リストラされないために

 会社の危機のときにリストラされる人というのは、病気にたとえれば、会社という体のなかにできた病巣部分と見られたということであって、これは誰がやってもそうなる。

 リストラに遭いやすい社員は、他人の気持ちが分からない人だが、そういう人は基本的に自分が中心で、会社への貢献とかお客様へのサービスとかいうことを信じていない。自分がエゴイストであることに気づいていないことが多い。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『不況に打ち克つ仕事法』で以下のように説かれました。

「リストラに遭うような社員は、例えば、お客様と接するようなセクションにいる場合、たいてい、お客様の気持ちが分かりません。そういう人は、社内の同じ課や部で働くほかの人の気持ちも分かりませんし、上司の気持ちも分かりません。当然、社長の気持ちなど分かるはずもありません。
 このように、まったく他人の気持ちが分からない人というのは、基本的にエゴイストだということです。「自己中」という言葉がありますが、まさしく、自分のことしか考えていないわけです。
 そういう人は、基本的に、「一日をどう過ごせれば自分が楽しいか」ということを中心に物事を考えていて、会社への貢献とか、お客様へのサービスとかいうことを、言葉では言っていても、心では信じていないのです。
 つまり、「お客様にサービスしたい」という心からの気持ちなどは持っておらず、会社がそう言っているから、おうむ返しに言っているだけで、現実には、やっていなかったり、やったとしても心がこもっていなかったりします。
 心から会社の発展を考え、上司のサポートをしようと思って仕事をしているのか。それとも、たまたま、その人の部下になったので、しかたなく過ごしているのか。そのあたりの違いが不況時には明らかに出てきます。これを知らなければいけません。
 駄目社員というのは、一般的にエゴイストです。ところが、本人は、自分がエゴイストであることに気づいていないことが多いのです。たいてい、「これが普通でしょう」「人間は、こんなものではないでしょうか」「私は普通の人間として生きているだけで、何も悪いことはしていません」などと思っています。
 常に自分中心に物事が回っていて、「とにかく、無事に毎日が過ごせたらよい」という気持ちを持っていることが多く、「組織においては、自分一人以上の力を成果として出さなければいけないのだ」というところまで頭が回っていないのです。
 しかし、そういう「プラスアルファ」を生み出さなければ、会社は景気の変動に耐えられなくなります。「プラスアルファ」が出てくるからこそ、景気が悪くなったときでもクビを切らずに、会社は持ちこたえることができるのです。人数を足し合わせた分だけの成果しか出せないならば、景気が悪くなると、とたんに会社が傾いてくることになるわけです。
 組織というのは「人間の集まり」ではありますが、いわゆる「法人」と呼ばれるように、一定の経営理念を持って活動していると、一つの生き物のような動きをし始めます。一つの生き物として、生命体として、必ず生き残ろうとし、「どうしたら生き残れるか」ということを考えるようになります。
 したがって、非常に忌まわしい言い方かもしれませんが、会社が赤字で傾いた危機のときに、リストラされ、削減される人というのは、病気にたとえるならば、「体のなかにできた病巣部分」と見られたということです。
 これは誰がやってもそうなります。上にいる人が、善人であろうと、悪人であろうと、「長」と名の付く人が上に座れば、あるいは、上に座って「長」という名が付けば、必ず同じようなことをしなければならなくなるのです。これを知らなければいけません。」
(29~34ページ)

 

リストラされないために

 総裁は、『『サバイバルする社員の条件』で以下のように説かれました。

「経営が傾いた会社の場合、リストラの候補者がリストアップされて順位をつけられ、いずれ、順番に削っていかれるようになります。
 このリストの上位に載ることなく、「この人は外せない」と言われるようになって、最後まで生き残るには、どうしたらよいのでしょうか。
 まず、企業がクビにした人に関する統計を見ると、その理由として最も多かったのは、「協調性がない」ということでした。この理由は、好況・不況を問わず、常に六十パーセントを超えているそうです。
 ただ、その協調性がない人には、才能のある人がわりあい多くいるのです。要するに、学歴が高かったり、職人的な技能が非常に優れていたりするような、「仕上げにとてもうるさい人」や「自分の型があって自己流を貫くタイプの人」のなかに、協調性の足りない人がいるわけです。
 上の人の判断が緩いときには、それでも組織にいられて、自己発揮することもあるのですが、そういう人が、リストラ候補としていちばんに引っ掛かるようです。
 ちなみに、これは、以前も述べましたけれども、ある人が、会社をクビになったハーバード大学の卒業生について、追跡調査したところ、やはり、六十数パーセントの人が、「協調性がない」という理由で会社をクビになっていたそうです。
 ハーバード大学の卒業生であれば、みな、頭がよいことに対してすごく自信があるのでしょうが、協調性がなければ、会社がうまくいかなくなってきたときに、最も切られやすいタイプになります。会社にしてみれば、「いやあ、あなたのように優秀な方は、どこでも雇ってくれるでしょうから、どうぞ、ほかのところへお行きください」と言い、安心して、クビを切れるわけですね。
 しかも、そういう人は、たいてい生意気なので、クビを切っても、周りの賛同が得られやすいのです。「彼は、自分一人で生きていけるのではないでしょうか」という感じで、誰も守ってくれません。自分のほうで、労働組合から出ているような状態になるわけです。
 このように、「協調性のなさ」が、リストラされる理由の一つであることを知っておいたほうがよいと思います。」

 政府に頼るのではなく、各自が人知れず努力しなければならない面はあるし、努力をすれば道は必ず開かれる。

 例えば、子供には自分のことは自分でできるようにしつけなければいけない。

 本人としても、自分の長所を探し、プラス面をPRするとか、子育てに手のかかる同士で協力して助け合うことも可能性があるかもしれない。

「ただ、会社には会社の論理があります。仕事をしてもらわなければいけないときに、個人的な用事がたくさん出てくる人には、やはり、信用できないところがあるのです。そういう人には、正規の仕事を任せにくいですし、その人をカバーするために、別の人が必要になったりするので、なかなか信用できないのです。
 民主党的な“大きな政府”の発想では、「そういう問題は、国が全部、面倒を見ればよい」ということになるのかもしれませんけれども、やはり、各自が、人知れず努力しなければしかたのない面はあるでしょう。
 例えば、子供は子供なりに、自分のことは自分でできるように、きちんとしつけなければいけないでしょう。また、ご本人としても、会社の仕事のなかで、家の用事等のために抜けてしまう部分については、「平日、自宅に帰ってからでも、あるいは、休日、手が空いたときにでも仕事をする」といった、何らかの努力は要るかもしれません。
 さらには、自分の長所を探し、「足りない部分は、ここでカバーしよう」と思って、努力するべきでしょう。そういうなかでも、やはり、努力をすれば、道は必ず開かれます。
 いわゆる子育て中のママさんとして、マイナス面はマイナス面としてあることは率直に認めつつも、「他の同じような条件の人と比べると、私には、ほかの人にはできない、こういうプラス面があります」ということをPRしてもよいでしょう。
 例えば、「私は英会話ができるので、通訳が必要なときに、その仕事のお手伝いをすることもできますし、自分の手が空いたときには、英文書類の翻訳をすることもできます」というようなこともあると思います。
 また、「子育てに手のかかるお母さん同士で協力し、話し合って役割分担を決め、助け合う」といったことも、可能性があるかもしれませんね。」

 子供のせい、保育所のせいなど、うまくいかない理由はさまざまにあるが、できれば そういうことを乗り越えていく力が欲しい。

 時間的に拘束されないところで何か突出した能力がつくれないかどうかを研究してみること。最後は、子供に対し信頼の言葉をかけてやること。自分自身に対し ある程度の見切りをつけること。

 指示待ち族や環境がよくなるのを待つだけではよくならない。自分のできることから始めるのが大事である。

「「母親が忙しくて、子供の世話ができない」ということが、必ずしも、子供の出来が悪いことにつながるとは限らないし、むしろ、人に預けたりすることが、子供の社会性を育てることにつながるかもしれません。
 最後は、子供に対し、「言葉でもって信頼をかけてやること」と、自分自身に対し、「ある程度の見切りをつけること」が大切なのではないかと思うのです。
 「こういう条件で、最高の仕事ができたらいいな」と思っても、そううまくはいかないのは当たり前のことなので、たとえ悪い条件でも、「自分を使ってくれるだけでもありがたい」と受け止め、できれば、「時間的に拘束されないところで、何か突出した能力がつくれないかどうかを研究してみる」ということが大事です。そうした努力によって、給料を上げることも可能なのではないでしょうか。
 もし、パートの人が、正社員よりも仕事がよくできたら、雇う側も損得を考えて、「この人を使いたい」と思うものなので、いずれ、そういうタイミングも、きっと来るのではないかと思います。
 とにかく、“指示待ち族”だったり、環境がよくなることを待ったりするだけでは、全然、よくはなりません。やはり、「自分のできることから始める」ことが大事ではないでしょうか。
 何が幸いするかは分かりません。やはり、「どんなところに種が落ちても、花を咲かせる人はいる」と思ったほうがよいのです。
 「自分がうまくいかない理由」として、「子供のせい」や「保育所のせい」、その他、「正規の社員になれない」など、さまざまな言い訳もあるでしょうが、できれば、そういうことを乗り越えていく力が欲しいものです。」

 手がないのに、足で絵を描く訓練をした方のことを考えると、五体満足で、身体も元気であれば、できることはたくさんある。

 よくよく考えてみたとき、能力にあふれ体力にあふれているのは、それだけでものすごく多くを与えられている。その愛に応えることこそ、今やらなくてはならないのではないのか。

 何か資格をとることはできる。いま以上に仕事をし、多くの人びとに愛を与えることもできる。その可能性はある。気力と努力で道は拓ける。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『常勝思考』で以下のように説かれました。

「運命を乗り越えようとするときの決意は、決して大きなものである必要はないのです。手近なところから、できるところから、まず道を拓いていくことです。「手近なところで、自分にできることは何であるのか。現状において自分にできることは何であるのか。現在ただいま、自分がいままで最高度に使用していた能力が生かせなくなったとしても、それ以外に自分には才能はないのか」ということを考えてみることです。
 「幼いころから自分を育んできた両親、兄弟、あるいは友人や先生がたが、過去に自分をどのように評価してくれたか。もしかすると、自分では忘れ去っている能力があるのではないだろうか。使っていない力があるのではないだろうか」 そこをよりどころとして道を拓くことは可能なはずです。
 以前、テレビのドキュメンタリー番組で、次のような例を見たことがあります。手のない方が、足で絵を描いていました。足の指に絵筆をはさんで描いていましたが、〝玄人はだし″ともいえる、ほんとうに玄人のような絵を描いているのに驚き、「これは立派だ」と思いました。
 それもやはり、努力の賜物であったことは事実です。手がないだけで努力をあきらめて、他の人に面倒をみてもらって、一生を終わる人も多いでしょう。ただ、その方は、手がないことでもって、他の人に面倒をみてもらって一生を送ることを、よしとしませんでした。自分は、自分の残った力でもって、道を拓こうとしました。そして、絵が好きだったから、足で描けるのではないかと思って練習を始めたわけです。すぐにうまく描けるわけはありませんが、やがて少しずつ向上し、足で絵が描けるところまでいったのです。そのような方もいます。
 手のない方が足で絵を描く。足の指で、絵筆をはさみ、絵の具のチューブを絞り、そして描いているのです。そうしたことができるのですから、五体満足な方がたであれば、おそらく、みずからの力で打開できないことはないと思います。みなさんは、両親の援助で教育も受けたでしょうし、身体も元気なのであれば、決して道が拓けないことはないと思います。
 また、今日の日本では、人びとに道を妬くための資格などはいくらでもあります。「現に自分はこういう境遇にある」「こんな才能しかない」など、人はいろいろ言い訳をしますが、道を拓くための資格というものはいくらでもあります。そうした道を突き進むことも可能なはずです。道を拓こうとしていないのは、自分の努力不足、気力不足にしかすぎないのではないでしょうか。
 能力にあふれ体力にあふれているみなさんが、こうしたマイナスからのスタートをしている人が現にいるということを知ったとき、やらなければならないことは何でしょうか。それは、現在以上に多くの仕事をし、多くの人びとに愛を与えることです。そうした可能性があるはずだということです。それが大事なことではないかと思います。」
(40~43ページ)

 

「リストラされやすい条件の女性」へのアドバイス

 いわゆる子育て中のママさんとして、マイナス面はマイナス面としてあることは率直に認めつつも、「他の同じような条件の人と比べると、私には、ほかの人にはできない、こういうプラス面があります」ということをPRしてもよいでしょう。

 また、「子育てに手のかかるお母さん同士で協力し、話し合って役割分担を決め、助け合う」といったことも、可能性があるかもしれませんね。

 「こういう条件で、最高の仕事ができたらいいな」と思っても、そううまくはいかないのは当たり前のことなので、たとえ悪い条件でも、「自分を使ってくれるだけでもありがたい」と受け止め、できれば、「時間的に拘束されないところで、何か突出した能力がつくれないかどうかを研究してみる」ということが大事です。

 そうした努力によって、給料を上げることも可能なのではないでしょうか。

もし、パートの人が、正社員よりも仕事がよくできたら、雇う側も損得を考えて、「この人を使いたい」と思うものなので、いずれ、そういうタイミングも、きっと来るのではないかと思います。

 とにかく、「与えられた条件のなかでの最善は何か」ということを考えればよいと思います。すべてのことについて、「国が何かをしてくれることを待っている」というのは、あまりよいことではありません。(法話「『サバイバルする社員の条件』 リストラされない幸福の防波堤」「質疑応答」より)

 幸福の科学の女性信者は『不況に打ち克つ仕事法』などを勉強しているので、読んでいない人との差がついて、急に仕事ができるようになり、もっと上の男性の上司から評価されることがあります。そのときに、周りの女性からのいじめが始まるのです。

 しかし、最後は数字がものを言う世界なので、動かぬ数字を積み重ねて、人間関係に起きるマイナスのエネルギー浪費を最小限に抑えていくことが大事だと思います。

 正しい仕事をしていて、自分の力が急速に伸びたために、人間関係に波風が立つのであれば、仕事の手を抜くのではなく、それを周りに認めさせなければなりません。

 ただ、不用意な発言などで、相手とのこじれを大きくしないように努力する必要はあるでしょう。したがって、どこかに必ず味方をつくっておくことが大事です。

 激しく叩かれ始めたときは、ものすごく成長したときが多いのですが、不況期に、有能な人を左遷したり、クビにしたりするような会社は潰れます。したがって、上が愚かでないかぎり、それはしないはずです。あと、嫉妬(しっと)している人に対しては、少し分福(ぶんぷく)をしなければいけないところもあると思います。

 ただ、結局、能力そのものは隠せないので、行くところまでは行くでしょう。それは運命だと思ってください。嫉妬の嵐のなかをかい潜(くぐ)らないかぎり、人間は、成長し、大物になることはできないのです。(法話「『不況に打ち克つ仕事法』講義」「質疑応答」より)

 

リストラの時代の乗り切り方

 これからのリストラやデフレの時代は、家庭回帰の時代である。

 ちょっとつましくとも、これまでと別な価値観(老荘思想や、「足ることを知る」)を持って、家族でこれまでやらなかったようなことをするとか、できるだけお金のかからない楽しみを考えればよい。

 これは、単なる諦めではなく、「内に入りながら、少しずつ力をためていき、また盛り返すときを待つ」ということである。

 大川隆法総裁は、『幸福へのヒント』で以下のように説かれました。

「これからの、リストラやデフレの時代は、よい面では家庭回帰の時代だと思うのです。
 残業をしても残業手当はあまり出ないし、飲み屋に行くとお金がかかるので、みな家に早く帰ってきます。
 家庭回帰の時代であり、ちょっと、つましいけれども、何十年か前に返ったような感じになるので、少し別な価値観を持ってもよいと思うのです。
 「家族で、これまでやらなかったようなことをする」ということでもよいでしょう。十年も二十年もやっていないようなことで、できるだけお金のかからない楽しみを考えればよいのです。
 たとえば、新婚当時は、「よく二人で喫茶店に行った」「よく二人で散歩をした」「ときどき花を買ってきて飾った」など、さりげない行為がいろいろあったと思います。そういうことは、結婚して十年や二十年たつと、もう忘れているでしょう。そのような、なるべくお金のかからない、懐かしい趣味や遊びを、再び実践してみるのです。
 また、子供がいるのであれば、「これまでは仕事が忙しくてなおざりにしていた、子供に関する些細なことに価値を見いだす」ということもあります。
 これからの時代においては、少し価値観の転換をしなくてはなりません。これは、単なる諦めではなく、「内に入りながら、少しずつ力をためていき、また盛り返すときを待つ」ということです。
 学校は、週休二日を進めて、子供をなるべく家に置こうとしています。ただ、土日に親子が一緒にいること自体は悪いことではないのです。週休二日になれば、親子でいろいろな所へ行くこともできます。仕事の付き合いのゴルフもなくなり、子供も土曜日に家にいるということになれば、親子で幸福の科学の精舎に行くこともできます。そういう楽しみも出てくるのです。
 そのように価値観のシフトをしなければいけません。努力して道が開けるのもよいのですが、努力しても道が開けない場合には、多少、老荘的な思想も大事です。
 仏教にも少し隠遁的な面(俗世間を逃れた生活をすること)があるので、それを充分に生かせばよいでしょう。
 それから、「足ることを知る」ということが大事です。
 今後は、会社も個人も、これまでのように猛スピードでいろいろなものを実現するということはできません。給料もあまり上がらないし、減点主義で評価されることも多くなります。
 したがって、足ることを知り、低いレベルでも喜びを見いだす努力をしなければいけません。
 「職業があるだけでも、ありがたいではないか」「子供が学校に行けるだけでも、ありがたいではないか」「成績は悪いが、塾に通えるだけでも、ありがたいではないか」というような考え方が大事です。」
(78~84ページ)

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