不況下、コロナ禍におけるサバイバル術

 消費税の増税で日本の景気は急激に落ち込みました。2019年10月から12月期のGDP値は前期比マイナス1.8%、年率換算でマイナス7.1%を記録。その後、コロナ禍で、政府の緊急事態宣言によって自粛が広がり、深刻さはさらに増しています。大恐慌の懸念もあり、経営者にとっては厳しい舵取りを強いられるでしょう。

 幸福の科学大川隆法総裁は、以下のように説かれました。

「日本の経済構造は、六十パーセントぐらいが消費経済なのですが、今、日本経済が低迷している理由は、消費税によって消費が落ち込んでいるからです。
 残念ながら、現在の政府の方針では、プラスの方向には行かない可能性が高く、場合によっては、アメリカのサブプライムローンが破綻して恐慌が起きかかったのと同じようなことになる可能性もあります。
 大きなマクロでの経済、政府がつくっているほうの経済は、全体主義的な社会主義経済になってきつつあるので、「一人の間違い」で全部が引っ繰り返るところまで来ているかもしれません。
 「日銀が銀行をすべて誘導すれば産業界は動く」と思っているところに、安倍首相の間違いがあります。基本的には、企業の自助努力によって発展できる余地がなければいけません。そうした自由性の担保が要りますし、企業人たちの自助努力も必要なのです。」
(『富の創造法』)

「一カ月で収まってくれるなら、休業補償や失業補償、会社の補填など、できないことはないとは思うのですが、これが三カ月を越えて、もっと続いていくものなら、ほぼ無理でしょう。小さな会社だけではなく、大きな会社まで潰れます。
 やはり、サバイバルする方法を考えないと駄目です。今、気をつけないと、政府に“全権委任”してしまう気があるので、意見を言う人が必要なのです。」
(『コロナ不況下のサバイバル術』)

「予想外の事態はいろいろ起きてきますし、政治、経済、その他、不満に思うことはたくさんあると思いますが、トップの姿勢としては、まず、言い訳をしないことが大事です。
 言い訳を並べる暇があったならば、「自分に何ができるか」を考えるほうに頭を切り替えることです。
経営トップは、基本的に、マイナスの発想が出てきたときに踏みとどまり、「この条件の下で、自分にできることは何であるのか」ということを、常に考える習慣を身につけなければいけません。」
(『経営戦略の転換点』)

「一般論として、「不況に打ち克つ社員学」というテーマで、今、言えることは何でしょうか。それを最も単純化して言うならば、やはり、「勤勉であれ」ということです。
 社員全体が勤勉な会社は、不況期でも熱気があり、元気であることが多いものです。一方、会社が傾いてくるときには、たいてい、怠け者が増えてきます。「手を抜いて仕事を そこそこにし、ほかのことをやり始める」「関心が会社の外にあり、遊びのほうに頭が行っている」などということが多く、会社の危機に気がつかない人が多いわけです。
 今、自分の置かれている立場がそれほど高いものでなくても、常に、全社的な問題や経営の問題に関心を持ち、いろいろなものをいち早く察知しようと努力すると同時に、自分の与えられた持ち場のなかで、勤勉な努力を積むことが大事です。その勤勉さのなかには、「仕事における勤勉さ」だけではなく、「オフ・ビジネス(仕事を離れた私生活)における自己形成という意味での勤勉さ」も含まれています。これが、不況期全般にわたってリストラされず、しかも、場合によっては、不況にかかわらず昇進していくための最低限の条件なのです。」
(『不況に打ち克つ仕事法』)

 世界のコロナパンデミックはとどまることを知らず、なかでも南北アメリカ大陸での被害が深刻です。

 日本は小康状態ですが、4月~6月にかけてのGDP成長率は25%減という予測(ゴールドマンサックス社)もあり、自粛の影響が現場に広がりつつあります。
第二波、第三波への懸念もあるものの、経営者は決してネガティブな方向へと思いを向けるのではなく、「今、何ができるのか」を考えるべきでしょう。

「新聞やテレビのニュース、ワイドショー等で、連日、新型コロナウィルスによる感染者数の増加や死者数の増加などを、地域別にもたくさん出していますが、こうしたものを毎日観ていると、「よくなることがない、感染が増えていくしかない状況にある」と考えるようになってしまうため、精神衛生上あまりよくありません。
 あまり詳しく観たり読んだりしすぎないほうがよいでしょう。毎日少しずつ何かが増えていっているだけのことなのですが、これによって心理的に大衆操作されているところがあり、危険なのではないかと思っているのです。
 やや皮肉な言い方をすることを許してほしいのですが、今、“普通はめったに出てこない”ような医者、特に感染症関係の医者が、やたらと出てきては意見を言っています。
 しかし、彼らは本当に狭い範囲の専門家なので、自分の仕事関係については意見もあるでしょうが、「それをやったら、国家経営や経済、政治はどうなるか」「貿易はどうなるか」「国 対 国はどうなるか」といった全体の仕組みや動きについては、ほとんどまったく考えていないわけです。」
(『コロナ不況下のサバイバル術』)

「顧客に感動を与えるために必要なものは何であるかというと、言い古された言葉ではありますが、やはり「情熱」です。
 その熱意の元にあるものは、「仕事が好きである」ということです。自分の仕事が好きでなければ熱意は出てきません。好きな仕事であればこそ、熱意が出てくるのです。したがって、好きな仕事に打ち込むことが、人間としていちばん幸福なことなのです。
 誰でも、仕事が面白ければ、熱中するのは当然です。しかし、面白い仕事が回ってくるのを、ただ待っているだけでは駄目であり、自分から仕事を面白くしようとしなければいけません。
 仕事を面白くするには、その仕事のなかに、「使命感」というべきものを感じなければいけないのです。」
(『経営入門』)

「もし、災害、タイフーン、竜巻、大水、津波、地震、火山噴火など、天変地異的なものが起これば、もう、手に負えません。個人としても手に負えませんし、国を挙げて対策をとったところで、必ず防げるものでもないでしょう。
 あきらめなければいけないこともあるかもしれませんが、やはり、そのつどそのつど戦って、乗り越えていこうとする志が大事だと思うのです。避けられないものは避けられないので、それは受け止めなければいけません。」
(『「経営成功学」とは何か』)

「経営者は、「どのような事態の変化が起きても、そのなかで生き残れる経営とは何か」ということを考え続けなければいけません。
 やはり、「日々のイノベーション」を大事にしなくてはいけなくて、「次のもの」をいつも考えていく態勢が大事です。想像していなかった外部的な要因で、流れが全部バサッと切れることもあれば、「追い風が吹いている」と思っているものが駄目になることもあるので、それについては、よくよく考えてください。
 とにかく、経営をやろうとしている者であるなら、今、流行っているもの、あるいは流行りすぎているものについて、「やがてブームは過ぎていく」ということを知っておいたほうがよいわけです。
 一方、今は要らなくても、「将来、それが要るから」と言ってやっているものについては、「先見性なのか。ただの無駄なのか」ということ、要するに、「投資として実を結ぶものなのか、投機なのか」ということを、本当によく見なくてはいけないのです。」
(『富の創造法』)

 大川隆法総裁の書籍『コロナ不況下のサバイバル術』の「まえがき」には、「コロナ不況下のサバイバル術は、全体主義との戦いに似ている。各自、智慧と努力で仕事を前進させなければ、悲劇の第二幕が始まる」とあります。

 政府や自治体が号令をかけ、自粛を要請したことで、繁華街から人は消え、中小企業は倒産の危機に見舞われています。このままでは政府の配給を待つような生活が待ち受けているといっても過言ではないでしょう。
 今こそ、各自が免疫力を高め、智慧を絞って経済活動を再開する努力を惜しんではなりません。

「今、必要なのは、「全体主義とは何か。全体主義国家とは何か」ということを見抜く力でしょう。
 全体主義をつくっているのは、実は民衆です。民衆のムーブメント(動き)によって、そういう全体主義国家ができていて、なかにいる人たちは、一見、自分たちが民主主義的にやっているように思わされているわけです。本当は恐怖によって支配されているにもかかわらず、繰り返し教育され、政治的に訓練されることで、「自分たちは当然のことをしている」と思うように洗脳されている国家のことであり、自由意思が通用するような国ではありません。
 全体主義というのは、民衆の力がバックにあって一つの考え方でまとまってはいるものの、その奥に「神」が存在しないのです。
 要するに、「独裁者」と言われる人間によって染め上げられた国家ができるときというのは、極めて危険だと思うのです。」
(『永遠なるものを求めて』)

「政府が、強制的に「一カ月ぐらいは、外に出ないで家にいてください」とか、「会社に行かないでください」とか、「会社に行く人を七割、いや、八割削減したい」とか言っているのを、普通のときに聞いたら滑稽に思うでしょう。
 「会社に行く人を八割減らしたら成果だ」と言っていますが、これでどうするつもりなのでしょうか。会社の収入の八割を、政府が補填なされるつもりなのでしょうか。しかし、そんな政府はどこにもありません。
 政府の対応は、「悩乱している」としか思えないもので、大局観が全然ありません。」
(『コロナ不況下のサバイバル術』)

「中小企業は、「デパートのように、さまざまなものを何でも揃える」という考え方を取るべきではありません。これからの「生き筋」を見て、「今は、こういうものが伸びている」「こういう商品が売れている」という筋のものがあったならば、そこに絞り込んでいくことです。
 「人・モノ・カネ・情報」の経営資源を、会社のメンツのためだけにあるような利益の出ない部門から、今、利益の出ている部門、あるいは、これから利益の出る可能性のある部門へと大胆にシフトしていくことが必要なのです。現時点で赤字を出し、不採算部門になっており、将来性がないと思われるものについては、「その部門を、いかに切り捨て、上手に撤退するか」ということが大事です。
 「切るのはつらい」「切り捨てると、その分だけ売り上げが減るのが怖い」と思うかもしれませんが、不採算部門の営業員などを、採算がとれているほかの部門にシフトすれば、営業戦力が増えて業績が伸びるのです。そのようにして、利益が出ている部門を伸ばさなければいけません。」
(『智慧の経営』)

「宗教の側から伝えるべきメッセージとしては、本当に、感情というか、心を持たない経済学的人間のようなものが存在すると思うのではなく、「人の温もりの経済学」と言っているように、「人の温もり」を感じるようなものが値打ちを生む世界をつくろうとすることが大事だと思うのです。
 経済においては、やはり、「その人の今世での魂修行がより一段と進むようにするにはどうしたらよいか」というところを考えていくことです。
 機械化による大量生産によって、よいものができるようになっていく努力もしていますが、これに見合うかたちで、「人が付加価値を付ける」「心を込めてつくったものが値打ちを持つ」という考え方の経済学が成り立つかどうか。
 「人の温もりの経済学」は、言葉を換えて言うとするならば、「人間の顔をした経済学」ということです。」
(『人の温もりの経済学』)

 政府の緊急事態宣言を受けての営業自粛や外出を控えるという動きが、外食や旅行などのサービス業を中心に暗い影を落としました。
 2014年の消費増税の際、四半期で4.8%減を記録した個人消費の落ち込みが、今回、8.2%減となったことで、さらなる景気の下押し圧力が強まることが懸念されます。

「ときには、上司などから、「俺が指示していないのに、勝手にこんなことをして、けしからん!」と言われることもあるかもしれません。その人の性格によっては、「指示していないのに、勝手にやった」と言って怒る場合もあるでしょう。しかし、経済原理が働いているかぎり、「結果オーライ」になった場合には、昇進や昇給はないにせよ、少なくともクビ要員まではいかないところで済むだろうと思うのです。
 一般に、上が無能だと、指示もしていないのに勝手にやった人に対して、嫉妬したり、いじめたりする場合もありますが、上が標準的な人であったら、そういうことに少しは腹が立っても、結果がよかったら、我慢して帳消しにするぐらいのことはできるはずです。
 不況下において、「全員企業家」「民主的経営」「全員経営」などと言うと、トップの“逃げ”のようにも見えるのですが、実際上、本当にプラスになるのだったら、それをやったほうがよいことは間違いないのです。「全員が、一斉に、各自の持ち場で売上を上げ、商品在庫を片付けていく」ということが大事なことではないかと思います。」
(『希望の経済学入門』)

「痛みを伴う判断をすべきときに決断ができなければ、基本的には経営者が責任を回避したことになります。そういう人を経営者や経営管理者として戴いている部下は大変です。
 判断には必ず責任が生じるので、責任を取れる人が判断をしてくれなければ困るのです。「責任を取る」ということは、「もし、その判断によってマイナスが生じたり、失敗が出たりしても、判断をした人が責任を負う」ということです。あるいは、「その判断に対して、不満や批判、非難が出ても、判断をした人が責任を負う」ということです。
 組織が大きくなるほど、その判断は決定的な重みを持つようになり、判断に対する反作用や責任もまた大きくなります。しかし、経営者は“いい格好”をすることはできず、何らかの判断をしなければいけません。」
(『智慧の経営』)

「今のところ、インフルエンザが強く流行ったとき以上のものではないので、そこまで考える必要はないのではないかと思います。
 個人による仕事をしているようなところは、なるべく頑張って、やり続けられるものはやらないと、本当に失業状態、倒産になってしまいますが、政府も救ってはくれません。
 できるのは、配給制のようなものです。「パンや牛乳、お米などを割り当てて配給する」とか、「価格を統制する」とか、そのようなことはできますが、「自由に、いろいろな職業設計をする」というようなことは無理です。したがって、自分で捨てたら終わりになりますので、できるところは、なるべくしたらよいと思います。
 現実には、ウィルス感染をそれほど怖がる必要はないでしょう。」
(『コロナ不況下のサバイバル術』)

「これからのキーワードとして、「人の温もりのあるもの」、「人の温もりの経済学」「人の温もりがある新しい企画」のようなものが大事になるでしょう。「新しい経営方針、新しい経済方針のなかに、人の温もりは感じられますか。それは、『人の顔をした経済学』ですか。それとも、『AIが支配する経済学』ですか。そのAIは、人を虫けらのごとく扱って、最後は『中国 対 香港』のようなことになるかもしれませんが、そのあたりについて分かっていますか」ということです。
 全体主義のほうが効率的に見えるために、為政者にはあっという間にそちらのほうへ持っていかれるので、ここは踏みとどまらなければいけないところでしょう。効率の悪さのなかに、人間としての魂の活動の喜びもあるということを、また忘れてはならないと思います。」
(『人の温もりの経済学』)

「「人間が、人間と対面で会えないような状況」を善とする傾向が、今、続いています。
窓口業務的な所であれば、ビニールのシートを垂らしたり、顔にもシールドをかけたり、当

然、マスクはかけたりしています。また、「自宅から、テレビ電話風にやればいい」というような感じにだんだんなってきていて、それが進化の形態のようにも思われているのですが、やはり、「これは長くは続かない」というのが私の判断です。
 「マスクをかける」「マスクを量産する」「マスクの形態を変える」「顔にプラスチックのシールドのようなものをかけて、やる」ということがイノベーションとして働いていて、社会生活ができるように進んでいるのだとは思います。しかし、やはり、非現実性は感じなければいけないと思うのです。
 「感染症学者の言うことで、全部を統括することはできない」ということは知らなくてはいけませんし、やはり、「長い文化の伝統」や「人間の幸福感」の問題は残ってくるということだと思います。(『人の温もりの経済学』より)

「今、コロナ不況で、潰れていくお店もあります。小さな会社もあります。大会社も潰れます。そこで何年、何十年と経験を積んだと思うかもしれませんが、「では、潰れたら、そのあと、あなたは何ができますか」という問題が次に来るわけです。
 「三十年これ一筋」とか「四十年これ一筋」でやってきた人も、まだ食べていかなければいけませんが、仕事としては、店が完全に潰れることもあります。「では、何ができるか」というと、やはり、備えをしていなかった人は苦しいでしょう。
 どんな環境に置かれても、「もう一回ゼロから出発できるような気持ち」を常に持ち続けることが大事です。松下幸之助さんが言っていたダム経営的なものは、一般の人々、個人個人にも、当てはまるのです。(『私の人生論』より)

「とにかく、通常ベースに戻せそうなものは、なるべく戻してください。幸福の科学の職員は、いまだに通常の仕事をしています。外部での大きな行事ができないのが少々残念ではありますが、できることは普通にやっていってください。もし、時間が余っているのであれば、仏法真理の勉強等をしっかりとするなどして蓄積をつくり、“将来の戦闘のための材料”をつくるとよいでしょう。
 経済対策については、国や地方自治体の言うことをあまり信用しないほうがよいでしょう。お金でもくれるのであれば、それは結構なことではありますが、お金をくれようがくれまいが、自分のところが生き残っていけるように考えてください。業務の形態やPRの仕方、その他のことを考えて、生き残っていけるようにしてください。(『コロナ不況下のサバイバル術』より)

「提言としては、先ほど言いました「強靱であること」-個人的にも強い体質を持つこと。それから、会社においても同じであること。景気の浮き沈みや、政府や地方自治体の指示による浮き沈みにもう翻弄されることなく、自分でやれることはやる。考えつくことは考えつき、新しいものにシフトしたりして、「道を拓ける者は拓く」ということです。
 知恵を絞って、今まで「これさえやれば儲かる」と思っていたようなものの考え方をちょっと改めて、何か新しいものを追加するなり結合させるなりして、「価値の創造」をしなければ生き残れないと思っていただきたい。今までこの世になかったものをつくり出す。それもいろいろな規制のなかをかいくぐって、どうやってつくり出すか。これができたところだけが生き残り、さらに発展することができるということです。また、「異種のアイデアの結合」は非常に大事です。(『コロナ不況にどう立ち向かうか』より)

ビジネスと真理 へ

「仏法真理」へ戻る