虫の目、鳥の目、魚の目

 「虫の目、鳥の目、魚の目」という言葉があります。

 「虫の目」とは、虫のように近いところから物事を注意深く見る視点です。ミクロの視点を持って、現場でしか見えないことを見る目といえるでしょう。

 「鳥の目」とは、空を飛ぶ鳥のように、物事を高いところから俯瞰する目です。虫のように近い場所だけ見ていては分からないことも、高いところから広く見わたすことで、複合的に理解することができます。物事を総合的に見る目といえるでしょう。

 「魚の目」とは、魚が水の流れに従って泳ぐように、時流を読む目です。

 視点を変えれば、見えてくる景色も変わります。悩みを持ったときも、これをさまざまな角度から見つめてみることで、心が少し軽やかになり、今までとは違った気持ちで向き合えるようになるのではないでしょうか。

 まず、鳥の目は「高いところから全体を俯瞰(ふかん)する」ということです。難しく思えることでも、全体像がわかり、自分の位置や現状が把握できると、少しは取り組みやすくなるはずです。ビジネスでは、マネジメントの視点であり、海外から見た日本、同業他社と比較した自社であったりもすると思います。

 もう1 つは虫の目です。虫は小さな生き物です。地に面した低い位置にいるからこそ、上からは見えなかったことが見えてくるようになります。自分の足元をしっかり把握し、徹底的に力を入れるのです。ビジネスで言うと、現場の視点です。

 最後に、魚の目です。魚は目に見えない川の流れを体で感じ取っています。魚の目を持って、どの方向に流れていくのかを読み取ります。目で見るだけでなく時代の流れ、世の中の流れをキャッチすることも重要です。

 何事も集中することは大事ですが、そればかりになると視野が狭くなり、ろくなことがありません。よく“恋は盲目”などと言いますが、人は好きな人に振られたとき、もう自分の全てが否定されたような気持ちになります。「私の人生も終わった。生きる楽しみがなくなった…」などと。しかし、冷静に考えると、これはまさに虫の目だけで見ていることになります。鳥の目で見ると、世の中には人はたくさんいて、彼(彼女)よりももっとすてきな人がいると気づきます。さらに、「もっといい人を見つけて相手を見返してやろう! 」と前向きな気持ちにさえなれるかもしれません。また、魚の目で感じてみると、今はそういうタイミングではなかった、などと思えるかもしれません。人には感情や思いがあるため、見方を変えるだけでは割り切れないところはもちろんありますが・・・。

 ビジネスでも人生においても、悩んで行き詰まったとき、決断が必要なときは展望台から景色を見る必要はありませんが、一度ふと立ち止まって、広い視野で多角的に物事を見てみること。この『3つの目』で見てみると、意外と見えなかったことが見えてくるかもしれません。そして、思ったほどたいしたことないと感じ、その困難を乗り越えられるかもしれません。この『3つの目』、ふとしたときに思い出してみてはいかがでしょうか。

 

経営者には2つの目が必要 

 絞り込みの理論は、短時間で成果を上げるための方法論としても有効である。一方、締め切りのないものについては、広い関心を持ち、長期的に努力を続けていく必要がある。

 幸福の科学大川隆法総裁は、『社長学入門』で以下のように説かれました。

「「短時間でいかに成果を上げるか」ということであれば、重要なものに絞り込んでいくことが非常に大事になるのです。これはやらなくてはなりません。

 この方法は、必ずしも人生の最終的な使用利につながるものではありませんが、人生のいろいろな区切りにおいてバーを越えることには、おそらく役立つはずです。時間的な締め切りがあるものについては、やはり絞り込みが必要です。

 一方、締め切りがないものについては、広範な関心を持って努力していかざるを得ないと思います。

 経営においても、決算というものがあるので、「とりあえず、今期、赤字をどう乗り切るか」という問題があります。「この手形が落ちないと、今期は大変なことになる」ということであれば、そこに集中して、いろいろな手を打たなければいけません。

 しかし、長い目で見て、会社の発展・繁栄を考えるならば、いろいろなことに関心を持ち、研究もしていかなければならないことも事実です。

 このように、「広く長い目」と「短期的な集中した目」、この両方が必要です。鷲のごとく遠くから見るような目も必要ですが、同時に、獲物を見つけたら、集中して、その動きだけを追うような目も必要です。この両方の目を持っている必要があるのです。

 特に、経営者は、広角レンズのような目と、虫眼鏡で見るがごとく一点を拡大し、じっと見て分析するような目と、この両方を持っていないとうまくいきません。片方だけでは駄目です。

 技術者的な人は、一点だけを集中してよく見ることはできるのですが、全体が見えないことが多いのです。逆に、全体が見えても、一点だけを集中して見ることができない人もいます。評論家的に、いろいろなことをアバウトに知っていても、経営資源の集中投下を知らない人は、評論家はできても経営者はできないのです。

 これも兵法の一つでしょう。人生を漠然と「何十年」と考えるのではなく、一定の区切りで考えるのであれば、やはり、集中の法則は使わざるを得ないのではないかと考えます。」(P-76~78)

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