偉大な発明に必要なもの
発明にも悟りのレベルがあるのであって、発明のもとになるものは「愛」である。
休みがあってはならぬというのが研究の本質であり、「狂」の字が付くぐらい研究しないと、サラリーマン的に働いているのでは、偉大な発明はありえない。
偉大な発明のもとにあるのは、「炎のように燃える情熱」である
幸福の科学大川隆法総裁は、『トーマス・エジソンの未来科学リーディング』で、発明王・エジソンの霊の言葉(「霊言」)を次のように紹介しておられます。
「これにはレベルの問題があるわけよ。いちおう、発明にも悟りのレベルがあるわけだな。
それが、いかに広がって、人類全体の喜び、幸福になって、世界の付加価値の総量を増やしていくか。これに役立った発明は、やはり影響が大きいね。それがどこまであるかだ。細かいものを発明することは、できるとは思うんだけどな。
だから、本当に、単なる個人的な興味・関心だけでは済まないところがあり、発明のもとになるものとして、「人類に対し、白熱電灯のごとく光を与えたい!」という希望が必要だな。
そういうものが、やはり要るから、発明のもとになるものは「愛」なんだよ、君。宗教的には「愛」なんだ。広い愛なのよ。
理系の研究や実験の場合、途中でやめてしまうと、翌日、出てきて、もう一回、やろうとしたときには、もう(興が)冷めていることがあるんだ。だから、乗ってきたら、もう、やめられない。一気にやってしまわないとね。
途中で止めたら、やる気のなくなることがあるんだよ。インスタントラーメンを温めているうちに、麺が伸びてしまったようになることがあるので、やりたいときに一気にやってしまわないといけない。
そういう意味で、「研究に休みがあってはならぬ」というのは基本だな。それが研究の本質だ。
天上界に還れば、基本的に、そういうことになるけどな。休みはないよ。
俺には、いまだにベッドがないんだよ。もらってないんだ。昼寝ができる程度のソファーはあるんだけど、俺の研究室にはベッドがまだ入っていないんだな。
八時間、研究するのと、二十四時間、研究するのとでは、あとのほうが三倍も働ける。こんな楽しいことはない。だから、研究が主体であって、生活に必要な時間は最低限のものでなければならんな。寝ながらでも、ご飯を食ったり、歩いたり、トイレに入ったりするぐらいでなければいかん。そのくらいでないとな。
それは、人から見たら、奇人・変人・狂人の仲間であることは間違いないけれども、やはり、一時期、「狂」の字が付くぐらい研究しないと、偉大な発明はありえない。
サラリーマン的に働いていたら、偉大な発明はありえないよ。技術改良をするとか、ちょっと工夫するとか、新製品をチームでつくるとか、そういうことはできるかもしれない。
しかし、偉大な発明のもとにあるのは「炎のように燃える情熱」なんだ。それがなければ駄目だ。
君らは、最近、「吉田松陰が、どうのこうの」とよく言っているけど、いやあ、早い話、理系の吉田松陰がエジソンなわけよ。」(23~29ページ)