自分の思想を作る

 他の人の考えであっても、自分が共感する部分は、実は自分のなかにあるものだから、いろいろな人の話のなかで感応するものを集めていけば、それが自分自身の思想になる。

 花が長く咲きつづけるために、土に根を下ろして養分や水分を吸うのと同じように、自分以外の者から学ぶことが養分や水分になる。

 他の人から学ぶことを厭ってはならず、他の人からどんどん学ぶことを通してこそ、実は自分自身のなかに埋もれている本来の宝、最良のものを掘り出すことができるのである

 幸福の科学大川隆法総裁は、『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』で以下のように説かれました。

「いろいろな人がさまざまなことを言うでしょうが、そのなかで、「これはいける」と思うことは、自分自身のものにしてしまうことです。人生観に著作権はないので、どんどんもらっていけばよいのです。よいと思うところを集めてできたものは、自分自身のものなのです。
 他の人の考えであっても、自分が共感する部分というのは、実は自分自身のなかにあるものです。自分自身に〝素質″がなければ、その考え方に共感しません。感応する場合には、自分のなかにそうしたものがあるのです。
 したがって、いろいろな人の話のなかから、自分が感応するものを集めていけば、それは自分自身の思想になります。与える側と受け取る側とは、感応できる部分において同質なのです。
 他の人の人生観に学ぶことは、物真似や人真似では決してありません。そのなかで深く感じるものは自分自身のものなので、多くの人から学び、自分の言葉として語ればよいのです。
 それをせずにじっと考えていても、何も出てきません。多くのことから学ばなければ、何も出ないものなのです。知識や経験、他の人の言葉などから学び、それを自分自身のものにしていくことです。
 幸福の科学の会員となって勉強していると、いつのまにか、当会の書籍に書かれていることを口にすることが数多くあると思います。それでよいのです。その部分こそが、自分自身の思想になろうとしている部分なのです。
 こうすると、人間は無限に成長していきます。人の意見に関係なく、自分は自分の考えを出せばよいのだと思って生きていくと、思想的な豊かさというものは決して出てきません。逆にどんどん先細りしていきます。栄養を使いきって、葉も生えず、花も咲かない植物のようになってしまいます。
 それは水に活けられた花と同じであり、一時期、咲くことがあっても、やがては必ず枯れてしまいます。花を長く咲かせつづけるためには、土のなかに根を下ろして、養分や水分を吸わなければならないのです。この養分や水分にあたる部分が、自分以外の者から学ぶということです。
 他の人から学べるものは、どんどん学ぶことが大事です。そうしたことを通してこそ、実は自分自身のなかの最良のものを掘り出すことができるのです。
 土のなかに埋もれている宝を掘り出すには道具が必要です。知識や経験は、シャベルやスコップのようなものであり、そうした道具をつくるのが学びです。学びによって道具ができ、自分の本来の宝が掘り出されてくるのです。」
(95~97ページ)

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