希望は実現しないのか

 たとえ天上界であったとしても、実際には必ずしも思ったことがすぐに実現するわけではない。

 「希望は、その人にふさわしいかたちで達成される」というのが、より正確である。これを「因果の理法」に照らして説明すれば、「希望は、その人の心境、人格、努力、才能にふさわしい結果を引き寄せる」ということである。

 その願いが、自分にふさわしいものであって、自分がその願いを持つにふさわしい生き方をし、努力をしていれば、そして、その願いどおりの結果が現れてくることが、自分にとってふさわしいし、他の人からも、天使からも、そう見えるのであれば、その願いは必ず実現する

 幸福の科学大川隆法総裁は、『希望の法』で以下のように説かれました。

「もし、額面どおり、字義どおりに、「思ったことが、即、実現する」ということであるとしたら、地獄界という所に住んでいる人たちが、「ここから逃れたい」と思えば、それは、即、実現するはずです。彼らが、「天上界に上がりたい」と思えば、即、実現し、「天使になりたい」と思えば、即、実現するはずです。ところが、現実には、なかなかそうはいかないという事実があります。
 一方、天上界の諸霊の場合は、どうでしょうか。死んで、まもない人、あの世へ還って、まだ不案内な人が、「天使になりたい」と思えば、即、天使になれるでしょうか。これも、そう簡単にはいかないのが現実です。
 天使になるには、天使になるだけの修行をし、それだけの力が備わっていることが必要となります。「天使になりたい」と思うことは、目指す方向としてはよいとしても、実際に天使になるには、一定の要件を満たすことが必要であると言わざるをえません。
 逆に、天使が地獄の悪魔を目指せば、即、なれるかというと、これもまた、そう簡単なことではありません。
 天使であるということは、「長らく、善なる心を維持し、地獄の悪魔の心境を目指さないことをもって、人生の指針としてきた」ということです。そのため、天使は、演劇の俳優のように、一時期、地獄の悪魔を演じることはできても、地獄の悪魔として長く生きることは、なかなか難しいのです。
 これが意味しているのは、どういうことであるかというと、「思いは実現する。願いは実現する。希望は達成される」と言うけれども、「希望は、その人にふさわしいかたちで達成される」と言ったほうが、より正確であるということです。
 あるいは、仏教的なる「因果の理法」というものを含めて述べるならば、すなわち、「ある原因があって、結果が生じる」という、「善因善果・悪因悪果」の考え方を入れるならば、「希望は、その人の心境にふさわしい結果を引き寄せる」と言うべきであると思われます。
 希望の実現においては、やはり、その人の心境にふさわしい結果が現れてきます。その人の人格にふさわしい結果が現れてきます。その人の努力にふさわしい結果が現れてきます。その人の才能にふさわしい結果が現れてきます。
 思いとその結果が大きく隔たっている場合は、たいてい、自分自身の現在のあり方、すなわち、自分自身の努力や反省や才能、対人関係における自分のあり方が、正しく見えていないために、自分の予想していない結果が現れてきているのです。
 もし、その願いが、あなたにふさわしいものであって、あなたが、その願いを持つにふさわしい生き方をし、努力をしているならば、そして、その願いどおりの結果が現れてくることが、あなたにとって、まさしく、ふさわしい結果であり、他の人からも、そう思われ、天使からも、そう見えるのであれば、その願いは必ず実現します。この世的時間における「遅い」「早い」はあるにしても、必ず実現するのです。」
(18~22ページ)

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