創造的な人間をつくるための方法
創造性とは、ものをつくることだけではない。
創造的な生き方ができれば、十倍、百倍の値打ちを、人生に付加価値として付けることができる。
組織のなかにいても、家庭のなかでも、創造性を発揮する余地はいくらでもある。
幸福の科学大川隆法総裁は、『創造の法』でこう説いておられます。
「この世の中では、「創造する力」を持つ創造的な人間というものは、何か事業を始めるにしても、個人として職業を選ぶにしても、会社や組織のなかで出世するにしても、やはり、素晴らしい価値を生みます。
創造的な生き方ができれば、十倍、百倍の値打ちを、人生に付加価値として付けることができるのです。それを知らなければいけません。
創造性とは、単に機械の発明のようなものだけにかかわるのではありません。実は、人生全般に影響が出るものなのです。
例えば、家庭問題においては、家庭争議から離婚へと進む場合がありますが、創造性を発揮すれば、離婚は十分の一ぐらいにまで減らすことが可能です。
「自分は、こうしたい」と言う妻と、「自分は、こうしたい」と言う夫とがぶつかって、お互いに譲らず、決裂するというおそれがある場合、どうすればよいでしょうか。
自分に与えられた問題に対しては、自分なりの解決法を考え出さなければいけません。ただ、人には、どうしても、手抜きをしてしまうところがあり、自分の主張だけを通そうとして他の人とぶつかり、「あの人とは相性が悪いのだ」と考えてしまいがちです。
しかし、そうではありません。これは、「仕事が十分ではない」ということなのです。会社で人間関係のトラブルを起こす人は、家庭でも同じようなトラブルを起こすものです。
かなり古い調査になりますが、ハーバード大学の調査に次のようなものがあります。
会社をクビになった人について、「なぜクビになったのか」という原因を追究したところ、三十数パーセントは、能力不足によってクビになっていますが、残りの六十数パーセントは、人間関係の問題でクビになっているのです。「人間関係がうまくいかなくなって、会社を辞めざるをえなくなる」ということが、アメリカにおいてもあるわけです。
やはり、人間関係の調整においても、発明・発見が要ります。「この人とはどうしても合わないが、うまくやっていくためには、どうしたらよいのか」「会社の組織のなかで、うまくやっていくためには、どうしたらよいのか」ということを考えに考えて、解決案を出していかなければならないのです。
そうすれば、それを見事に突き抜けて、組織のなかでも仕事がうまく回るようになり、周りともうまくいって、自分も出世するようになっていきます。
創造性というものは、「組織のなかにいるから発揮できない」というようなものではありません。粘土をこねて、ものをつくるようなことだけが、創造性の発揮ではありません。家庭のなかであろうが、会社のなかであろうが、今、自分がいる環境のなかに、創造性を発揮する余地は、いくらでもあるのです。」(23~27ページ)
創造的に生きる
創造的な仕事をすることは、非常に付加価値が高いだけでなく、本当に大金持ちになる方法でもある。
ただ、創造的な人間は変わり者なので、実績が出始める前には、人の冷たい視線や冷笑に耐えなければいけない時期がある。だから、創造的な人間であるためには勇気が必要である。
大川隆法総裁は、『創造の法』でこう説いておられます。
「以上、創造性の秘密に迫る部分、その触りの部分について説いてきましたが、最後に、もう一つだけ述べておきたいことがあります。
創造的な仕事は、前述したように、付加価値の非常に高い仕事であり、評価される仕事です。また、創造的でなければ大金持ちにはなれないことを考えれば、創造的であることは、みなさんが本当に大金持ちになる方法でもあります。
ただ、一点、これには「十分条件」が必要です。
創造的な人間は、やはり変わっています。変わり者なのです。そのため、創造的な人間には、人の冷たい視線や冷笑に耐えなければいけない時期が、どうしても出てきます。
創造的な人間は、必ずと言ってよいほど、人と違ったことをしたり、言ったり、書いたりするので、学校や会社などの組織のなかにいると、すぐに頭を叩かれ、潰されやすいのです。
ところが、実績が出始めたら何も言われなくなります。学校で「変な生徒だ」と思われていても、成績がずっと上位であるならば周りの人は黙ります。会社で「変な社員だ」と思われていても、業績がたくさん出てきたら、何も言われなくなります。
しかし、その前に叩き落とされることがあるので、十分条件として「勇気」が要るのです。
創造的な人間であるためには勇気が要ります。
創造的に生きるためには勇気が要るのです。
変わったアイデアを出し、行動し、
それを実現するためには、勇気が要ります。
人の批判に耐え、勇気を持って、
やってのけなければ駄目なのです。
そういうことが重要であると述べておきます。」(46~48ページ)
新しい経験や智慧を得て、それが、すでに学んでいたものと結合して火花が散ったときに新しいものが生まれてくるのが創造の基本原則である。
この「異質なものの結合」のために、例えば、異質な二種類の学問を修めるとか、ある学問のコース上の職業から全然違う系統の職業に転職する方法がある。
心して「異質なものを結合させていこう」と努力すると、新しい価値が必ず生まれてくるので、「異文化交流」がけっこう大事である。
大川隆法総裁は、『未来創造の経済学』で、経済学者・シュンペーターの霊の言葉(「霊言」)を次のように伝えておられます。
「さて、これから、新しい未来産業を起こしていくために、新しいタイプの人間、つまり新人類だな、そういう新しい価値を生み出していく「創造的な人間」をつくるためには、どうすればよいか。
やはり、「異質なものの結合」という基本原則ははずせないので、例えば、「全然違う、あるいは非常に距離の離れた、二種類の学問を修める」とか、「ある学問を修めて、そのコース上の職業に就くけれども、どこかの時点で、全然違う系統の職業に転職する」とか、そういうことが必要だね。
新しい経験や智慧を得て、それが、すでに学んでいたものと結合して火花が散ったときに、新しいものが生まれてくるんだよ。
だから、将来、システム的に、「異質なものの結合で、新しいものを生み出す」ということができるように、何か方法を考えておいたほうがいいね。
例えば、水素と酸素が結合して水になる。これも、ちょっと考えられないようなことだと思うんだ。水素は水素。酸素は酸素。そして、水素と酸素を合わせて火をつけたら、爆発して燃え上がって水ができる。その水は、今度は、火を消すことができる。まことにもって不思議だけれども、創造の基本原則というのはこれなんだよ。
水素と酸素から水ができるとき、こうした、まことに不思議な創造の過程を通っていく。「新しい価値を生み出す」というのも、これと同じようなことだな。
気体が、液体になり、固体になる。ね? 水素と酸素は気体だが、結合することで、水という液体になり、さらに温度を下げると、氷という固体になる。また、蒸発して気体になれば、空に昇って雲になる。まことに不思議なものだ。このあたりに、創造の本質がすでに現れている。
だから、みんなが、心して、「異質なものを結合させていこう」と努力すると、新しい価値が必ず生まれてくる。思い込んでしまうと駄目なんだな。
先ほども言ったように、「商人は卑しくて、ものの売り買いをして金を儲けている。しかし、侍というのは、そういう、収入をあげるようなことに対して、一切、手を出さず、戦をするものだ」というのは、だいたい、封建時代の思い込みだよね。
「侍は、農民から、税金としてお米を何俵もらうと決まっている」となっていたのが、今は、そういう侍だった人が起業業になっている。
そのように、今は、「異文化交流」というものがけっこう大事ではないかと思うね。これが私の考えだ。」(152~154ページ)
創造性を発揮
まず、問題意識を持って、それに関連する情報を集める準備期間が必要である。
その上で、固定観念を取り除き、プライドも取り去って、白紙の気持ちで考えること。
量を出さなければ「質」に変わらない。できるだけ多くのアイデアを出すこと。
締め切りを急がず、とにかく考え続け、アイデアを熟成させること。
そして、この案ならと思ったらそれにトライし、うまくいかなかったらまた修正版をつくり、何度も考えついてはトライしていくうちに、創造的な仕事ができるようになっていく。
総裁は、『創造の法』で以下のように説かれました。
「創造するためには、何か今までにないものをつくり出さなければいけませんが、そのためにはアイデアが必要です。まず、新しいアイデアを出さなければいけません。
ところが、「頑固で、老舗意識があり、古いものを愛し、断固として絶対に変えない。人の意見を聴かない」というような態度でいると、創造性がなくなります。
したがって、固定観念を取り除かなければ駄目です。固定観念を取り除き、まったく白紙のキャンバスの上に描くつもりでなければいけません。プライドも何もかも全部取り去り、白紙の気持ちになって考えるのです。
会社での人間関係や新しい仕事の開発の問題、家庭問題など、どのようなテーマでもよいのですが、当面、自分が抱えている問題について、「解決すべき問題は、これだ。これに対する解答、あるいは対応の方法が、どれだけあるだろうか」ということを考え、固定観念を外して、できるだけ多くのアイデアを出さなければいけません。
問題は「量」です。とにかく、考えつくだけのアイデアを出してみなければいけません。量を出さなければ「質」に変わらないのです。
「最初に出たアイデアが、いちばん良い」ということはあまりありません。そんなにうまくはいかないものです。五個も十個も、二十個も三十個も、五十個も百個も、次々とアイデアを出しているうちに、どこかで、良いアイデアが出てくるのです。
あるいは、そうやってアイデアを出していて、その日のうちには結論が決まらなくても、その後も一晩考えたり二晩考えたりしていると、アイデアの続きが出てきます。改良版として、さらに良いアイデアが出てくるのです。
したがって、考え続けることが大切です。紙やカードに書けるだけ書き出し、「これ以上は、もう出ない」というぐらいまで出してみるとよいと思います。たくさん出してみることです。そして、そのなかから選び取っていくことが大事です。
また、アイデアを得ようと思うならば、やはり、問題意識を持って、それに関連する情報を集めなければいけません。そういう準備期間が必ず要ります。次に、チーズのように熟成期間というものが要ります。アイデアを寝かせておいて発酵するまでには時間がかかるのです。
要するに、「アイデアを数多く出す」ということと、「それをあまり急がない」ということが大事です。「締め切りを急がず、とにかく考え続け、アイデアを熟成させなければいけない」ということです。
ずっと考えているうちに、いろいろなアイデアが出て、だんだん練れてきます。そうしているうちに、どこかで、ひらめきがズバッと出てきます。「これは、良い案だ」というものが出てくるのです。「この案ならよいのではないか」と思ったら、それにトライすることです。
それで、うまくいかなかったら、また修正版をつくってもよいのです。何度も何度も、考えついてはトライしていくうちに、非常に創造的な仕事ができるようになっていくのです。」(28~38ページ)
インスピレーションと創造性
日本人としてトップレベルの創造性を発揮しており、その創造において確かにインスピレーションを受けている。
しかし、霊界から受け取るインスピレーションの内容は、受け取る側の器と連動するものである。
インスピレーションはあったとしても、それを受け止める器を作るため、個人としての学問を積み重ねているのが、その創造の秘密である。
「私の著作は、すでに五百冊を超えています。自分のことを言うのは口幅ったいことですが、現在、生きている日本人としては、私は、かなり創造性の高いタイプの人間であることは間違いないでしょう。おそらく、創造性においてはトップレベルであろうと思います。
そして、その創造性においては、確かにインスピレーションを受けています。それも、単なるインスピレーションではなく、実際に、本家本元の霊界からの通信が来ているのです。そのものずばりのインスピレーションが降りていることは間違いありません。
ただ、そういうものはあったとしても、「個人として、人間として、やるべきことを積み重ねている」という事実があるのです。
これは宗教学者も認めていることであり、「宗教を開く人は、神懸かってきて、神の言葉を伝えるわけであるが、その神の言葉は、受け取る人の持っている知性や経験、教養等と、そうとう連動する」ということを、彼らは言っています。
「文字も学んでいないような、農家の無学な主婦に、突如、神が懸かってきた」というような宗教もあります。例えば、大本教の初代教主である出口なおがそうです。
この女性は無学であったため、その口を通して神が語った言葉と、婿養子である出口王仁三郎が霊界通信を受けて書いている言葉には、違いがありました。学のある人が神の言葉を受け取れば、それだけ、インテリらしい内容になりますが、初代のほうは、そうではありませんでした。やはり、「受け取る側の影響が出る」ということは現実にあります。 私も霊界から数多くのインスピレーションを受け取っていますが、その内容は、受け取る側である私の器と連動しているのです。
そのため、基本的に、すべてを霊示だけで行っているわけではありません。霊示は降りていますが、やはり、「自分の器が、どこまでできているか」ということと、私が発信しているものとは連動しています。それが創造の秘密としてあるのです。
同じようなタイプの霊能者であっても、それほど本を書けない人は当然いますし、本を何冊か書いても、同じことしか書けない人はたくさんいます。体験談だけであれば、数冊書くと終わってしまうのが普通です。
小説家でもそうです。自伝的なものを私小説風に書けば、だいたい、一冊か二冊を書いたら種は尽きてきます。ところが、全集があるような大作家になってくると、延々と書き続けていきます。これは教養の力で書いているのです。教養や学問の力というものがあるわけです。
私は五百冊以上の本を書いていますが、そこには学問の力がそうとう働いていることは間違いないのです。」(『創造の法』150~153ページ)
クリエイティブに生きる
独創的(クリエイティブ)になっていくための条件は、第一に、かならずや世の中にとって、有用な人間、有益な人間になりたいという願いをもつこと。
第二に、後れて来る青年たちに、何らかのプレゼントをしたいという気持ちをもつこと。
第三に、努力して沈黙の時間をとること。
大川隆法総裁は、『幸福への道標』で以下のように説かれました。
「私は、みなさんが独創的になっていくために、どうしても必要な条件を伝授しておきたいと思います。
それは、まず第一に、「かならずや世の中にとって、有用な人間、有益な人間になりたい。」という願いをもつことです。この願いなくして、独創性は生まれることはありません。
独創性が子供の遊びとちがう点、幼児の砂遊びとちがう点はここにあります。世の中のためになる、役に立つことをしてみたい、そういう強い願いです。この願いが強い人ほど、本来的に魂の格が高いのだと言うことができます。強い願いをもっている人は幸いなるかな、と言えるのです。
第二に、ぜひとも言っておきたいことは、どうか現在ただ今における自己実現というような、そんな小さな考えは持たないことだということです。自分に後れてくる人たち、後世の青年たち、多くの人びとに何らかのプレゼントをしたいという、そういう気持ちをもっていただきたいということです。
自分の努力によって、自分が報いられるだけであるならば、それはごく平凡な行為だと私は思います。しかし、自分の努力が自分に返ってこないで、次なる人、さらにその次なる人へとわたっていくということは、これはそれ自体で崇高な思いであると思うのです。この世にいて、この世ならざる思いであると思うのです。
どうか、汗は自分で流して、その結果を多くの人びとの幸福になるように、とくに後に来る人びとのためになるように考えていただきたいと思うのです。
第三番目にあげておきたいこと、それは鉛が変じて黄金になるためには、どうしても高貴なる沈黙の時間が必要である、ということなのです。ほんとうに、独創的な瞬間、人びとは寡黙であります。ほんとうに、人類の知恵を生み出す瞬間、人びとは寡黙であります。高貴なる沈黙の時間のなかにおいて、知恵という名の子供が生み出されるということを知ってください。
したがって、独創的たらんと欲する人は、努力して沈黙の時間をとることです。そのなかに、みなさんの魂が変化していく瞬間があるのです。」(205~206ページ)
まずは、「ヘソ曲がりのすすめ」をしてみたい。
新しい視点を得るためのいちばん簡単な方法は、引っ繰り返してみること。
今まで考えなかったようなこと、必要ではなかったようなことを考えてみる必要がある。
総裁は、『創造の法』で以下のように説かれました。
「まずは、「ヘソ曲がりのすすめ」をしてみたいと思います。「物事を逆に考えてみてはどうですか」と言いたいのです。
物事は、逆に考えてみると、新しい視点が得られます。新しい視点を得るためのいちばん簡単な方法は、「引っ繰り返してみる」ということなのです。これによって、けっこう、新しい局面を拓くことができます。
「厚いものは薄くしてみよう」という発想で逆にしてみたら、これで新しいニーズが生まれるわけです。
また、「小さなものは大きくしてみよう」とか、逆に、「大きなものは小さくしてみよう」とかいう発想もあります。携帯電話でも何でも、だんだんコンパクトに小さくなっていきました。
それから、「遅いものは速くしてみる」「手がかかるようなものは、手がかからないようにしていく」という発想もあります。
このように、最初の発想の仕方は、「反対のものができないかどうか」ということです。
服でもそうです。昔は、「冬には厚い服を、夏には薄い服を着る」ということが常識でした。ところが、現在は、百貨店に行って婦人服を見ても、夏物と冬物の区別は、ほとんどつきません。服装にシーズンの差がなくなってきました。ネクタイも夏冬の区別がだんだんなくなってきています。
かつて「常識」と思われていたことを引っ繰り返していくのが、新しいイノベーションなのです。「今、『常識』と思っていることが、そうでなくなるには、どうしたらよいか」ということを考えれば、いろいろな問題も、解決する道が拓けてきます。
今は、例えば腕時計でも、変わったタイプのものがあります。「針がなくて、文字盤の円周部分の二つの点で時刻を示し、中心部分は飾りになっている」というものもあります。
本来、時計というものは、時刻を知るためにあったはずです。文字盤に数字を打ち、何時何分であるかを正確に知らせることが役割でしたが、針のないタイプの時計では、その役割が変わってしまっているのです。
それから、最近では、スケルトンといって、内部の構造が見える腕時計もあります。内側の機械は格好が悪いので普通は隠しているわけですが、スケルトンの場合は、外から透けて見えるようにしています。そういうものでも、けっこう値段が高いのです。
世の中を見てみると、ある意味で、「無駄なものほど高く売れる」ということがあるのです。なぜかというと、無駄なものは、人が「必要だ」と思わないので、珍しくて希少価値が生まれてくるからです。それで、「高い値段で売れるがゆえに利益率が高く、儲かる」ということがあります。
したがって、必要なものだけを求めるのは、ある意味で、もう古いのであり、今まで考えなかったようなこと、必要ではなかったようなことを考えてみる必要があるのです。」(94~100ページ)