経営者はAIによる支配を怖れよ

 コンピュータ工学には「Garbage in garbage out.」という用語があります。コンピュータがいくら優秀であったとしても、人間が無意味なデータを入れればゴミ同様の結果が出てくるということです。もし、ガラクタなAIが経済を支配する世の中になれば、人としての尊厳が失われた不毛な社会が現出するでしょう。

 幸福の科学大川隆法総裁は、以下のように説かれました。

仕事がなくなっていく原因の一つというか、主因は、AIとロボット産業等の発展です。AI、人工知能とロボットに代替されて、今、人間がやっている仕事の多くはなくなっていくことが予想されます。ただ、それはなくなっていくだけではなくて、「違ったかたちのものを、またつくっていかねばならないこと」を意味しています。
 これは、「新しいベンチャー気質を持った人たちが出てこなければ生き残れない」ということを意味しているのであって、「仕事がなくなったら、次の仕事をつくっていく」ということです。
 工場などでも、ロボットだけで動いているところもたくさんあります。大規模なところでは、工場に一人も人がいなくてロボットしかないようなところもありますし、そういったところで、「自動車に乗って空を飛ぶ研究」も進められています。
 人間は、そういうところに新しい知恵をつくっていかなければいけません。自動車をつくっていた人たちでも、航空機をつくるという才能も入れて考えなければ、未来がつくれないところもあるわけです。」
(『道なき道を歩め』)

「今はロボットの導入も増えていますが、はっきり言えば、これは「人減らし」に使われているのです。ロボットやAIが、完全に“人間の代わり”に考えて仕事をできるようになってきたら、ロボットに“人頭税”を払ってもらわなければ困る時代が来る可能性が高いのではないでしょうか。
 結局、「工場に人が一人もおらず、ロボットだけが働いている」という状況になったら、かつて取れた税金も取れなくなります。そのため、ロボット化、コンピュータ化によって国の税収は減っていくはずです。」
(『富の創造法』)

「全体主義化していく傾向に対して、ウオッチする目は気をつけて持たなければいけません。善悪について、マスコミをコントロールし、「これが善」という感じで流し始めると、だんだんにその方向につかまれていく傾向があるので、気をつけなければならないと思います。
 封建時代を長く経験した日本としては、すぐにお上の意向に従う傾向があるので、「お上の経済学」というのはあまり信じないことが大事でしょう。特に、コンピュータが発達してから、計量経済学的に物事を考える傾向が非常に強くなっています。
 大義名分や、「何のために」「誰々の幸福のために」というものが抜け落ちてきて、数字的に整合性をつくろうとする傾向が出てきます。日本の個人資産は、今、おそらく一千九百兆円ぐらいまであると思います。今回、コロナ対策で、そうとうバラマキに入っているので、一千百兆円あった財政赤字がもう少し膨らむはずですが、政府のほうとしては、「まだこのくらいは取れる」という計算は立てているはずです。」
(『人の温もりの経済学』)

「機械信仰をあまりに持ちすぎるのは考えものです。むしろ、対抗する価値観も出さねばなりません。人間が手づくりでやった仕事を高く評価する。考えて、アイデアを出して、新しくつくり出したものを評価する。また、そのなかに人類に対する愛がこもっているものを、値打ちがあるものだと考える。こうした価値観です。
 効率よく画一的に大量生産できる時代だけが、よい時代ではありません。それは、あなたがたがコンピュータ、ロボット、AIなどに負けていく世界であり、「将来的には、占い師に代わって、彼らに人生を決められる時代が来る」ということを意味しています。 
 しかし、コンピュータは神を知らない。コンピュータは魂を知らない。コンピュータは、この世に出る前の人間の姿、その命を知らず、この地上を去った世界における人間の生き方を知らない。
 したがって、これからも便利なものは使って結構ですが、機械や科学万能信仰に支配されていないかどうかについて、よく考えてください。」
(『新しき繁栄の時代へ』)

「長い人生を充実させ、豊かに過ごしていくためにはどうすればよいのでしょうか。一つには、「知的好奇心」を持ってください。「まだまだ新しいことを知りたい」というように、まだ自分が十分に分かっていないことに関心を持ち、それについて、もう少し、人に語ったり、書いたり、発表したり、アイデアとして使ったりできるような自分になれるようにしてください。
 現代は、流れは速いものの、浅く流れて消えていく泡のような情報がたくさん使われています。そうした、すぐ消えていく情報を、大量に短期間で処理できる人のことを「知的巨人」などと言う場合もあるようですが、私から見ると、知的巨人には見えません。どうも、それは「情報処理能力」のことを言っているのではないかと思うのです。それで言えば、先ほど述べたコンピュータ(AI)に、いずれ負けるのは確実でしょう。
そうした「知的巨人」と言われる人は、ほかの人より鋭く分析したりしているようには見えるかもしれません。しかし、もう一段、腰を据え、深く掘り下げて、智慧にまで高めていかなければ駄目なのではないかと思うのです。」
(『鋼鉄の法』)

「「年金は、もらえないものだ」と思って、老後の設計をつくるとしたら、どうすればよいのでしょうか。一つには、やはり、「年を取ってもできる仕事」をつくり出していくことです。「年を取ってもできる仕事」とは何かと言うと、結局、「難しい機械をそれほど使わなくてもできる仕事」です。コンピュータ化をどんどん進められたら、若い人にはよいかもしれませんが、これには“年寄り追い出し効果”があるので、「コンピュータを使わなくてもよい仕事」を、努力して、もう少しつくらなくてはいけません。
 会社においてもそうです。「コンピュータなどの機械類を使えないかぎり、採用しません」というようなことだと、再就職の機会が非常に失われるので、この点を考えなくてはいけないのです。」
(『地球を救う正義とは何か』)

「これは国内問題も絡みますが、インターネット、コンピュータ系の仕事が2000年以降すごく進んだわけですが、これもやはり、どうしても安くなる方向に、全部が流れているように見えますね。
 いろいろなものがだんだん安くなってきて、結局、これが経費削減にはなっているんですけれども、「全体的に貧しくなっている可能性がある」ということを、一度、注目したほうがいいと思いますね。
 インターネット系の発展により、経費削減をして、「人減らし」をやっているかもしれない。ということであれば、将来は、“ロボット税”とか“AI税”とかでも入れないかぎりは・・・。要するに、人間の代わりに働いているんだから、そうなるかもね。」
(『君たちの民主主義は間違っていないか。』)

「宗教として、やはり言っておかなくてはならないのは、「ただ経済原理のために人がいるわけではないのだ」ということです。人が生活していく上で、経済原理が働くようになっているだけのことです。「快・不快」というのは、いちばんレベルの低い感情でしょうが、もう少し難しく言えば、「幸福感」の問題です。「人が幸福感を得られるのは、どういうときか」ということを、やはり考えていかなくてはなりません。
 機械的にだけ見たら、人間というものは、石油の代わりにいろいろな動物や植物をわざわざ調理までして口から入れ、“糞尿製造機械”と化して流しているだけの存在にしかすぎないのです。
「もし、そのように見る人間観がメジャーになったら、大変なことになる」ということを、今、ブレーキを踏んで考えなくてはいけないのです。」
(『人の温もりの経済学』)

 ある女性向けファッション通販会社では、女性のスタイル等の顧客データ、サイズや色、好み等の商品データ、行動履歴等をAIで分析し、一括管理。毎月好みに合った服を届け、顧客は気に入った商品を試着、購入する仕組みで上場を果たしました。しかし、その会社には800人ものスタイリストが常駐しています。女性は妊娠やライフスタイルの変化で、体型が変わることもあり、個々の細かい要望にはスタイリストがその都度対応します。AIはあくまでも道具であり、最終的には人が人に寄り添う経済が、成功を招いているのです。

「「コンピュータの強いところは、反復できるような計算とか、正確で間違えないような確認作業のようなものだ。そういうやり方が決まっていることを、速い速度で行うことには、非常に優れていて、人間よりも便利なところがある。しかし、コンピュータは、創造的な行為を何もできない。新しい仕事を企画するなど、何かを自分からつくり出していくというようなことはできないのだ。
 やはり、使う部分は最小限にして、あとは人間でなければできないこと、考えてやらなければいけないことをやりなさい」というようなことを言っていたわけです。
 また、松下幸之助さんも、「毎日のように、いろいろなデータが報告として上がってくるし、最初のうちは、しばらく見ていたけれども、これは要らん。毎日、見る必要など全然ない。月一回、報告があれば十分に判断できることで、要らない業務だ」というようなことを言っていたことがありました。
 口の悪い人たちのなかには、「今、コンピュータ業界が金儲けをして発展しているけれども、“一億総白痴化”に向けて邁進している」という言い方をしている人もいるので、やはり、「本当に要るのか要らないのか」は考えたほうがよいでしょう。」
(『危機突破の社長学』)

「昔からつながっている伝統的な価値観のようなものは、ある程度持っていないといけませんし、それらをすべて失い、唯物的にこの世的なものだけに絞っていくと、残念ながら、外れていくものもあるのではないでしょうか。今、経済発展しているところでも、ここが、これから明暗が分かれてくるところになるのではないかと思います。
 人間機械論的な考えになってくると、要するに、昔から説かれているような、「正直者であること」や「誠実であること」「親孝行であること」「ご先祖様を敬うこと」「その上にある神仏を尊敬すること」などというものは、すべて無意味になってしまうわけです。それよりは、「家のなかがもう少し便利になったほうがよい」というようなことになり、いずれは、「家事用のロボットなどが入ったほうが幸福だ」といった考えだけに支配されるようになっていくでしょう。」
(『富の創造法』)

「昔に比べて機械で代替される仕事が増えて、コンピュータ、AI等との競争が始まりつつあるので、人間もあまり楽ではなくなってきつつあると思います。
「自分でいろいろなものを経験して学習し、それを自分で組み込んで、上の段階に発達させる」「自分で勝手に、小学校一年の勉強から二年、三年と上がっていく」というような機械ができてきたので、だんだん人間の機能の一部は取られ始めてきているわけです。
語学に至っては、スマホレベルの小さい機械で、百カ国以上、同時翻訳するというようなことを言っています。
 私の説法が、そのまま世界百何カ国の言語に訳されるなら、極めて便利で、もしかしたら、生きているうちにそういうところまでになるかもしれませんが、そうは言っても、表現というのは、意味が通じればよいというだけのものではないし、表現によってバイブレーションなど、いろいろありますので、そういうものとの戦いも、まだこれから続くのかもしれません。」
(『私の人生論』)

「AIではなかなか乗り越えられないと思われるものは、「営業」のところです。「人対人」で交渉したりするもの、押したり引いたりしながら、落としどころを考えていくようなものに関しては、こちらとしては推進したいと思っていても、相手には相手の考えがあって、なかなか思うようにはいきません。
「創造性のある分野」「マネジメントが必要な分野」、さらに、「営業が必要な分野」「交渉が必要な分野」などでは、AIは十分ではなく、次の世代のAIになっても、完全には乗り越えられないだろうと思われているのです。」
(『心に目覚める』)

 現代は70億人を超える人口を世界が養っているという難しい時代。しかも、多くの人々が唯物論の名のもとにAIの支配下に置かれようとしています。しかし、『鋼鉄の法』には、AIは決して神の叡智に勝つことはなく、「神の言葉がすべてだ」ということを知ることが大事だと述べられています。

「最後は「人間力」が要りますね。
 例えば、小さい会社から起こそうとしているような人の場合、トップ一人の力はそうとう大きいので、「耐える力」はすごく強いのです。それから、失敗のない人生などありえないので、「自分は失敗したことがない」とか「失敗は絶対にしない」とか言っていても、「それは無理ですよ」ということです。やはり、失敗しながら起き上がってくるのが普通なので、「どのくらい早くリバウンドしてくるか」が大切でしょう。
 特に中小企業の場合、小金があるので、子供をいい大学に行かせて、大企業に就職させたあとに辞めさせて後継ぎにすることが多いんですが、大会社の場合は経費をものすごく使うんですよ。それから、すぐにコンピュータ化したり、不要な人材を大勢揃えたりする気があるので、入れたもの同士が潰し合うケースが後を絶ちません。規模相応の「人の使い方」や「経営の仕方」があるので、このへんが柔軟ではないと、とても難しいですね。」
(『「天職」を発見する就活必勝の極意』)

「人間には、結局、心があるので心が働くのです。心は経済にだって働くのです。
 機械的に全部をやれることが、経済的な原理には必ずしもならないところはあると思います。人間には心があります。心のなかの最低限のレベルとして、「快・不快」という問題が出てきて、“快・不快の原則”があるので、不快感を感じるものの方向へは、お金を使うようにはならないのです。
 これからの経済学は、「できるだけ、感情的なレベルのものや人間の思いのようなものは削り取って、合理的な結論だけを便利に出そう」という方向に動いていこうとするだろうと思います。一定の範囲で、それは進化してもいいのです。しかし、「まだ、それでは全部を解決できないところはあるのだ」ということは知っておいてほしいと思います。」
(『人の温もりの経済学』)

「AIには取って代わることができないと思われているものは、「マネジメント」にかかわるところでしょう。マネジメントというのは、「経営管理」、あるいは「経営そのもの」であってもよいのですが、さまざまな人を集めて組織をつくり、大勢の人が力を合わせて一定の目的を達成するために必要なものです。それぞれの人の能力も違えば、気性も違う、年齢も違う、経験も違う、男女の性別も違う、感じ方も違うわけです。また、同じ命令を受けても、違うように受け取る人もいます。
 そうした人々を結びつけて一定の方向を目指させるには、マネジメントが要ると言われているのです。「マネジメント」という言葉はいろいろな意味を持っていて、目標管理的に言う場合もありますが、結局、人と人とのバラバラな側面を協調させ、調和させていく力がなければ、組織、あるいは会社、その他の団体等において、まとまった大きな仕事を続けていくことができないということです。」
(『心に目覚める』)

「コンピュータを経営的に見たら、基本的には、「経営判断」などまったくできはしません。ましてや、コンピュータは「営業」ができないわけです。経営判断もできなければ営業もできないので、「コストダウンができる」とか「経費削減になる」などと言って入れているものの、そのほとんどは、“紙くず製造機”と化しています。
 コンピュータでつくった表を見たところで、営業の売上など絶対に上がりはしません。

 経営判断や営業の実績は、コンピュータとは関係がなく、現実には、ほとんど「人 対 人」の問題に帰属します。それを忘れたら、会社は必ず傾くのです。
 2000年以降、IT産業系が業績を伸ばす一方で、これによって潰れている企業もたくさんあるということを知ったほうがよいでしょう。コンピュータを必要としないところがそういうものを入れると、経営もできず営業もできない状況になることも多いので、よくよく考えた上で行うようにしてください。やはり、「見切り」というものが要ることも知っていただきたいのです。」(『自由・民主・信仰の世界』)

ビジネスと真理 へ

「仏法真理」へ戻る