自分を律する

 特に、自分を律することの大切さを子供たちに教えてほしい。

 自分を律することができる人は、それだけで平均以上の存在になっていく可能性が高い。

 親は一生懸命に自分の子供の面倒をみるものであるが、本当に子供を愛しているのであれば、少しずつ自分のことは自分でできる方向に持っていき、できるかぎり「自律型人間」に変えていかなければならない。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『ストロング・マインド』で以下のように説かれました。

「特に、子供たちに教えてほしいことは、自分を律することの大切さです。
 世の中には、「自律的人間」と「他律的人間」とがいますが、自律的人間というのは、自分で自分を律していくタイプの人間です。親や先生から、あれこれ言われなくても、やるべきことは、きちんと自分で確認してやっていこうとするタイプです。
 例えば、宿題をやるのを忘れて学校に行ったとします。そのときに、「お母さんがプリントを変なところに片づけたから、忘れたんだ」というような言い方をする子供だっているでしょう。
 また、「先生は、朝、宿題を出したけれども、夕方になったら子供は忘れるに決まっているじゃないか。だから、帰りに、もう一回、『明日、宿題を持ってきなさい』と言うべきだったのに、それを言わなかったのが悪い」というような言い方をする“頭のよい子供”もいます。
 しかし、そういう屁理屈を言って大人を責める子供は基本的に駄目です。やはり、自分を律し、自分で責任を取ろうとしなければいけないのです。
 遅刻についてもそうです。朝起きるのは、子供にとって、つらいことですが、自分が遅刻したことを、「親のせいだ」などと言うようではいけません。
 いろいろな言い方があるとは思いますが、やはり、自己責任として受け止めることが大切なのです。
 平均以上の人間になっていくためには、「自分を律する」ということが大事です。自分を律することができる人は、もう、それだけで、平均以上の存在になっていく可能性が高いのです。
 この逆が「他律的人間」です。すなわち、馬のように、いつも他の人に“調教”してもらわないかぎり、何もできない人たちです。
 例えば、中学受験は、「親の受験」とも言われているように、親がかりでやっていることが多いのですが、非常に優秀な成績を取ったとしても、中学に入ってから急に駄目になる子がたくさんいます。
 なぜなら、中学から先になると、親が勉強についていけなくなり、一人で放っておかれると何もできなくなるわけです。
 自分の子供はかわいいので、親は一生懸命に自分の子供の面倒を見ているでしょう。最初は、それもしかたがないかもしれません。
 しかし、少しずつ手を放していって、子供が自分のことは自分でできる方向に持っていかなければなりません。できるかぎり、「自律型人間」に変えていかなければならないのです。
 これは、親としてはさみしいことです。手がかかるほうが、何か愛をたくさん与えているように見え、「与える愛」を実践しているようにも見えます。
 ただ、本当に子供を愛しているのであれば、やはり、彼らを、自分のことは自分でできる、「自律型人間」にしていかなければならないのです。」
(163~168ページ)

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