過信を自ら戒める

 人間は えてして名聞欲が過ぎるものである。いつも自分の実力を客観的に見ておき、過信を自ら戒める必要がある。

 自分の実力を過大評価すれば事業に失敗し、実績や実力、精進以上の評価を他者に求めれば、「奪う愛」になって自分に対する評価が下がりはじめる。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『大悟の法』で以下のように説かれました。

「「自己啓発をして、自分を発展させていきたい」と考え、正しい道に入って精進しているのであれば、しだいに自分の評価が高まってくるのは、喜ぶべきことだと思います。ところが、心の修行をしている人でもそうなのですが、人間は、えてして名聞欲(みょうもんよく)が過ぎるのです。
 したがって、いつも自分の実力を客観的に見ておくことが必要です。「自分の実力はこの程度であり、この程度の評価なら受けてもよいが、それより大きな評価を受けるのは、評価されすぎである」「私は自分の実力を過信しているのではないか。過大評価しているのではないか」というように考えるのです。
 自分の実力を過大評価した場合には、たいてい事業に失敗します。
 また、他の人に対して、自分の実績や実力、あるいは精進以上の評価を求めたときには、「奪う愛」になり、客観的には自分に対する評価が下がりはじめます。
 名聞欲が過ぎると、「あまり働いていないのに、あなたは、なぜそれほど偉くなりたいのですか。なぜそれほど役職に就きたいのですか」と言われることになります。
 また、財欲と名聞欲の両方が過ぎると、「あまり働いていないのに、なぜそれほど地位や給料を欲しがるのですか。いまの十倍は働いてから、そう言うべきです」などと言われることになるでしょう。」
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給料の十倍働く気概を持つ

 そして、それを時間の長さではなく、能率アップと合理化の精神に基づく創意工夫で達成していくこと。

 そういう姿勢を持って仕事をしていけば、必ずや会社でも高く評価されるし、成功していくしかないのです。

 総裁は、『成功の法』で以下のように説かれました。

「「自分は、あれだけやったのに、この程度の給与の査定しか出ない。この程度の賞与しか出ない」と不満に思っている人に、私は言っておきたいのです。あなたにかかっている費用は、いったい幾らだと思いますか。
 一流企業であるならば、新入社員には十数万円の初任給が支払われ、大した仕事をしていなくても、ボーナスも払われるでしょう。その税込み年収が何百万円であるかは定かではありませんが、福利厚生、その他、いろいろな面を含めれば、おそらく、一人当たり一千万円近い費用がかかっているのではないかと思います。
 それだけの費用を、どうやって、その新米社員が稼ぎ出すことができるのか、考えてみたことがあるでしょうか。稼げるはずはないのです。
 それでは、その費用をいったい誰が出しているかというと、入社何年目かになってベテランとなっている人たちが稼ぎ出しているわけです。
 そうすると、いま、脂の乗りきっている年代のあなたがたであるならば、「自分の給料の額だけを稼げばよい」ということになるはずはないのです。まだまだ、それだけの努力、修行ができていない人、仕事に充分についていけない人に対しても、「その分、自分たちが働いて、お金を回してやる」というぐらいの気持ちにならなければいけません。
 したがって、「給料の十倍働く」ということを目標とすべきです。自分の年収の十倍の利益を出すことを目標とすればよいのです。
 給料の十倍働いて、それで、他の人以上に評価を受けられないならば、その会社は、おそらく、おかしな会社でしょう。そのようなときには、席を蹴って立ち去り、会社を辞めるのもよいでしょう。
 ところが、たいていの場合は、「自分は、人の1.2倍ぐらい働いたにもかかわらず、ボーナスが1.1倍ぐらいしか出なかった。だから不満である」というようなことが多いのです。そんな小さな考えでいるからこそ、そんな狭い了見であるからこそ、大した支払いがなされていないのだと考えて間違いないでしょう。
 自分一人のためだけに働けばよいのではありません。自分の生活費相当分だけ働けばよいのではありません。会社のなかには、収入を生まない部門において働いている人が数多くいます。そういう人たちが食べていけるためには、利益を生むセクションにいる人々が、しっかりと、何倍も働かなければいけないのです。
 そして、この 「十倍働く」ということは、「時間的に十倍働く」ということではないのはもちろんです。一日は二十四時間しかありません。これは伸びも縮みもしません。いくら人より働いても、数時間しか余分には働けないでしょう。
 ゆえに、その中身を検討しなければいけません。要所要所を押さえ、常に、「どのように能率を上げるか」という、能率アップと合理化の精神を忘れず、また、新規に創意工夫をしていくことが大事であると言えましょう。」
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