「礼」の心

 人生において真なる指導者として成功するためには、「人生の王道」を知らなくてはならない。

 そのための条件の第一は、「礼」の心である。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『人生の王道を語る』で以下のように説かれました。

「「王道」を語るにあたっては、「覇道(はどう)」とは何かを知らねばなりません。王道の対極にあるものとして、覇道というものがあります。この覇道に生きる者であっても、この世的に位人臣を極めることはありえますし、優秀なる人物であり、才能あふれる人物であることもあります。しかし、彼らには主として二つの特徴があるのです。
 その一つは、先ほど言いましたように、品性というものに香りがない、別の言葉で言うならば、品性において尊敬できないものがあるということです。それは、その人の魂の傾向性が、違ったところに向いているということを意味するのです。これが第一の関門なのです。この品性が違った方向に向いている人には、王道に入る資格がまずありません。
 この品性とはいったい何であるか。これについて語ろうとすれば、多くの言葉を費やすことになりましょうが、いやしくも王道に人らんとする者であるならば、その心のなかを見られ、その姿を見られ、他の者の目に己が姿をさらされたとしても、陰日向(かげひなた)なく、誰恥じることなき姿である必要があるということです。人前でいくらとり繕ったところで、その裏で、他の人の目に決してさらすことができないような思いを持ち、言葉を発し、行ないをしているならば、これは品性劣ると言わざるをえません。
 そして、覇道に生きる者のもう一つの特徴は、折り目正しさ、礼儀正しさというものの欠如でありましょう。あちこちに、やり手といわれる方は数多くいるでしょう。しかし、そのなかで王道に入るのではなく覇道に入っている人の特徴は、自分の上にある者、自分の上司にあたる者、優れたる者に対して敬意を表さないというところにあるのです。強き者を見て、いたずらにそれを愚弄し、あるいは軽蔑の言葉を表わし、単に尊敬しないだけではなく、陰でその人たちのことを悪しざまに言う心、これがすなわち礼を失した心です。こうした心で生きている人が、覇道に生きる者なのです。
 みなさんのなかには、みずからをエリートと思っておられる方も数多くいるでしょう。しかし今、己が心を止めて静かに振り返っていただきたい。自分は王道に入っているか、覇道に入っているかを。覇道に入りし者は、この世において、たとえいかなる地位や名声を得ようとも、やがて、生きているうちか、あるいは地上を去った後に、必ず破滅が待ち受けているのです。それを知らねばなりません。
 ゆえに、優秀なる人びとよ。他の人びとより優れたる資質を持ちたる人びとよ。まず第一に、礼の心を忘れるな。これを忘れたときに、あなた方の優秀さは、神の光を呈さぬものとなります。この礼の心を忘れたとき、それは覇道に陥ることとなるのです。これをまず守らねばなりません。
 そして、この礼の心は、あなた方が十年、二十年、三十年を通して、やがて出世の階段を歩んでいくときに、じつはどうしても必要なことでもあるのです。この礼儀正しさが、この折り目正しさが、この秩序を愛する心が、これがあなた方を世の波風から守ることになります。それは、単に処世のうえからのみ考えても、まことに優れた生き方であるということを知らねばなりません。」
(209~212ページ)

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