職業選択の悩み

 職業選択の悩みというのは、学生時代も社会人になっても歳がいくつになっても尽きないものである。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『人生の発見 説法自由自在①』で以下のように説かれました。

「人間にはやはり生まれ持っている持ち場というものがありまして、いまはぜんぜん違うところの仕事をしているかもしれませんが、こんなところは仏法真理に合致しないから、自分はもっとほかの仕事が向いているのではないかと思うこともあるかもしれませんが、たまたまそういうものを割り当てられているということは、そのなかにおいて最大限、やはりその役割を果たす必要があるのです。
 この世には無駄な仕事はないわけであって、たとえば講演会をやるためには、そうとうの人のいろいろな協力がいるのです。建物だって建築業者がいるし、建築業者があるためには、砂利の採集をしている人もいるだろうし、鉄を作っている人もいるだろうし、お金を貸している人もいるだろうし、大工さんもいただろうし、いろいろな人がいるのです。
 ですから、不要なものというのは基本的にないわけです。ただ自分の価値概念と現状が合わないということはあると思います。このときの考え方は、まずしかるべき時を待つというのがひとつです。
 自分がより仏法真理の増進のために役立つような仕事が予定されている人間であるならば、一生懸命努力していれば、必ずそういう道が開けてきます。その時間は、人間心では決めかねるものがあります。ただ、どんな仕事にも意味があると思って、自分の価値観に合わない場合は、そこでやれるだけのことをやって、時を待つということです。これがひとつです。
 もうひとつは、仕事のなかに、それ自体が有用な仕事というものもあると思うのです。私はきっとあると思います。だからその場合には、積極的にどんどんやられたらいいと思います。」

 

人には向き不向きがある

 職業に就いていて、ある程度の熟練度がある人は、同じような職業かそれに類似した職業をやることが成功しやすい。

 職業訓練を経ていない学生などの場合は、まず、人には向き不向きがあることを知ってほしい。

 まず、自分の適性を見なければならない。

 大川隆法総裁は、『経営の創造』で以下のように説かれました。

「まず、「自分はどのような事業なら向いているか」という悩みもあれば、「どのような事業なら成功させられるか」という悩みもあるでしょう。こうした、「事業を起こすときの悩み」というものがあると思います。
 これに関しては、「すでに何らかの職業に就いていて、その職業についてある程度の熟練度がある人は、同じような職業か、それに類似した職業をやることが成功しやすい」というのは、当然のことです。
 ただ、職業訓練を経ていない学生や、まだ世間の荒波に揉まれていない立場にある人から見ると、「自分は何に向いているか」というのは、それほど簡単に分かることではないのです。
 そういう人の場合、まず考えていただきたいのは、「人には、向き不向きがある」ということです。
 適性があって、どの職業にでも向いている人というのは、そんなにいるわけではありません。やはり、「何らかの職業に向いているかどうか」ということはあります。
 つまり、「自分の適性を見極めなければいけない」ということがあるのです。その意味で、まだ社会経験、職業経験を積んでいない人の場合であれば、やはり、自分の適性を見なければなりません。」
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