の科学で教えている「与える愛」とは逆であり、まさしく「奪う愛」、称讚を求める愛であると思います。
 いかに自分が認められるかということに夢中になって、人の評価が低いと、「これでもか、これでもか」と、もっとがんばるわけですが、がんばればがんばるほど、周りの人は、なぜか知らないけれども、しらけた目で見はじめるのです。これがなかなかわかりません。みなさんも経験があるのではないかと思います。がんばればがんばるほど、なぜか知らないけれども、周りの評価は逆になってくるということがあるのです。
 それは、後のち考えてみると、結局は愛を奪っていたのだということに気づくでしょう。多くの人からのほめ言葉や称讚を得ようとしてがんばっていると、他の人から見てみれば、それを認めることによって、何か自分から持ち出しが出るような感じ、小遣いが減っていくような感じがするのです。いかにも認めてほしそうに動いている人を見ると、その人をほめたりすれば損をするような気がするのです。
 実際は、「人から認められよう、認められよう」と思ってがんばっているあいだというのは、他の人がよく見えることはありません。自分が認められることを中心に考えているときというのは、他の人がよく見えることはなく、他の人は自分を支えるための神輿(みこし)を担いでいる人だ、というような錯覚に陥っているのです。
 すなわち、自分が舞い上がることばかりを考えている人は、決して他の人を幸福にすることはできないのです。人というものは非常に敏感なものです。その人とつきあって、決して自分が幸福になれないのであれば、遠ざかっていきます。「そういう人とは、なんとか一線を画したい」と思いはじめます。
 ほんとうは、自分ひとりの力で仕事をしているのではなく、多くの人たちのチームワークによって、仕事が成り立っているのです。つまり、自分が自己発揮できる前提には、他の人びとの力があるのです。それを忘れてはいけません。
 したがって、この本を読んでいるさなかにおいて、挫折や逆境の真っただなかにいると思っている人がいたならば、どうか、過去の何年間、あるいは何十年間の自分の生き方を振り返ってみて、バランスを崩していなかったかどうか、また、自分の評価ばかりを考えて、他の人びとを評価することを忘れてきたのではないか、そうしたことを考えていただきたいと思います。
 こうした見方ができるようになるということは、非常に大きなことなのです。人間が成長していくためのきっかけは幾つかありますが、ほんとうに底光りをしてくる人を見ると、やはり何らかの試練は通り越してきているように思います。
 試練というものは、そう長く続くものではありませんから、要は、その間にどれだけのものを学べるかということが課題であって、学べるだけのものを学び尽くしてしまうということが大事だと思います。」

 

すぐに認められようとする必要はない

 管理職になるぐらいの年齢にならないと、人の能力はほんとうには測れない。

 時間に耐えよ。まわりの評価ではなく、自分自身が納得のいく勉強や仕事をすることに専心せよ。

 総裁は、『青春に贈る』で以下のように説かれました。

「「在学中は優秀な学生であっても、社会に出たら、すぐには評価されない」ということも、厳粛な事実として知っておいてほしいと思います。
 みなさんが、大学卒業後にいろいろなところに勤めても、最初の三年ぐらいは、勤務先の会社や役所にとっては、はっきりいって、みなさんの存在はマイナスなのです。給料を出してはいますが、残念ながら会社にとってプラスにはならず、むしろ会社は損をしているのです。
 というのは、その人自身が仕事をしても、それほどのプラスを生まないうえに、ベテランがその人を教えなければいけないからです。その人を教えることによって、ベテランはエネルギーをそうとう吸われてしまうので、仕事のマイナスになります。
 みなさんが入社してから三年間ぐらいは、実際は、みなさんは会社にとってマイナスなのです。そして、三年程度が過ぎたあたりから、ようやく仕事に熟練し、貢献度が出てきてプラスに転じるのです。
 したがって、大学四年生の人は、最高学年ということで自信満々でしょうが、卒業して実社会に入ると、まさに〝天国と地獄″であって、最下層まで落ちるのです。最高学年から最下層まで落ちて、プライドのギャップに耐えられないということが、社会人一年目に起きる事態です。
 もちろん、プライドのあまりない人は、何も感じずに、そのままいってしまうかもしれません。しかし、「自分は優秀な学生だ」という自覚のあった人は、このギャップに耐えかねて悶えるのが普通です。
 しかも、優秀な学生の場合には、その優秀さを二十代ではあまり発揮できないことが多いのです。そして、三十歳ぐらいになってから、少し頭角を現わします。
 そして、ほんとうに能力の高い人の場合には、その人の能力が実際に認められはじめるのは四十歳ぐらいからなのです。というのは、管理職になるぐらいの年齢にならないと、能力がどの程度かということは、ほんとうには測れないからです。
 特に、今の日本の大学教育では、実用性のある学問をあまり教えていないので、大学で勉強したことが、社会に出てからはとんど役に立たないというのが現状です。二十代の段階では、大学で学んだことは無用の長物に近いわけです。
 しかし、それが効いてくるのが四十歳を過ぎるころからです。三十代で少しずつ効いてきて、普通は管理職になる四十歳ぐらいから、違いが明らかに現われてきはじめるのです。
 入社時点では、すぐに認められようと思ってあがく必要はありません。そのときは、認められようと思ってあがくのではなく、時間を耐えることです。何事も自分自身の問題として捉え、周りの人の評価ではなく、自分自身が納得のいく勉強や仕事をすることに専心するべきです。そうしたことが大事な時期だろうと思います。」

 世の仕事ができる女性は、まわりの女性から嫉妬を受けがちです。「できる」ということに伴う税金を払うよう意識して心がけること。それは、面倒見のよい姐御肌の女性となるよう努力することである。

 総裁は、『幸福のつかみ方』で以下のように説かれました。

「あなたのレベルがある意味でひじょうに高いのです。年相応ではない高いレベルの関心を持っている。また仕事に対しても高い目標を持っている。そして一生懸命努力しているわけです。それがわかっているから、上司はあなたを評価してくれるわけです。
 ところが同僚、すなわちあなたと同じ年ぐらいの他の女子社員から見ると、それがどうも気にくわない。「なんでこの子だけ、あんなに上司からえこひいきされるのか」と。そしてまわりの女性から見ると、あなたにはひじょうに二面性があるように見えるのです。上に対してはいい子ぶり、自分たちといっしょになったときにはツンとしている。
 おそらくは、あなたは上司の好みというものをよく知っているのです。「こういうふうに振る舞えば上司が評価する」ということをよく知っていて、そのことについて長けているのだと思います。しかし、その器用さが、あなたと同じ年の女性たちに対しては発揮されていないのです。はっきり言ってしまえば、そうした同じ年頃の女性たちに対して、多少見下げた態度をとっているのだと思います。
 ただ、私はあなたに申しあげておきます。組織のなかで生きていくのか、それとも一匹狼として生活するのか、それによって事態は変わるのだと。
 あなたがもし技術力一本でやっていけるような仕事をしているならば、その強い個性を押し出していかれることもまた成功への道です。
 ところが、あなたが大勢の人といっしょの職場でやっているとすると、ややそれはつらい立場になるでしょう。おそらく孤独地獄に置かれることになるでしょう。そのときに、同僚たちの態度を一概に嫉妬と決めつけるのではなく、あなたが当然払うべき税金を払っていないのだ、というふうに考えたほうがよいかもしれません。
 あなたは年相応ではない分別をもっているのです。
 それはあなたにとっての手柄です。しかし、あなたにとってのその手柄は、同僚たちから見ればくやしさの材料以外のなにものでもなく、彼女たちを幸福にすることが一切ないということなのです。それはひじょうに傷つくことです。あなたがよくできる存在であることが、彼女たちを傷つけているのです。みじめな気分にさせているのです。そのみじめな気分にさせているという事実自体は、やはり知らなくてはなりません。そして、そのことに対して払うべき税金というものがあるのです。
 ですから、そういうときにあなたは、その税金をどう払えばよいのか、これを考えなければいけないのです。
 その唯一の道は、あなたが姉御肌の女性として同僚の面倒をよく見てやるような、そういうかたちになることです。有能な女性が同僚たちに嫌われないための方法は、面倒見のいい女性に変わることだと思います。よく仕事はできるし、女親分肌で同僚や後輩たちの面倒も見てくれる。そういうときに、あなたへの嫉妬の声は出なくなってきます。」

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