出処進退

 仕事には一定の社会的責任があり、その責任と能力との釣り合いが取れていることが大事であるから、「老害」と言われるような状態があまりに強く出てくるならば「出処進退」を考えなければいけない。

 自分で決めるのは非常に難しいことだが、これも公平無私の精神の延長上にあるものとして、自分にもその年齢が来たと思ったら、適正な部署に移るなり、その会社から身を引いて自分にできる他の仕事を始めるなりしなければならない。

 出処進退も公の責任を果たすための一つの大きな鍵になっていく。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『ストロング・マインド』で以下のように説かれました。

「幸福の科学には「百歳まで生きる会」があるように、私は、みなさんが明るく元気に長く活躍されることを祈っています。
 しかし、仕事には、やはり、一定の社会的責任というものがあります。個人でやっているものは別として、大勢の人でやっている仕事の場合、会社であれ何であれ、「公の責任」というものがあるため、「その責任と能力との釣り合いが取れている」ということは非常に大事です。
 したがって、「老害」と言われるような状態が、あまりに強く出てくるようであれば、「出処進退」を考えなければいけないのです。晩年においては、そういうことを考えていただきたいと思います。
 そして、「自分にも、その年齢が来た」と思ったら、適正な部署に移るなり、その会社から身を引いて、自分にできる他の仕事を始めるなりしなければなりません。
 そのように、出処進退というものが、公の責任を果たすための、一つの大きな鍵になっていくと思うのです。
 人間にとって、「出処進退を自分で決める」というのは、非常に難しいことです。
 人は、年を取ると、だいたい欲が深くなってくるので、自分が持っている権限や利益等をつかんでしまい、なかなか手放さなくなります。
 また、人は、自分を客観的に見ることが難しいので、五十、六十、七十と年齢を重ねると、何か能力が上がっていっているように錯覚しやすく、「去年より今年の自分が劣っている」ということは、どうしても認めたくないわけです。
 そのため、周りも、だんだん、どうしようもなくなってきて、害が出てくるのです。
 さらに言えば、日本は、もともと儒教国であり、年齢相応に尊敬してくれる風土というか、年を取った人に対しては、あまり厳しいことを下から言いにくい風土があるため、それに甘えてしまうことがあります。
 例えば、家のなかの嫁と姑との関係で言えば、「お嫁さんが、もう独り立ちをして十分に家を切り盛りできるにもかかわらず、姑が、いつまでたっても、新婚当時のように小言を言い続ける」というようなこともあるでしょう。
 また、会社で言えば、「老害社長が出てくる」というようなこともあります。
 そのように、出処進退は非常に難しいのですが、「これが人生最後の美学である」と思わなければなりません。この出処進退も、前節で述べた公平無私の精神の延長上にあるものなのです。
 したがって、例えば、自分自身、仕事上のミスがたくさん出始めたら、「ちょっとおかしい」ということを自分で判断しなければいけませんし、「若い者の力が上がってきたな」と見たら、「仕事を任せていく」ということが大事です。
 やはり、「自分にできる範囲まで撤退して、自分の分を守る」というようにしなければならないのです。」
(178~181ページ)

「一般的に、年齢的に老いてくると、体力が落ち、判断力が鈍ってきて、間違った判断をし始めます。だいたい65歳を過ぎたあたりから、経営者には間違いが多くなってくるのです。

 まれに、並外れた経営者がいて、70歳や80歳を過ぎても、まだまだ意気軒高で、判断が冴えまくっている人もいます。そういう人は、おそらく、人知れず努力をし、凡百の社長とはかなり違う実力を持っているのだと思います。世の社長たちの先生ができるぐらい優れた人なのでしょう。それだけの力があれば、すぐには衰えないため、80歳でもまだ経営者として頑張っている人もいます。80歳でも90歳でも力のある人はいるので、例外はあります。

 ただ、一般的には、年を取ると衰えが来て、判断に間違いが出てきます。

 したがって、65歳を過ぎたあたりで出処進退を考えなければいけないのですが、社長の首に鈴をつける ことのできる人はいないので、難しいものがあります。「自分はそろそろ実を引くべきだ」という判断をするのは、とても難しいことです。

 トップの能力が高ければ高いほど、下の人には力がないように見えますし、現実に人材が育っていないことが多いのも事実です。

 経営者の出処進退は、とても難しい問題ですが、これは勇気を持って自分で判断しなければいけないでしょう。社長が自分に「クビ」を言い渡して、会長になったり、相談役になったりしなければいけないのです。」(『経営入門』P-269~271)

 65歳というのは一つの目安であり、人によって引退すべき年齢は異なる。経営者の引退に関する問題は、創業経営者など、実力のある経営者ほど難しくなる。後継者の問題、事業継承の問題とも重なるため、企業が永続するための重要課題となる。

「引き際の美学をしっかりと固め、後継者の養成まで出来たならば、社長としては ほぼ合格点です。いくら壮年期によい社長であっても、晩年が滅茶苦茶になったときには、世間の評価はとても厳しくなります。自分の首に鈴を付けて、「出処進退の美学を持ち、後継者を養成する」という努力が必要なのです。

 組織には求心力が必要なので、社長が会社全体の組織の求心力になる必要はありますが、年を取った老害社長が あまり細かいところにまでガミガミと口を出すと、たいてい嫌われます。

 経営は、人を使って成果をあげるものである以上、人に任せなければいけません。ただ、任せ切りでもいけません。客観的には、後継者を緩やかに指導し、求心力を持ちながら、細かいことはあれこれと言いすぎないようにして、能力の衰えを感じる部分では、仕事の守備範囲を縮める判断をすることが大事です。」(『経営入門』P-272~274)

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